見出し画像

【祝25周年】推しのフー・ファイターズの歴代アルバムといろいろをざっくり振り返る

2020年7月4日、世界一大好きといっても過言ではないフー・ファイターズが満25周年を迎えました。本来であれば、彼ら自身も盛大すぎる25周年ツアー、イベント、新譜、映像までフルコースで予定していたのに、まさかのこんな事態に、これだけ意気込んでいた公式も完全に沈黙…。

前作を超える予感しか無いアゲアゲな音源をちらつかせて、恒例のダサいロゴで25周年を煽り、私たちもいつでも来いやー! と思っていたのに…。まったく何も来ないままに、7月4日になってしまいました。

実は彼ら、5年前にも同じように祝いたくても存分に祝えなかった20周年が存在しています。覚えていますか…デイヴ・グロールがステージから転落、すさまじい骨折をしたあのときを…そうあの年こそが彼らの20周年イヤーでした。

骨折当時を漫談として、さらに漫画みたいな雷神様みたいな台座に乗って話す我らの大将、デイヴ・グロールさん。ステージから落ちた証拠映像に、(ツアーTeeにまでなった)レントゲン写真からネタが満載すぎて大渋滞を起こしています。

気力で20周年ツアーを日本公演(フジロック)も含めて、乗り切ったものの、後日とてつもない気力と体力の消耗をしていたと話しており、心身ともに回復までだいぶかかったそう。実際当時はほとんどインタビューも残っていないほどでした。

そこから25周年に照準をあわせた段取りはすごかった。まあ、アルバムはまだ先だろう…特にそんな動きもないし、ゆっくりするんだろう…とファン誰しものんびり貯蓄モードに入っていたのに、誰も予想してなかった2017年、9枚目のバンド史上ずば抜けて内容も意外だったアルバム「Concrete and Gold」のリリースをアナウンス。久々の中1年というハイパースピードでサマソニで再来日! 怒涛のプロモーション! スッキリに登場!! 個性乱立!

画像1

※各国ファンに「ポーズはよくわからんがくっそかわええ!!!」と大評判でしたWeeeeeeポーズ

そこから、いつまでツアーするの?というくらいパーティバンド状態で延々とフェス行脚を続け、そして合間を縫って曲を作り、レコーディングをして、25周年のネタを仕込み続けていたそうです。

そんな20周年からこの25周年への流れと、やっぱり祝えなかったアニバーサリーイヤーにお祓いとか行ったほうがいいんじゃないのか…と思ったりしていますが、全方向ポジティヴバンドと名高い(?)我らのフー・ファイターズはコロナ禍をファミリーサービスに勤しみながら、必ずステージに立ちお客さんと一緒に再び音楽をロックを鳴らす決意をしています。

https://rockinon.com/blog/nakamura/193950

待つしか無い、今の状況。バンドもファンも歯がゆさしかないですが、それでも「倍返しだ!!!」と意気込む来年以降を糧に生きていくしかないです…

という長い前置きをしつつ、私なりに25周年をとてもざっくりと振り返ってみようと思いました。詳しいことはバンド公式DVDの「Back and Forth」を見ると、特に初期のことはよく分かるので、是非そちらをご覧ください。

25年続くなんて思えなかった!

私がアラニス・モリセットのライヴで見たドラムのテイラー・ホーキンスのファンになって半年後、ロッキンオンの情報だけ文字でバーっと書いてあるページあるじゃないですか、見開き2Pくらいの。あそこで「フー・ファイターズにドラマーとしてテイラー・ホーキンス(exアラニス・モリセット)が加入」と3行程度のニュースを見て「え、えええ!?」となったのを24年たった今もよく覚えています。よりにもよって、あのバンドってニルヴァーナのドラマーのバンドだよね…あのメントスのPVの…とそういう印象でした。当時は2ndアルバム「The Colour And The Shape」のリリース直前。そこで初めて私もフーファイの沼へ飛び込んだのです。当時はデビュー盤からの流れでとにかく勢いのあるパンキッシュなライヴで、伝説の初回フジロックにも参加。暴風雨のなか爆走するライヴが印象的でした。

