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人を見送った日に

あたりまえの日常を過ごす中、
この世のどこかで
同じように生活している、
と信じている人の命の灯が消える。


自分も含め、生きている限り
誰にも起こることだと知っていても、
いつだって突然に感じる。

子どもの頃、
いろんなところに
連れて行ってもらった。


陶器市、
潮干狩り、
キャンプ、
スキー、
牧場、

いろんな初めての体験を、
させてくれた叔父だった。


そういうことを
思い出した時、

小さい頃から
いろんな人たちに
見守られてきたんだな、
ということ。

今、見守ってきてくれた人たちを
見送る順番が来た。

ということを、
あらためて思う。

小1の頃からお葬式のたびに思っていた
「死んだらどこにいくんだろう?」
という疑問には、
いまだに答えは
見つかっていないけど。

少なくとも、
もう会うことができない、
ということだけはたしかだ。


叔母が、
「朝起きた時に、
先に起きて庭で煙草を吸っている
後ろ姿がもうないのよ」
とふと言った。

誰かをなくした時、
私たちはそうやって、一つずつ、
その人の存在がそこにないことを
見つけていく。


私は、叔母のことを思う時に、
体験させてもらったことを思い出す時に、
そうだ、叔父はもういないんだな、
と思うんだろう。

今までありがとうございました。

最後まで読んでいただいてありがとうございます! ここで私の言葉をお届けできたこと、うれしく思います。 みちのえみこ