卒業、次のステージへ

前回の投稿はこちらです

大学でのトライアスロンレースも全て終了しても未だに卒業後の進路が決まっていない状態でした。何とかしなくてはという思いはありつつも、気持ちはもう来年の宮古島大会に向かっていて、いや比率的にはそっちの方が高く(汗)、その中でも常に頭の中にあったのは、山倉紀子さんからの「絶対ロングやったほうがいいよ!」という言葉でした。

まだ一度もロングのレースに出場したこともなかったのに、その紀子さんから言われた言葉とあとは根拠のない自信(笑)・・・ショートではこれ以上上にいくことは厳しいけれど、ロングだったら自分の持ち味を出せるかもしれない。それに元々宮古島大会に憧れて始めたトライアスロンだったので、せっかく出場できるチャンスをいただけたのだから、やるからにはしっかり練習して臨みたいという気持ちになりました。

その思いは日に日に強くなり、紀子さんの元でロングを学びたいと、これまでお世話になっていたアヤトトライアスロンスクールからヤマートレーニングセッション(現:東京ヴェルディトライアスロンチーム)に移る決心をしました。松山さん、ありがとうございました!

2002年11月より、山倉和彦監督と紀子さんの元でお世話になり、練習を始めめることになりました。と言ってもまだ当時は大学の授業もあったので、朝スイムに通っていた程度でした。朝スイムは一般クラスは朝6:00ー7:30までで、その後選手クラスは8:00-10:00まででした。授業が午後からの日は選手クラスで泳がせていただきました。

当時その選手クラスで泳いでいたメンバーが、皆私よりも年下でしたがジュニアの日本代表だったり、ジャパンカップに出場しているメンバーが男女含めて沢山在籍していて、スイムのレベルが半端なく高い!凄いな~と刺激を受けました。そのメンバーの中には、私より3歳下の薄愛美ちゃんもいて、すでにアイアンマン世界選手権でエイジの表彰台に上がっているなどロングの世界で活躍している選手でした。愛美ちゃんとはアルバイト先(プールの監視員)も一緒で、歳の割には冷静沈着(笑)すぐに打ち解けることができました。紀子さんと愛美ちゃんという、ロングで活躍している先輩方が近くにいたことは、あらゆる意味で凄く大きかったと思います。

非常勤講師

しかし、肝心の卒業後の進路が決まっていない!これは流石にまずいと思い、先輩を通じて紹介していただいた、とある高校の非常勤講師の面接を受けることになりました。無事内定をいただき、これでなんとか卒業後は一安心(汗)という気持ちになりましたが、それでもどこか心にひっかかるものがありました。それは、トライアスロンと教員の両立が果たしてできるのか?ということでした。ロングは練習時間も長く、また、自分の性格上「やると決めたらとことんやり抜く」タイプだったので、トライアスロンに比重が傾けば傾くほど、学校側や生徒に迷惑をかける可能性があるかもしれないと思っていました。

今をどう生きるか?

その悩みを抱えながら過ごしていましたが、ある日そのことを山倉監督に伝えました。山倉さんからは在籍時代注意されたりしたことはほとんどありませんでしたが、あの眼鏡の奥から全てを見透かされているかのごとく(すみません笑)、いつも状況を把握し冷静なアドバイスをしてくださいました。その時に山倉さんから言われた言葉が「大切なのは今をどう生きるかなんじゃない?」でした。ビビビ(松田聖子風)と心に突き刺さる言葉でした!そうか、そうだよな!とこれまで迷っていた気持ちが晴れてスッキリしたのを覚えています。この言葉は、今でも時に悩んだりするときに思い出す、大切な言葉の一つです。

そうなった途端、一気に行動が早くなる私は、内定をいただいていた高校と先輩にお断りの連絡を入れました。すでに時期的にもギリギリで、本当に申し訳ないことをしてしまいました。そして次の最も重大な関門・・・親にどう説明をするか?

とりあえず2年

親に説明をすると、何考えているんだと予想通りの答えが返ってきました。これまでは「頑張っていることには応援する」スタイルでほとんど口出しをされたことはありませんでしたが、自分が親の立場だったらそう言うよなというのも理解していました。それなので「2年、とりあえず2年間はやらせて欲しい」と説得しました。何を根拠に2年なのかは(汗)自分でも良く分かりませんでしたが、渋々OKをもらい、親不孝者だなと思いつつも気持ちはトライアスロン一本に固まりました。

大学卒業

トライアスロンに出会えたのも、トライアスロンを通じて沢山の思い出ができたのも、そして今があるのも、全ては大学での4年間があったからと思います。私のトライアスロンの原点は大学時代です。また、クラスメイトや同じ学部の良い仲間達にも恵まれて、本当に楽しい大学生活でした。もし今、自分の人生戻れるならばいつが良い?となったら、また大学生に戻りたいと思える程充実した4年間でした。

稲城市へ

大学卒業後すぐにこれまで住んでいた世田谷のアパートから、ヴェルディの活動拠点である稲城市に引っ越しをしました。稲城は同じ東京でもどちらかと言えば田舎で、練習環境は抜群!どこか地元の群馬を思わせるような景色ですぐに気に入りました。アルバイト先も、活動拠点であるアクラブ稲城のフロントスタッフとして働かせていただけることになり、アクラブとプールの監視員、あとは近くにあるガソリンスタンドでもアルバイトを始めました(実はガソリンの臭い好きです 笑)

そしてついに初ロング、念願の宮古島大会がやってきました!

お読みいただきありがとうございました!次回は「初宮古、初ロング」を書きます。お楽しみに(^^)











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?