が、なんとなくバンドが脆い感じがするのは良くわかりました。まだ結成して間もないのはあれど、デイヴの存在が大きすぎたのかもしれません。今も勿論絶対的な存在ですが、デイヴというよりニルヴァーナの影があまりにもまだ濃い時期でした。海外では事あるごとにインタビューでカートのことを聞かれ、ニルヴァーナの話を持ち出されていたデイヴ。そのたびに愛想笑いやときにはとても寂しそうな顔で答える様子がよくありました。まだまだデイヴの中で傷が癒えないなか、必死に自分のバンドを形作ろうとしているようにも見え、バンドとして長く続くのかな…と思っていたりしました。すると、流れるようにパットもフランツも脱退、デイヴ以外のギターが不在のまま、3rdアルバムの制作を開始することになったのです。

今のフー・ファイターズの原型は3rdアルバム!!

異論はあるでしょうが、私はずっとそう思っています。1st/2ndはほぼ、デイヴが過去をめいっぱい背負いながら、自分の居場所を探しながら理想を追い求めて作り続けていたのに対して、ようやく「バンド」として初めて向き合ったのが、3rdアルバム「There Is Nothing Left to Lose」だと感じています。レコーディングはデイヴの地元の家の地下室で3人で作りあげていきました。タイトル通り、失うものはなにもない、これで俺(たち)はやっていく!と大決意して、ジャケット写真にも首に「FF」のタトゥーを入れた写真を起用。

画像2

収録曲も音も、初期2枚よりもはるかに完成度が高く、しかしこれまで以上にキャッチーさとメロウさを兼ね備えた名曲揃い。「Aurora」や「M.I.A」のデイヴの歌メロの美しさ、未だライヴで古いファン専用の曲として度々紹介される「Breakout」、そしてバンドの印象を決定づけた「Learn To Fly」とすこぶるいい曲ばかり。私が最も推す隠れ名曲の「Live-In-Skin」の最後の大サビとかブワッとする。フーファイで何を聴けばいい? と聞かれたら、私は自腹で購入してでもこの3rdをゴリゴリに推します。テイラーは極度のプレッシャー(デイヴのドラム調教もあり)から、実はこのアルバムは半分程度しか叩いていないのですが、そんなこたどうでもよく、この1枚は今現在に至るまでの”フーファイらしさ”の原点でもあると思います。シングルカットも多く、今なお恒例で年イチでやらないと病気になってしまうんじゃないか疑惑の変装MV「Learn To Fly」で見事初めてのグラミー賞を受賞! 

※1億2千回以上再生されている伝説のMV。美人すぎるテイラーが美人すぎる。MVは笑わせてなんぼ、真面目にやる気はないね! とデイヴ談。

でも、これを機に彼らは確実にバンドとして認知度をあげていくことができました。ギターにクリス・シフレットが加入、ライヴも安定してきて、ニルヴァーナという良くも悪くもまとわり付くそれから、徐々に「フー・ファイターズ」としての活動が大きくなって人気も出てきました。さらに、レッチリのアリーナツアーの前座についたことで、でかい会場で演奏する自分たちの立ち位置も見えてきた頃です。バンドは安定してこのまま、ようやく次はさらにバンドとしてまとまるか…! と期待した4枚目、で、まさかの解散の危機に陥ります…。

