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容姿コンプレックスで合コンで一人だけ相手にされなかった私がハイスペ男子から初デートで告白されるようになった話

はじめまして、容姿コンプレックスで合コンでは一人だけ相手にされなかったのに

今ではハイスペ男子から初デートで告白が当たり前になったターキーです。


私は、自分のことをブスなので誰よりも我慢し努力しなければならない、何か提供しないと必要とされない人間なんだと周りの人の幸せを妬んで、

「生まれつき不利に生まれたんだからもっと頑張れ」と自分に鞭を打ちながら、ずっと生きることに息苦しさを感じていました。

そんな私が、
ちゃんとできない自分にOKを出して嫌な事を少しづつやめてみたら、何より自分が笑顔になれる考え方や生き方ができるようになり、

今まで相手にもされなかった男性からも懇願されてデートに誘われるようになったり、年に半分はニート生活でゆるーく幸せに生きれるようになった、

お話を書いていきます。

まず簡単に私のプロフィールを書いておくと

・元地味OLで働きすぎてヒステリー
 →年に半分はニートでニュージーランドやチェコ、カナダでの海外生活

・恋愛では尽くさなきゃ捨てられるという思い込みの塊
→朝は好きな時に起き「ご飯は何食べたい?」と彼が尽くしてくれることが当たり前に

・ブスは陽の目を見てはいけない!我慢ばかりしていたのに愛されない
→複数の男性に愛され尽くされるようになった経験から”愛され講座”を開講

・部屋を片付けられない、料理もできない私はお嫁にいけない!と思い込み、
 男性に嘘の家事出来るアピールしてたけど全くモテなかった
→欠点と思われることをすべて曝け出すようにしたら「正直でいいね」と逆に好感度が上がり、必ず次回のデートに誘ってもらえるように

・会社でサボらず真面目に働いてたのにいじめの標的
→遅刻したり嫌な仕事を断っても「来てくれるだけでいいよ」と言って大事にされる存在に


こんな感じで、数年前の私からしたら想像できないくらいの大変化を遂げました。


過去の私のように自分が嫌いで、自分なんかは愛されないと思い込んでいる女性の心を少しでも軽くしたい!

私は愛されて当然の女性だと感じて欲しい!


そんな思いで、ここからは私の今までの経歴や具体的にどんな行動をしてきたのかについて書いていきます。


できるだけ赤裸々に曝け出して書いてみましたので、エンタメ感覚で読んでいただけたら嬉しいです。

1.「容姿コンプレックスの塊」暗黒の学生時代
2.新卒でブラック企業へ入社、派遣先でのいじめ(発達障害の発覚)
3.一切モテなかった婚活時代
4.闇から光へ
5.そして現在

1.容姿コンプレックスだった、暗黒の学生時代(幼稚園~中学)

自分が世間的に見たら容姿に恵まれてないと気がついたのは、幼稚園くらいからです。

肌も色黒で髪は真っ黒の癖毛、そのうえかなりの短いショートカットだったので、よく男の子に間違われました。

全身の毛が本っ当に濃かったので「マンモスみたいに恐ろしく濃い」と言われて、男の子からもいじめられてました。(泣)

他の女の子達と一緒にセーラームーンごっこしたいのに、男の子みたいな見た目だったので女の子の間でも仲間はずれにされました。

私だってプリンセス扱いされたい!!!

