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老親の介護問題が訪れました

年末、30日に母(89歳)が肺炎になり緊急入院しました。
一時期、「覚悟しておいてください」的なことを言われたりして、ああ、いよいよ看取りの時がやってきたのか、と思っていましたが、転院して、お薬を変えたとたんに、なんとか回復の兆しを見せ、退院の話も出始めました。

退院しても、入院前のように89歳どうしの夫婦が二人で生活するのは困難で、自力でトイレにも行けなくなっている母の世話を同じ89歳の脚も弱った父だけではできません。

離婚してからずっと両親や姉には、家賃がもったいない。同居をなぜしないといわれていたけれど、ずっと拒否をしてスープの冷めない距離に住み、両親が後期高齢者と呼ばれる歳になってからは、ほぼ毎日通って買い物を代わりにしたり、話し相手をしたりしながら様子を見る、をしていました。
そんな毎日見守っているよ、何かあったとき近いからすぐ飛んでいくよ、という私の存在は、なんの役にもたっていない、役立たずだと姉に言い切られ、腹立たしさを通り越してショックを受けたのはついこの間のこと。

病院の付き添いなど、事務的なことを姉に任せて、私だからできる見守りをすることで、役割分担してきたつもりでしたが、姉にはそう思ってもらっていず、自分だけがしんどい思いをしてきた、と思わせていたようです。

両親が外出は殆どしなくなったものの、家では自炊もでき、二人で自立生活ができているからこその役割分担だと思ってきたのですが。

病院で看取る覚悟を宣告されていた母が、転院後、回復。そうなると入院をさせてくれない病院から、退院後の両親の生活の話も出てきました。
母が退院してきたら、もう、父だけでは母の面倒はみられません。
独り身で好き勝手していると思われている、ましてや比較的時間の自由のきく仕事をしている、これまでなんの役にも立っていないと思われている私に、89歳の親と生活をする役割が課せられました。

現在、父だけが暮らす実家と母の病院に、自分の意思で毎日通っていますが、通うのにも疲れてきた、というのが正直なところです。
両親二人で暮らしていれば、何かがあれば、片側が電話で私を呼ぶことができるけれど、父一人ではそれができません。
なので、夕方、買い物をして一緒に食事をし、父が入浴している間待ち、寝室に戻る頃に、自宅に帰っています。
自宅に帰るより、二階にあがる、の方が楽かなあと思いはじめたのも正直なところです。
いえ、そう言い聞かせているのかもしれません。

高校を卒業と同時に、寮生活、寮を出た後もずっと実家には戻らず一人暮しを通し、結婚してしまったので、そして離婚後も実家に帰らなかったので、親との同居は高校以来です。
高校2年の時に引っ越してきた今の実家は、1年半ほどしか暮らしていません。なので、親の家ではあるけれど、あまりなじみがありません。
もう、2人だけの生活ができなくなっている89歳の両親。

これまで同居を拒否し続けたのも自分の選択。
そして、今、同居を決めたのも、まだ心は揺れてはいますが自分で決めたこと。
「自宅の家賃が要らなくなって楽になるわ」と、常々言われてきた言葉を心の中で呟きます。
人って、正直、得るものと失うもののバランスが取れていないと何事も続きません。私の中での得るものは、家賃が要らない。

しかし、自分が稼いだお金をどう使うかは一人一人違います。旅行を楽しみにするひと、ファッションにこだわるひと。私は犬猫がいるのもあって旅行もしませんし、ファッションもさほど興味がありません。
そんな私は家賃を払って、自分の「家」を持つことを選択してきました。
家賃が要らないだけではきっとバランスは保てません。
自分がのちにより後悔しない方を選ぶ、が今の選択の主軸なのかもしれませんね。私の場合はそれが同居という選択だった。

マンション暮らしになれているので、一軒家の生活になじめるだろうかとか、風呂もトイレもマンションと比べるとかなり使いづらく古くなってもいる。ああ、あそこもがたが来ている、ここもがたがきている。
すっかり古くなって、両親が年老いて誰も上がらなくなった、同居したら私が使う二階。開きにくくなった雨戸。破れまくった網戸。
そうか、両親も家と一緒に年老いてきたのだなあと。

その押入れも、もう使わない布団や服だらけ。私の荷物なんて収まりそうにないなあ、なんて見回しながら、やはりため息が出てきます。
使わなくなった布団や服などを捨てることを拒む両親。
押入れは全て、そうしたもので埋まっています。多くの高齢者が似たようなものなのだそうですが。
同居するためには、私のものを捨てて行くしかありません。