この頃から、デイヴのいろいろやりたい病が目立ってきました。そしてどれも完璧にやりたい。でも、まだバンドはまとまりきらず、勢いで突っ走る状況にストレスもたまっていた時期、お酒やドラッグに矛先が向くようになっていました。突然終わってしまったバンドの傷を覆うように、今回こそは…! と意気込みすぎて、メンバーに大きな負担をかけていた部分もあると本人も後日話していた時期です。挙げ句、テイラーはヘロインのオーヴァードーズで運ばれて死にかけてしまい、私も大号泣。数週間の昏睡状態から復活するも、4枚目を作るには全員の気力も、準備時間もなく…という、いろいろあったこの期間、説明があれなので「Back and Forth」を見てください(2回目)

いろいろの根源をフジのこの現場で見ながら、なんかさあ本家だいじょぶなんかい…と複雑な気持ちでいたのもいい思い出です。サムネの笑顔…。いいもん見せてもらったけど…。

因みにいろいろ(略)経て、一度作ったものを全部捨て、再び地下室で1週間で無事に出来上がった4枚目「One By One」で初の海外各国で1位になる快挙となりUSで140万枚をセールス、フェスのヘッドライナーにもなり始めたのがこの頃。バンドはしっかりとまとまり、精力的に世界中を飛び回っていました。日本にもプロモーション来日と「マジック・ロック・アウト」なる、ある種伝説の真夜中フェスで来日。実質日本でも初のヘッドライナーとなりました。

大転換期の2枚組で5枚目。まさかのアコースティックライヴ敢行!

まさか彼らが2枚組でしかも1枚はアコースティック盤を出し、それでロックバージョンと2daysでツアーを回るなんて、デビュー当時からして考えられる!?? そのまさかを彼らは見事に5枚目「In Your Honor」でやったのです。キーボードにバイオリン、パーカッションまで加え、そしてさりげなくパットさんカムバックまでついて! 5枚目は正直アルバム的にUS150万枚まで売れ、各国で軒並みゴールドやプラチナディスクとなったものの、中身が2枚組になって霞んでしまった印象がありましたが、ファンにとってはこの2枚目を中心としたアコースティックショウの良さが印象深かったと思います。

普段ワギャーーー!!!!とアゲアゲドンドンな勢いのバンドですが、元はデイヴがアコギ1本から作っている曲ばかり。シンプルに曲本来の良さを大事に演奏する姿は、ここに来て新たな一面でした。名実的に大成功し始めたこのタイミングで、いや、だからこそあえて挑戦を楽しんでいた彼ら。そしてようやくここにきて、今まで一切フーファイの活動上は、あえて話をしてこなかったカートのことをステージで話し始めたデイヴ。結婚や子供をもったことから過度に力まずに、バンドをしっかり続けていけるようになったようにも見えました。メンバーも、フーファイはデイヴのバンドであるという絶対事項をしっかり消化して、それぞれの役割を無理なく担っていく独特の関係性がこの頃からできていた気がします。日本でもこのツアーで、アコースティックデーを新宿厚生年金会館、そしてロックデーを念願の日本武道館!で行いました。バンドが大きくなったなあとしみじみ実感していたのもこの頃です。特にアコースティックデーがとても素晴らしく、未だ鮮明に覚えています。テイラーがイケイケだったころでビジュアルも満点だったヨ…。

その勢いで制作された、上記2枚組の間の子みたいな6枚目「Echoes, Silence, Patience & Grace」。RCAのえらいひとに、YOU! 5枚目の流れでロックとアコースティックを今度は一緒にやっちゃいなYO!! と言われて作成された1枚。売れてくると周りがいろんな話をするよね…。それでも見事その話を融合させた「The Pretender」でまたもセールスをぐんと伸ばし、バンドは最終的にイギリスのウェンブリースタジアム(8.5万人収容)☓2日を即完するまでになります。てか、UK人気がヤバい…と本人たちも含めて完全に気づいたのがこの時。未だに本当にすごい人気。ほんとすごい。なんでかすごい。

この時のツアーは1公演のなかで、ロックとアコースティックの2部制にしていました。日本公演は初の幕張メッセ単独公演。広かったねー!