髪がストレートでキラキラのアクセサリーをつけている可愛い女の子に憧れました・・・。

でも現実は全く真逆。

その時から私は、生まれた時から人はそれぞれ配役が決まっていて「私はお姫様のようにはなれないんだ」と思い、いつも一人で公園でブランコに乗って遊んでいました。


小学校5年の時に、親の都合で転校しましたが、その学校でいじめにあった私は不登校になってしまいました。

なんとか学校に行かなきゃと頑張って学校に行ってみても、周りは可愛い子ばかり。

私が通っていた学校は、なぜかの顔面偏差値が高い美女ばかりいる学校でした。

私自身その中にいるのが嫌で苦痛でしたが、そんな私を見て「美人に生まれなくて不憫な子」と母が哀れんだように言ったのが悲しかったです。


中学に上がって、印象的な出来事がありました。

安室奈美恵ちゃんみたいな顔の小さな可愛い子がいて席が隣、その子と比べられては「顔が二倍くらい違うよ」とからかわれました。

その子はみんなからちやほやされてるのに私はからかわれる対象。

その事実と彼女がちやほやされている様子を見て、「カースト制度の上に行くには容姿が必要なんだ」と思い知りました。

「整形しなきゃ!私はこの世の中で幸せになれない」と容姿に対するコンプレックスがより深くなった出来事でした。

またその頃、顔にニキビが増えてしまったので、自分の顔を鏡で見るのが今までよりも嫌になり、鏡を見る度に落ち込みました。

容姿以外にも、部屋の片付けができない私に、「なんで片付けられないの。こんな汚い部屋だと嫁にいけない」と祖母や両親からはよく怒られてました。


容姿に恵まれずに生まれた私は人より頑張って勉強しなきゃいけない!

せめて家事ができるようにならなきゃダメだ!

どうせ私は一人で行きていくしか道はないんだ・・・。

そう自分の人生を諦めてしまってました。


高校では青春っぽいことしたいなと期待を胸に入学したけど、全然なじめませんでした。

その頃から両親の不仲がより一層強まり、いつも仕事で忙しくしていたので、家であたたかいお母さんの手料理を食べることはなくなりました。
食卓にはお金がおかれていて、毎日コンビニ弁当を食べてました。

食生活の乱れからか自律神経も乱れてしまい、学校に行く度に腹痛がおこりました。

学校では容姿でからかわれ、私の居場所はどこにもないんだと思うようになりました。


下痢を繰り返す日々が始まり、通学のためにバスへ乗っても「いつトイレに行きたくなるかもわからない」と恐怖でバスに乗れなくなりました。

そこからまた不登校が始まりました。


「容姿が恵まれてないから、学校の勉強だけは頑張りたい!良い学歴だけは守りたい」と思っていたのに、不登校になったことで学校の授業についていけなくなり絶望しました。


どうやったら楽に死ねるんだろうとそんなことばかり日々考えていました。


その後、不登校が続いた私は通信制の高校へ転校。

今思い返しても、高校3年間は私にとって楽しい思い出もなく、ひたすら孤独だったし、入学した時は青春を感じれるような友達や彼氏との出会いを夢見てたけど、友達はおろか恋愛もできなかったし、とにかく生き延びることだけで精一杯でした。


通信制の学校でも真面目に勉強を続けた私は、なんとか人に言っても恥ずかしくないそこそこのレベルの大学に入学ができました。

大学では、過去のことは全部捨てて、新しい私になるんだ!

今までの悲惨だった学生時代の思い出はすべて消し去りるんだ!という意気込みでした。

自分に自信がなくていつもいつも不安だったし、とにかく他人軸で人の価値観にすべてあわせていたので、そんな私ではダメだ!また同じようなことは繰り返してはいけない!と新しい自分にならなきゃ!と自分自身に呪いのような暗示をかけ続けました。

その頃「いつも疲れているよね」って周りからよく言われていたけど、心の中では「顔面偏差値が高く生まれたあなたたちとは私は違う!」「私は、他の人より頑張らないと幸せになれない!」んだと思い込んでました。

勉強はもちろんの事、人から良いと評価される事は、楽しくなくてもやりたいと思えなくても、闇雲に、とにかく、ガムシャラにやってました。

周りが同年代の男性と付き合っているのを横目に、私は”最短”で”人が羨ましがる”ような彼氏と付き合いたかった!!!

でも、その頃はもちろん全然モテなかったです(涙)

同年代の子にはよく容姿でからかわれていたし、私の過去を払拭するには”同年代の子から羨ましがられる彼氏”が必要!!

