とある流産の記録(絨毛染色体検査の結果と妊活再開とその後編)

年が明けて手術から約1ヶ月、絨毛染色体検査の結果を聞きに病院へ行きました。
単刀直入に言うと結果は異常なし、染色体異常による流産ではないということがわかりました。

念のため町の不妊クリニックでできる最低限の不育症の血液検査をしてもらったけど、今回の流産
の原因に繋がるような因子は見つかりませんでした。

流産の原因は見当たらない。
赤ちゃんに異常はなかった。
わかったことは、それだけ。

それでも、検査をしてもらって良かったと思います。
絨毛染色体検査はオプションで、もちろん自由診療で、7万円くらい掛かりました。
(東京都の不育症の補助が出るので実質掛かるのは2万円くらいのはずだけど)

結果を聞いた直後は
「初期の流産は良くあること、90%以上は胎児の染色体異常だ」
というもう何万回も見たあの文句に自分は当てはまらず、自分の体の何かのせいで殺してしまったのだという自責の念が止まらず、どこにもぶつけようのない苦しみを味わうことになったけど、もちろん今もその思いは消えてないのだけど
今回の結果は「次の妊娠」に備えるための重要な情報になったから。
不育のファクターが自分にあるのかもしれない、という懸念があることによって、判断や行動の道標になっていくから。
結果、選択する方法は変わらなかったとしても、知ったところでどうしようもないことだとしても、「わかった上で選択する」ということができるから。

わたしは医学的なことは何も詳しくないけれどなんとなく、「初期流産のほとんどは胎児の染色体異常」というのは検査する母数が少なすぎるからじゃないかと思う。
本当はそうじゃないのに、大体そうだからって理由で検査も受けずに(受けられることも知らずに)重要な何かを見過ごされて、出産できない人もいるんじゃないだろうか。
もちろん流産はお母さんのせいじゃないって慰めの意味でも使われる言葉なのだけど、これ以上苦しむ人が増えないように、少しだけでも減らせるように、検査をもっと手軽に受けられるよう、誰でも情報にアクセスできるようにしてあげる必要があるんじゃないかなって。

検査をしても何も変わらないかもしれない、知っても仕方のないことかもしれない、だけど少なくともわたしは知れてよかったし、検査をする人がもっと増えたら不育の研究も進むんじゃないかって、素人ながらそう思いました。

そんなこんなで流産後初の生理が術後46日できました。
流産後の生理は重いと聞いていたけど、突出するほどではなく、久しぶりの生理なこともあって前がどうだったのかなんてあんまり覚えてなくて、こんなもんかなという感じでやり過ごしました。
ようやく一区切りついたというか、やっと終わったんだなというぼんやりとした気持ちで過ごした気がします。

通っていたクリニックは生理1回見送れば妊活OKの方針だったので、今回からタイミングを見てくださいとお願いしました。
正直傷は癒えていないし、前向きに妊活に取り組めるような心境ではなかったけど、前に進んでいないといつまでもここに留まってしまうような気がしたし、何よりとても焦っていました。失った時間を取り戻したいという気持ちもあったし
もし不育だったら、そのための治療も必要かもしれない、立ち止まっている暇はないと思いました。
このあたりの選択は、絨毛染色体検査を受けたからそう思えた部分もあったと思います。

排卵のタイミングを見るために卵胞チェックに通いましたが、流産前と比べて周期が遅くなっていました。
流産前は周期が30日くらいだったと思うけど、今回は排卵がD31頃、なかなか来ない排卵となり、細かく通ってタイミングを図りました。流産がわたしの体に及ぼした影響はまだ続くのかとほとほと嫌になったし、こんなに遅くなってしまったのは何か異常があるのかもしれない、もう正常に妊娠できないかもしれない、とおそろしくなったし
もう1周期も無駄にできないという焦り、それでも沸き起こる前回の恐怖、進みたいのか進みたくないのか自分でもわからないまま、目の前のタスクをこなしていくという感覚でした。