ちなみに6枚目の絶対にライヴでやらない(やれない?)隠れ名曲の「Erase/Replace」が激推しです。久々に強烈なドラム曲で嬉しかった。「Let it die」も静から爆発的な動へのドラマチックな曲展開も大好きです。

これぞ完全無欠のフーファイ式”ガレージ”ロック!

5枚目6枚目とやることなすこと規模を広げて、挑戦が大成功に繋がったこともあり7枚目の「Wasting Light」は、原点回帰の大改造!デイヴん家のガレージを利用して、完全テープ録音で行われました。プロデューサーはブッチ・ウィグ。彼のフーファイを見る目は非常に的確で、この7枚目が特にサウンド面でライヴバンドとして確立した彼らの良さをしっかり反映させてくれました。このアルバムはオープニングの「Bridge Burning」から最後の「Walk」に至るまで、曲の良さも際立ちつつ、音のバランスがめちゃくちゃ良くてバンドとしてとてもいい状態なのが分かる作品。個人的に大好きなアルバムです。なんだろう…家で作るといい曲が多いんでしょうか彼ら(3枚目参照)。ゲストが素晴らしく曲に貢献したアルバムでもあり、元Sugerのボブ・モウルドの「Dear Rosemary」、元ニルヴァーナの盟友クリス・ノヴォセリックが参加した「I Should Have Known」、彼らの音なくしては、これらの楽曲は完成できなかった。特にクリスは冬眠明けの熊の雰囲気でレコーディングをしていたのですが、デイヴにこのとき引っ張り出されなければ、今の活動にも繋がらなかったんじゃないかなーと思ったりします。ちなみに時に笑えるレコーディング風景は是非「Back and Forth」を見てください(3回目)。何回もドジっ子する残念すぎるテイラーの「These days」が好きすぎる。デイヴんちのプールにメンバー全員お子様たちとわちゃわちゃ入ってる絵とかほっこりします。

かつ、この時期からネットに沿ったプロモーションも増え、レコーディングの進捗をTwitterで随時ツイートするというファンからしてもワクワクが止まらない日々でした。ガレージで録音したこともあり、ファンの家のガレージをツアーする企画まで敢行。リリース時には彼らのスタジオ606から全曲再現ライヴをネット配信する大盤振る舞いでした。

ときは2011年、東日本大震災直後となった4月リリースは延期などが相次ぐなか、日本盤は予定通りリリースされました。それがどれほどあの時期に心の支えになったか…ソニーさんにはとても感謝しています。

残念ながら2012年に予定されていた久々の単独日本ツアーは”諸般の事情により”キャンセル。あれだけ数年に1度、なんなら毎年、ってか1年に2回とか日本に来ていたはずの彼らの足が程遠くなっていったこの頃。世界的に人気が出てスタジアムに至るまで売り切っていたなか、日本は完全にお客さんの層が固まりきってしまい伸びていないのは事実でした。指をくわえて海外フェスの配信を見ながら、実に7年間も来日を待つことになったのです。

そこまでやる!? アメリカ周遊アルバムで20周年(だが空前の骨折ツアーに急遽変更!)

インターネットが生活の一部になると、あちらこちらからリアルタイムで情報が入ってくるようになります。「フーファイがシカゴにいる…メンバー全員でいるらしい」「シアトルのスペースニードルにみんないた!」「ナッシュビルでレコーディングしているらしい」等、リアルタイム情報からすでに度を越してアメリカ中での目撃談が乱発していたのが8枚目「Sonic Highways」でした。記念すべき20周年のアルバムは、アメリカ8都市のスタジオで1曲ずつレコーディングするスタイルで、さらにそれを各地の音楽背景とともに各地の著名ミュージシャンのインタビューも含めて映像化もするという大変な大プロジェクト。曲は予め練っておいたようですが、歌詞はその場所で感じたままにデイヴが書き下ろすスタイル。もちろんそんな無茶振りに近いレコーディングに付き合えるプロデューサーはブッチさんしかいません。毎曲違う環境でのレコーディングはさぞかし大変だったろう…と思いきや、いろいろやりたいデイヴさんにすっかり耐性と柔軟性のあるメンバーは楽しそうにやっていました。