そう思い込んだ私は、英語の勉強もかねて友達と行ってみたクラブで一人の男性と出会いました。

”クラブに来ているような華やかな人と付き合えば羨んでもらえるんじゃないか”

そう思い込んでいた私は、その場で誘われるがままに連絡先を交換し後日会うことになり、そのままお付き合いをすることになりました。

私にとっては初めての彼氏です。

彼は、社会人で銀行勤め、やっと手に入れた”社会人の彼氏”。
周りの友達からは予想通り羨ましがられたけど、全然大事にされなかった。

今思えば当時の彼は、彼なりに大事にしてくれていたとも思うけど、その頃心にぽっかり穴があいてた私は「もっともっともっと大事にしてほしい」と自分の穴を相手からの愛情で埋めようともがいてた。

理由が分からない不安にいつもいつも苛まれて・・・苦しい!!!

相手に「こうして欲しい」って要望を自分から伝えもせずに「私のこと愛してるなら私の望んでいることくらい察してよ!私のこと愛してないんでしょ!」と詰め寄って自分の望んだ答えが返ってこなかったら「もう別れたい。」と自分から別れを切り出した・・。

でも、社会人になったら”もっと私を大事にしてくれる良い企業に勤めて誰もが羨むような人”と出会えるはず!そう思っていました。

その人と結婚したら、きっと今までの辛い過去に悩まされてきたことも全部忘れられるはず、とただただ幻想を抱いていました。

自分のことは一切見ずに、相手にばかり求めていたんですよね。

2.新卒でブラック企業へ入社、派遣先でのいじめ(発達障害の発覚)

就活中にリーマンショックがおこり、就活がうまくいかず、どうにか就職できたところはいわゆるブラック企業でした。

休みはほとんどないし、職場で暴力のようなものあった。

ほぼ週7勤務で朝の8時から22時まで働く、月のノルマは700万。

今まで自分に我慢を強いてきた私も、さすがにこの会社はやばい・・・と2ヶ月で退職。

でも時代は、まだまだリーマンショックで不況。

新卒の会社をすぐに辞めた私を雇ってくれる会社を見つけるのは難しかった。

その時転職のため面接を受けた会社の多くの面接官からは、

「大学をちゃんと卒業しているのに、今は就職が難しいんですか?TOEICの点数も高いのに大変だね」と同情されながらも、

「大学卒の女子とかいらないだよね。高卒・短大で安く・プライドなく働いてくれる人がたくさんいるんだよね。今は「お願いだから働かせてください」と言う人が溢れている不景気なんだよね。」

その面接官の言葉から「私って世間からいらない人間なんだ。」と深く傷付きました。


ハローワークから就職先を探しても、この時代に正社員は厳しいですと言われてしまい、
「派遣社員として経験積んだ方がいいですよ」とアドバイスされ、とりあえず派遣社員として働き始めました。

派遣先では、私の上司になった人が「良い大学で出てるのに、リーマンショックで派遣になっちゃて可哀想な子なんです~。」と、私を周りに紹介。

高卒の女性が多く働いている派遣先で、頑張って周りに合わせていたつもりだったけど馴染めなくて、仕事を直接教えてくれる女性が私をいじめるようになりました。

常に私に敵意を剝き出しにされ、書類は投げて渡されたり、その上司が失敗した責任を私に擦り付けられたり、全員に渡すお土産やお菓子も私だけ渡されなかったり・・・

ことあるごとに「良い大学出てるのにね」と嫌味を言われる日々でした。

周りはいじめに気が付いてたと思うけど、誰も私を助けてくれなかった。

でも私自身も、途中からいじめに対して怒りも悲しみも何も感じなくなってきた。

今までずっとコンプレックスばかり抱えてきたので「私ってそんな扱いされて当然の人間なんだ・・・誰も私を大事にしてくれない。それが当たり前なんだ。」と現実が辛すぎて、半ばマインドコントロールのように「仕方ないんだ」と自分に言い聞かせました。

最初に入った会社をすぐに辞めてしまった根性がない私が悪い。

大学を卒業したのに正社員になれなかった私が悪い。

派遣社員としてもまともに働けない私が悪い。

そのうち仕事中は、2時間おきに頭痛薬を飲まなきゃ頭痛が収まらなくなりました。

我慢我慢我慢・・・・私は何もできないんだから周りに合わせなきゃ、こんな私には価値がない、辛くても誰にも弱音を吐けない、ましてや断ることなんてNOなんていえない。

自分の誕生日でも、気が進まない会社の飲み会が嫌でも断れなくて、トイレで泣いたりずっと吐いてたこともあります。


そんな辛い中、親から
「昔から、あんただけ育てにくかった。それは発達障害だと思う。一緒に検査しに行こう」
と言われました。

そんな検査受けて私には何になるの?