なんとかタイミングをこなし、生理予定日前になった頃、生理前の症状がいつもより重いことに気付きました。
流産してから体質変わったのかもしれない、生理前毎回これだときついな、と感じる反面、これは普通の生理前じゃないなという予感は感じていて
ついこないだまで妊娠中だったからこそわかるような、もしかしてが頭をよぎり始めました。

それでも生理予定日当日、うすら鮮血がおりものに混じり、来てしまったというほっとした思いと、あと何回これを繰り返せばいいのかという不安で泣いてしまいました。
血が混じる感じが流産前の様子に似ていて、あの時の気持ちがフラッシュバックしたのもありました。

結果この時の出血はおそらく着床出血で、その翌日出血が引っ込んでしまったことで妊娠を確信しました。

嬉しいでも怖いでも不安でもなく、頭の中で処理しきれない感情で思考停止してしまいそうだったのであまり深く考えないようにしました。
妊娠検査薬もせず、夫にも話さず、ただひたすら無心で、妊娠のことを考えないように過ごしました。

6週になる頃までは病院にも行きたくなかったけど、子宮外妊娠だった時が怖いなという思いと、もし不育症だったら早めに手を打てることがあるのかもと5週に入った頃に病院へ行き、そこで胎嚢を確認しました。
その日はちょうど夫の誕生日で、「誕生日プレゼントだよ!」とおどけてエコー写真を渡して発表しようと思っていたけれど、あまりの不安に押しつぶされそうになり、結局家に着くなり泣きながら切り出したので、一体何があったのかと驚かせてしまいながらの報告になりました。

毎日毎日大きくなっているか、心臓が止まっていないか心配で、でもそんなことを確かめる術もなく
ただ泣くばかりで過ごすか、妊娠のことを頭から完全に消滅させて、何も考えずに過ごすか
1日過ぎるのがとても長く、苦しい妊娠初期でした。
8週から12週にかけては出血もあり、トイレに行く度に黒い固まった血を見て、会社で何度も泣きました。前回の(といってもほんの2ヶ月ほど前の)悪夢のようなあの時間が戻ってきたのかと気もそぞろで仕事に戻ることもあり
でも他のことをしていると少しでも気が紛れて仕事をしていてよかったと思ったり、本当に長い時間を過ごしました。

12週から分娩予定の産院に移りましたが、前回の流産のことと染色体検査のことを伝えても、特にできる手はないと言われました。
通っていたクリニックでは念のためのバイアスピリンと漢方を処方してもらっていて、ほとんど飲む意味はないと言われていたけれどそれでも何か縋るものが欲しくて精神安定剤のように飲み続けていました。気休めだよと言われ続けながらも、25週くらいまで続けて飲んでいました。

そんな心配をよそに妊娠経過は順調で、ようやく今臨月を迎えています。
期待してまたがっかりするのが怖くて、出産準備を終えることができたのはつい最近のこと。
産まれてくるのが楽しみな気持ちを持てるようになったのも9ヶ月が過ぎてからのことでした。

前の子が来てくれてからちょうど1年。
長いようで短いようで長くて、この1年間は妊娠のことしか考えてなかったかもしれません。
妊娠の継続、それだけを考えて、産まれた後のことをイメージする余裕すらなかったので、こんなに時間があったし調べたし考えていたのに、いよいよ産まれてくることに対する覚悟は全くできていないという謎の状態に陥っています。
それでももう避けられない、後にも引けない、向き合うしかないところまできているので
とにかくこの子に向き合って、精一杯お母さんというものをやってみようというまな板の上の心持ちになりました。

流産後の妊娠では必ず考えることであろう、前の子がまた来てくれたのか?という問題については、自分自身何かこれという気持ちを見つけたわけではないけれど、
同じ子のような、違う子のような、なんだか曖昧な感覚になっています。これについてはなんとなく、自分の中で結論をはっきり出さなくてもいいのかなというような、そんな気持ちになっています。

取り留めもないけれど、流産後の妊娠についてはこんなかんじです。
また産まれたら心境を書き留めておきたいと思います。


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