8曲アルバムながら、環境の違いがいい意味で音にも顔にも出た多面性アルバムに仕上がったと思います。特にニューオリンズでの「In the Clear」とシアトルでの「Subterranean」は音にも曲にもとても良く地域性が出ていて大好きな2曲です。特にシアトルはデイヴにとっても思い入れが深い背景が大きく影響した曲になりました。

リードシンバリストのくだりは何回見ても笑える。今でもデイヴの中では曲を作る際に特にドラムトラックは頭の中で出来上がっていることが多く、テイラーならこうしたいだろうと考えてくれつつも、こうしてデイヴ自身が手をかけることもあるようです。

彼らの曲にここまで管楽器が合うとは…! と大発見させてくれたPreservation Hall Jazz Bandの音が素晴らしい。

そして満を持して20周年ツアーに出た彼らを待っていたのは、ツアー中盤でのデイヴの骨折…(前述の通り)。そのニュースをTwitterで見たときは血の気が引きました。6月に入ったところで、7月末には実に7年ぶりの来日となるフジロックが決まっていたのです。やっと、やーーーーーっと来日が決まったのに、また見れないのか…と不安で不安で仕方ない日々。次々とキャンセルされていくEU公演に涙目でした。

しかし、そこは我らが大将。このまま20周年を終わらせてなるものか、と専用台座を準備。ツアーに大復活したのです。こんなバカなことを大真面目にできるのは、ホントに彼らくらいしかいないです!

画像4

そして7年ぶりの来日となった日本公演。バンドは7年の間に見違えるほどに大成長していました。何度も何度も泣きそうになるのを堪えながら見たフジは、文句無しで歴代一番の日本公演だったと思います。ライヴバンドとしての強さは半端なく、ぐいぐい引き寄せられるパフォーマンスにファンの私ですら圧倒されたほどです。デイヴだけでなく個々の力もとても素晴らしく、このメンバーでなければ出せない音、とデイヴが豪語した理由がよく分かるライヴでした。特に、スタジアムバンドのドラマーとして地位を確立したテイラーのパフォーマンスは感極まるものがありましたね…。お母さんみたいに「よくやった…がんばったね…」と何度も思っていました。骨折しているデイヴを、さりげなくずっと気遣い続けていたメンバーの姿も印象深かった。

個人的に、このあと初の海外遠征でカナダ2公演を見てきました! どうしても単独公演が見たかったのと、海外で彼らを見るのはずっと夢だったのです。ブート盤を買っては、海外の熱量の高いお客さんと一緒に見たくて、それが実現できたのは本当に嬉しかった。

そういえば、2015年の来日時にはハイレゾのキャンペーンキャラクター(笑)になったため、銀座ソニービルでこーんなでっかいビルボードだの展示だのやっていました。。

画像3

銀座のど真ん中に仲良し満点なこれがあるのはすごく妙で不思議な感じでしたね…。(いいもん作ってもらってソニーさんには感謝!!)

デイヴが心身ともに極限まで頑張り続けたツアーも無事に終わり、感謝の無料EP「Saint Cecilia」をリリース。デイヴのいろいろやりたい病のおかげか、毎度つきまとう解散説で急にもりあがったのが、デイヴが骨折からだいぶ良くなったとネットで目にするようになった頃。オスカーでデイヴ単独で演奏するという話がでたときでした。そこに、バンドから重要アナウンスがあるというツイートが! そこに公開されたコレ。

ブッチさんまで巻き込んで何をやってるんですか…。途中のメンバー同士での「それ本音だろ!?」ていうデイヴへの悪口に大爆笑。まあ、なんでも倍返しがフーファイの鉄則なんです。