あなたが、自分の子育ては悪くないと思いたいだけなんでしょ、そう思いながらも病院へ向かった。

診断は「ADHD」だった。

昔から、ブスでいじめられてきたし、不登校で高校も中退、なんとか大学は卒業できたのに新卒でブラック企業に入社してしまい躓いて、やっと再就職できた派遣先では毎日いじめにあって・・・今まで良いことなんてひとつもなかった。

欠点だらけの私の人生に、またひとつ欠点が追加された。

みんなが楽しそうに人生を謳歌してる中、私は障害者なんだ・・・。


街で障害者らしき男性の方が、小銭をばらまいで、周りが助けていた。
そんな彼を見て、彼と私は変わらないのかな。

そう思うと急に涙が溢れて止まらなくなった・・その場で号泣してしまった。

兄も妹も発達障害の陰もなく、至って普通。

なんで私だけ!!!!

こんな風に私を産んだ親が憎い!!!

やっぱり私は周りと違うんだ。

可愛い可愛いって愛おしく育てられて、大学卒業して一流企業に勤めて、素敵な男性と結婚して・・・そんな周りの友達みたいに私はなれないんだ。

そんな現実を見ていたくなくて、大量のアルコール飲んで気を紛らわした。

飲み過ぎて救急車で運ばれたこともあります。

この時からより一層、私は私を隠そうと決めました。

世間からこれ以上ズレたらいけないんだと。


3.一切モテなかった婚活時代

ADHDと診断されて落ち込んでいた私でしたが、死ぬほど頑張れば隠しとおせる!こうなったら唯一、私が幸せになる方法は結婚しかない!!そう思い込み、婚活を始めました。

でも現実は残酷。

・友達に誘ってもらった合コンで友達は男性からちやほやされているのに、私だけは一人でぽつんを取り残される。

・婚活パーティーでもフリータイムにずっと一人でぽつん。

・街コンで出会った人全員にメッセージ送るも一通も返って来ず。

・私以外の友達は街コンで彼氏ができたり結婚したりしている。
 その友達の結婚式は辛すぎて参加できなかった。

・やっとデートできる人ができた。しかも有名企業。
 でも2回目のデートでやり捨てされ音信不通。

・親友の結婚式に参加しても一人だけ取り残されたような気がして心から喜べない。


ブスがわがままいったらいけない。

ブスなのに自己主張激しいとか許されない。

我慢し相手に尽くすことが私の武器だ。

欠陥人間の私は「自分が好き」とか関係ない。
時間を割いてもらったんだから楽しくなくても、ありがたいと思わなきゃ!

面白くなくても精一杯笑わなきゃ!

私が盛り上げて楽しい会話しなきゃ!

苦手だけどめっちゃ頑張れば少しはできるんだから、家事できますアピールしなきゃ!

必死に「あなたに尽くす良い奥様になります」アピールを繰り返した。


欠陥人間の私には、
良い人はつき合えないんだから、性格が悪い人か、容姿が、デブかハゲだろう。

結婚は地獄だろうけど、世間から「ちゃんと結婚できた女性」として見られることが大事だとそう思い込んでいた。

でも実際の私は、

部屋は荒れ放題だし、食事は外食かスーパーのお惣菜。
お酒大好きで酒癖は悪いし、趣味は海外旅行でお金がかかる。
休日はパジャマでポテチとお酒飲みながら映画見たり、マンガ読んでるのが好き。


でもそんな自分のことは、絶対にバレたらいけないと思っていた。


聞かれてもいないのに得意料理を言ってみたり、会社にはお弁当作って持っていったり、「お酒はたしなむ程度です。休日はお料理教室や女友達とショピング~」なんて言ってたけど、全部嘘。

今思えば、それもきっと相手にはバレていたんだと思います。


私の方が我慢して頑張ってるのに、なんで周りばかりが簡単に幸せになっていくんだろう。

私はなぜ幸せををつかめないんだろう。

周りが羨ましい!!!!