とにもかくにも、母が退院できたとして、母がどこまでこれまで自分でできていたことを退院後もできるか、それが今一番の問題です。まあ、入院前から、父に依存していて、何もしない人でしたので、だいたい想像はつきますが(笑)
「死んでもいいから、家に帰りたい。こんなところに閉じ込めて」と病室のベッドの上で文句炸裂。口は元気な年寄りです(笑)

ワンコたちはお庭があるので喜ぶかもしれませんが。

実家の庭も両親が足腰が弱ってから荒れ放題。目につく玄関周りだけでも綺麗にしないと、な庭ですが(笑)

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大げさですが、そして所詮賃貸ですが、私はといえば自分だけの世界、自分の城がなくなってしまうことに、少し落ち込んでいたりします。
何をもったいないと思うかひとそれぞれなので、家賃がもったいないと思っている親や姉には分かりづらい感覚かもしれません。そして「住んでもらう」ではなく、「住ませてあげる」「住ませてもらうんだから」な感覚が強い両親や姉ですし。また、同居については私もその感覚をしっかり持ってしまっている。実家は親の家であって、私の家、世界ではないのです。

自分の世界を持つために家を出た私。
良いことも悪いことも色々経験しながら、自分の世界を大切に育んできました。
子ども達が巣立ってからも気楽な独り身の一人暮し。それが終わろうとしています。

私がいるところが私の世界。
実家だと、なかなかそう思えない。居候感覚が拭えません。
自由な生活が長すぎたのかもしれませんね(笑)
親子であっても姉妹であっても、生きてきた世界が違うと、生活様式は当然のことながら、価値観や感覚は大きく異なっていきますから、すっかり親や姉とは異質な存在になっている私。

私がいるところが私の世界。そう思えるように、自分を大切にしながら、同居生活のリズムを整えていけたらと思います。

こんな記事を書くと、大変そうだわと、カウンセリングの予約を控えられる方がいますが(これまでも、皆さんそうでしたから)、仕事と犬猫が生きがいと豪語する私にとっては、仕事があることが張り合いになります。気遣いは要りません。カウンセリングも、執筆も、これまで通りよろしくお願いします。
仕事という自分の時間と世界をこれからも軸に置いて生活していくつもりです。
自分の生きがいや生活を犠牲にしてまで、介護に没頭してはいけないと思っています。

仕事をしながら介護をするということは大変だろうと思う人が多いかもしれません。しかし、人は、仕事であったり、自分だけの時間があったりすることによって、優しさを忘れずに介護もできる。
仕事を続けながら、自分の時間をちゃんと持ちながら、老親と向き合うことの大切さをしみじみ感じます。
システムとして、そうあるべきなのに、同居人がいると使えなくなる介護サービスが一気に増える。びっくりです。
国が同居人に負担を強いる。それ自体本当におかしなことだと思います。
会社勤めの方が介護のために離職せざる得なくなる、そんな話をよく聴きます。企業における介護ハラスメントなんて言葉まで。それだと、社会は衰退していきますよ。
いずれは自分も歳を取る。それを踏まえて、企業含む社会は形を変えていかなければならないのではないかと。

介護も育児も、本当に必要な形で存在していない、そんな日本の福祉を、子育てをしてきた母として、そしてこれから介護を担う娘として痛感しています。

今の年寄りは金持ちだから高齢者の年金を減らせ、高齢者福祉に金を使うな、という声もTwitterなどで見かけます。高齢者福祉を削った予算が本当に若者に回るのでしょうか?自分たちが高齢者に到達した頃、高齢者福祉が希薄になった社会でどう生きるというのでしょう。
それこそ、昔見た映画「ソイレントグリーン」の公営安楽死施設「ホーム」が建設されて、削られた年金では生きていけない高齢者がホームへ、なんて時代が近い将来来てしまうかもしれませんね(笑)

なんて、書いている今、実はまだ引っ越しの準備は何一つしていなかったりします。
2月末で出ます、の通知さえ、管理会社にしていません…覚悟を決めて通知しなければ。

どこかで、今の生活を手放すことに拒否反応が出ているのかもしれません(笑)

【拙著】


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サポートありがとうございます、うちのワンコにジャーキーを、にゃんこにチュールーを買わせていただきます。

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カウンセラー・作家。カウンセリングルーム「おーぷんざはーと」(大阪)1991年設立(https://othpage.com/)。著書「モラハラ環境を生きた人たち」(而立書房)「カウンセラーが語るモラルハラスメント」(晶文社刊 現在9刷)他 共著あり。執筆依頼、お待ちしています。
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