すべてが予想外で斜め上に行った9枚目

そして、誰しも予想外だった9枚目のアルバム「Concrete and Gold」は今やどこで何をやっていてもネットに情報が流れてしまう昨今に、まったくなんの前触れもなくアナウンスされました。忘れもしない東京からの帰りのバスで、突然の公式アカウントの通知を見たら、このMVだったからね…

ヲイ、爺さんズになってるぢゃねえか!! 過去最高の変装MVとなった「Run」…新曲ができあがっていました。となると、アルバムもでるんかいーーーー!!! 20年過ぎても未だにこれだけびっくりさせられるとは…と遠い目をしながら、注目すべきはその音でした。すでにこのMVがやりすぎ感のあるヤバさだったのですが、やたら音のレンジが今までのそれと違う…! 今までの流れとはまた違うなにか、というかなんかやたらToo muchな何かがある…。その理由がコレでした。

※字幕で日本語も選べます。

まったくの業界違い、しかし敏腕プロデューサーのグレッグ・カースティンを起用。細かいことは全部彼に投げてみたゆえの、ありえないほどのいろいろが詰め込まれていました。なんなんこの壮大なコーラス軍。最初に聴いた時は一点を見つめながら笑ってたよ…。良い意味でやりすぎなのは彼ららしい面でもあるので、上手くそれを落としこんでくれたグレッグの手腕はすごかった。曲自体はやっぱりちょっと時間がなかったのかな…と思ってしまう部分はあるのですが、それでもこのアルバムを作った意味は大きかったと思います。

この9枚目からキーボードのラミが正式メンバーとして加入。加入して即、爺さんにされてますが、彼は5枚目からずっとバンドに帯同していたので、デイヴもテイラーも「なんか正式メンバーじゃないのがむしろおかしかったね。ずっと一緒だったし」みたいになってたけど、ついにバンドとして6人編成に! ステージではコーラス女子が3人+デイヴの娘もいるので、MAX10人くらいになって大所帯になるのです。デビュー当時のメンバーの出入りの激しさから、3人のステージや、少しずつメンバーが増えてきた過程を思えばとても感慨深いところがあります。

今のフーファイはとても雰囲気が良く、そこにはデイヴが常にメンバーのことを気遣い、いい状態で演奏できるように心がけている様子も伺えます。長いツアーでもライヴ前には、必ず皆で何かしらをネタに笑うようにしているんだとか。勿論デイヴの要求は変わらず、特にレコーディングでは厳しい一面もあるけれど、常にしっかり応えているのが今のメンバーたち。フー・ファイターズは彼らだから出せる音、とデイヴはインタビューで話していました。そして、このメンバーでずっとやっていく! と。

フーファイはよくできたバンドだと言われることもありますが、やはり紆余曲折は多くあり、過去と理想に縛られて何度も行ったり来たりもしました。今やデイヴは笑顔でニルヴァーナ時代の曲を演奏するまでになり、たったひとりで始めた”バンド”は、心から信頼できるメンバーと共に、自らが名付けたフー・ファイターズとして世界屈指のロックバンドにまでなったのです。彼らのライヴで垣間見れるとんでもない音の強さはこの25年のなかで培われた絆の強さでもあると、いつも感じています。これから先、何があるかはわからないけれど、ファンとしてはずっとこの先25年も見ていけたらいいなと思っています。リアル「Run」MVの爺さんズのような老後でいてほしいな。

ちなみにリリースが延期になっている25周年の新譜は、デイヴ本人曰く「全曲アンセムでシンガロング推奨!のアゲアゲアルバム」になっているんだそう。これが無事にいつかリリースになるかどうか!? 今後乞うご期待です。


■紹介した映像作品(Youtubeに全編あがっていないもの)

■CDはこちら…! (気になったら廉価盤出てるから是非国内盤買ってください…!)