こんな自分なのは、私の人生がうまくいかないのは、全部親のせいだ!!!!

こんな私に生んだ親のせい。

生まれ変わりたい!!こんな自分が嫌い。

誰かこの辛い世界から私を連れ出して欲しい。

素敵な男性が現れて、結婚したらこんな私でもきっと幸せになれるはず。

たくさん努力して我慢してすべて相手に合わせたのに婚活中は全くモテなかった。

この時の私にとって”生きる”とは、”苦しい”ことだった。


4.闇から光へ

ちょうどその頃、合コンで知り合った人に一冊の自己啓発本を進めてもらい読んでみました。

今まで自分が不幸なのは容姿や障害や親のせいだとすべてを何かのせいにしていた私は、そこで初めて、自分の人生を自分の足で歩き出すことになります。

自己啓発のセミナーに行ってみてどれだけ自分が「自分を大切にしていなかったのか」ということ知りました。

そこの講師の先生におすすめして教えてもらったのが、小田桐あさぎさんのブログです。

初めて読んだときは衝撃でした!!!!

床に捨てたティッシュすらも自分で拾わない!?!

犠牲と我慢は女をブスにする!?!!

私は、婚活では”我慢と犠牲”が一番大事と思い込んでいたのになんということ!?

自分のダメなところをこんなにも曝け出して、夫にも愛されれてたくさんのフォロワーさんがいて人気者・・・そんなことある!?

とにかく今までの私の人生の当たり前が音を立てて崩れていきました。

その時から私は自分が今まで当たり前にやっていた行動を少しづつ変えていきました。

まずやってみたことは、
「スーパーで価格も見ずに直感でいいなと思ったものを買うこと」でした。

それも普通のスーパーではなくて私にとっては高級スーパーの”成城石井”。

ナッツと野菜、高級チョコ、メロン・・・
とにかく当時、私が好きなモノをカゴに入れたらお会計はなんと5000円。

当時、節約志向だった私は、「お金を使う女はダメな奴」だと思い込んでいたので、
いつもスーパーでは値切り品か女性として人に批判されない健康志向の食品しか買ってい
けないと思い込んでいました。


周りから見たら小さな一歩かもしれませんが、”安いか世間から批判されないもの”しかダメだと思い込んでいた私が、自分に向き合って、自分を大事にしていくことに少しずつチャレンジしてみました。

勇気を出して「自分がどうしたいか」と考えて行動をするようになったら、少しづつ現実が変わっていきました。

「気が進まなかったら断ってもいい」と自分に言い聞かせながら、会社の飲み会を断ってみたり、体調悪い日は早退させてくださいと凄い勇気出して言ってみたりしました。

どれも震えるほど勇気が必要な行動でしたが、びっくりすることに誰も私を怒ったり批判したりする人はいなかったんです。すんなり受け入れられたんです。

もしかしたら今まで私が苦しかったのは、自分の気持ちに勝手に自分の中でダメだと決めつけていただけかもしれない・・・。

そこで私は、長年ずっとやりたかった”海外に住んでみたい!”という夢を叶えるために、悩んだ末に会社も辞めてワーキングホリデーでニュージーランドに行くことを決意しました。

ニュージーランドでは、今までの私の人生からは考えられないくらいの幸せな日々が待っていました。

花束をもらいすぎて部屋に飾るスペースがないくらい男性にモテるようになり、

私のことを本当に心から大切にしてくれるチェコ人の彼氏ができ、EU移住。

ビザが降りるまでは働けなく家事も神彼氏が9割やってくれていたので、私の人生が大きく変わるキッカケになった小田桐あさぎさんが主催する魅力ラボというオンラインサロンに入ってみました。

そこで自分は数年前から比べたらある程度は幸せだし・・と思っていたけど、たくさんの人と関わる仲で「私ってまだまだ自分のことが全然分かってないんだな」と衝撃を受けました。


私も、もっと、もっと、幸せになりたい!!!!


そうなるために、実際に小田桐あさぎさんに会いに行って3か月の講座を受けてみました。

「ありのままの自分に自信がない」

「本当は今の自分がまだまだ嫌い」

「私の不幸はすべて親のせいと思っていて恨んでいた」

そんな今までは見たくなくて目を伏せていた自分の本当の気持ちに気が付きました。


そして、どんどん自分と向き合っていく過程で、

私は初めて、

「親がもっと私に愛情をかけてくれていたらこんな自分ではなかったはず」だし

「親のせいで私は幸せになれない」

そう思い込んでいてすべて親のせいにして生きてきた自分にも気が付きました。

最初そう気が付いたときは、衝撃と恥ずかしさで居ても立っても居られませんでした。


今まですべて親のせいにしてきたけど、そうではない、

本当に向き合うべきは”私自身”だったんです。

そこから更に私は自分と向き合うことを始めました。


例えば、
「頑張らなきゃ認めてもらえない」と思い込んでいた私は、「仕事を真面目にしない人」が許せませんでした。

そう、だから私自身もいつも心も身体もくたくたになるまで仕事をしてさぼれない人間だったんです。

なので「仕事をさぼる」ことを自分に許す行動をしてみました。

まずは、仕事中にトイレで携帯を触ってみる。

そんなこと今までやったことなかったからそんな小さなことでも初めは緊張しました。

でもびくびくしながら続けてみても周りは全く変わりませんでした。

そこで「別に私が仕事をしてもしなくても周りの人は私を嫌わない」ということに気が付いたんです。

今までは「死にもの狂いで仕事をしなきゃ受け入れられない」という気持ちが大きかったけど、フラットな気持ちで会社にいることができるようになりました。

次は、
他の人からしたら普通かもしれないけど、仕事にやる気が出なかったり一生懸命できない時があると自分を責めていたんですが、そんな自分も許すことにしました。

そしたら気持ちが楽になって、だんだんと会社でも笑顔が増えて、なんと男性社員にご飯に誘ってもらえるようになりました。

今まではからかわれたり馬鹿にされる対象だったのに「頑張らなくても愛されるんだ!」ってことを実感した出来事でした。

今まで誰も助けてくれない!!と必死になって一人で頑張っていたけど、「女性は笑顔でいたら愛されるんだ」ってことを知りました。


その時はまだニュージーランドで知り合ったチェコ人の彼とお付き合いをしていたけど、彼にも愛されながら、他の男性に誘ってもらったら美味しいご飯をご馳走になったり、楽しく過ごしていました。

「自分の器が狭いからって相手の器まで狭いと思うな」
とメンターから教えてもらって、人に甘えることもできるようになりました。


そんな彼とは今後の生活への価値観の違いで最終的にはお別れすることになったけど、私が「何もしなくてもありのままで愛されるんだ!」ってことを教えてもらったのは彼なので、今でも彼にはとても感謝しています。

5.そして現在


彼との別れを機に、私はもう一度本格的に婚活アプリを始めてみました。


前にアプリで婚活していた時は

「容姿のコンプレックスが欠点なのに、ADHDなんて発達障害ってことがばれたら私はもう誰にも愛してもらえない!結婚なんてできるはずがない!!」

って思ったから隠し通していたのですが、

今は「ありのままの自分」を愛せることができたので、曝け出す方式でプロフィールにも人から欠点と思われるようなことをすべて書いていきました。


・包丁と鍋をもってないくらい料理はしません。

・お部屋の片付けできません。

・こんな私でもいいと言ってくれてお世話をしてくれる彼募集中です。

初回のデートでも少しドキドキしながら「本当に部屋が汚くて」と曝け出したら、「家事なんて外注したらいいんですよ」と意外に好意的な人が多くてびっくりしました。


更にびっくりすることにいわゆるハイスぺと言われる方や経営者の男性から、

「”料理が得意です”とか”趣味が女子会”ということを書いている女性ってたくさんいすぎて、全然興味がわかないんだよね」

「逆にそこまでプロフィールに曝け出してくれる人って珍しいからぜひ会ってみたい!」

と言われるようになりました。


しかも驚くことに

「今はほぼニートみたいなものです。」

「自分のやりたいことしかやりたくないと思ってます。」

と今までだったら絶対に言えないような私の意見を伝えてみたら、

「そこまで自分のやりたいことやってる人ってすごいですね!応援したいです!」

「僕は特にお金の使い道がないので、あなたにお金を使いたいです!」

と言ってもらえるようにもなりました。

完璧な良妻賢母でいなきゃと思っていたのは自分だけだったんですよね・・・。

男性って”本当に優しい存在”だと心から思えた出来事でした。


婚活のアプリの写真についても、私がぽっちゃりと分かってもらえるような写真を敢えて挙げてみました。

今の私は自分が愛おしいと思っているけど、世間一般で見たら誰もが認める美人ではないと認めていたので、どんな反応がくるのか最初はドキドキしました。

そしたら驚くことに「いっぱい食べてください!一緒にご飯に行きましょう!」と男性からお誘いの連絡をたくさん頂けるようになり、常に美味しいものをいっぱいご馳走してもらえるようになりました。

変に加工した写真ではなくてありのままの姿を分かってもらえる写真を挙げたことで、私のような少しぽっちゃりした女性が好きな男性が来てくれるようになったんですよね。

幼少期から抱えていた容姿コンプレックスについても、この出来事をキッカケに気にならないようになりました。

今の私は、自分の好きなタイミングで好きな仕事をして毎日本当に楽しく生きています。

何年か前の「一生懸命に働かないと価値がない」と思い込んでいた私からしたら信じられないくらいです。

部屋を片付けることや料理などの家事は変わらずできません。
というかできない自分を認めることができたので、前以上にできないかもしれません。


でも「そんな私じゃダメ」と自分を責めることもなくなったので、ストレスは全くありません。


今では旅行に行きたければ、男性におねだりして行きたいところに連れてってもらえるし、
美味しいものをご馳走してもらえる悠々自適な生活を過ごしてます。


お金や困ったことがあれば男性に頼ったら大丈夫だと知ったので、何の不安もありません。


もともと「男性は怖くて私を攻撃してくる存在」で「私は男性から大事にしてもらえない」と思っていたけど、今では「男性は願いを明確に言えば叶えてくれる存在」だと思えるようになりました。


もともと容姿コンプレックスで合コンで一人だけ相手にされなかった私が
今では色々な男性から初デートで告白されるようになり、

男性のことを心から信頼できるようになったのは、

自分自身が欠点を含めて「私って愛おしい」存在だと心から思えるようになったからです。

世間一般から見たらダメだと言われてしまう部分もあるかもしれませんが、今では、そんな自分を含めて私が私を大好きです。


どうしようもない自分とたくさん向き合い自分を知って、そのたびに自分を許して心の中で自分をハグしてきました。

これからもそんなどうしようもない自分と手をつないで歩いて行こうと思っています。


ニートで部屋も汚いし、複数恋愛な考えを持つ私は、世間一般からしたら批判されることもあるかもしれません。

でも今ならはっきりと言えます。

”周りがどう思っても自分が自分の一番の味方です。”

「私なんて・・・」と自分を好きなれない、思い切り幸せになりたいのに妥協してる人に私の経験を伝えて、今例え絶望を抱えていたとしても、私も幸せになれるかもって思ってもらいたくて自分の経験を書き綴りました。

今絶望の中にいる人は少し立ち止まってみてほしい。

コンプレックスやできないことがたくさんあった私でも、変われたことで希望をもってもらえたら嬉しいです。

ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。

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