AIイラストに関する一考

最近PixivのAIを巡る対応が不満で画像を引き上げたり退会する人が増えてるそうだが、著作権法上、無償で公開されてるものを学習するのはOKという話は腐るほどしてるし、学習禁止としても無意味なのはもう腐るほどされてるので置いておくとして、そもそもどこで作品を公開するかはその人の自由だし、AIに学習されるのが嫌ならネットにアップしないのが一番なので、ネット無しで食べていけるならそれで良いんじゃないかと思う。

ジャニーさんが生きていた頃のジャニーズなんて、自分のところのタレントをネットにアップするなんて絶対に認めていなかったから、出版社は雑誌の表紙をネットでアップするときグレーで潰す対応をしていたし、山下達郎なんて自分が生きている内は自分の曲をサブスクになんて絶対に解禁しないだろうし、写研なんて課金のカウントに使うISDNがサービス終了になるまでフォントを一般に販売しなかった例もある。

そもそも出版物なんて、物理の壁があるし電子書籍なんてJPEGなんかと違ってコピーガードがちゃんとあるし、コピーガード外しはどこの国でも明白に著作権法違反なので、出版物でしか自らの著作物を公開しないというのは割りとありだと思う。

Pixivとは対象的に、skebがAIを禁止してており、それが称賛されてるが絵師のお気持ちに慮って居るわけではなく、1枚数万円と比較的高額の金銭のやり取りが、AIイラストを介したマネーロンダリングが行われる可能性があるから禁止するという建付けで、実際にクレカ決済ができないなどの実害もあったからなのだろうけど、逆にPixivは「AIも表現の一手法」であり、そこには「表現の自由」があるという考えに立っているため、なかなか排除は難しいのではないか。

禁止するとすればそもそもAIをつかった絵は「表現」なのか、「AIに絵を学習させる行為は論理的に許されるのか」という誰がどう見ても地雷原の議論は避けて通れない。

AIイラストは「表現でない」なら表現の自由は当てはまらないから、「排除する」という建付けはできるだろうけど、判例を待たずに一企業が行うというのは例えば、人が描いたある表現を大多数が不愉快だから排除することも可能になる極めて危険な行為である。

絵を非公開にした人が言いたいことは要は「俺のアップした絵をAIに学習されないようにしろ」ということなのだろうけど、仮にPixivが規約でAIの禁止を謳ったとしても単に「規約で駄目」というのは「エスカレーターを歩くな」程度の効果しかなく、早晩、「画像にコピーガードを付けろ」という議論に発展するだろう。

しかし、コピーガードを付けるというのは、「不便にさせる」ということにほかならないので、ユーザーは「AIに転載され放題」のサイトを選ぶのではないか。

そう考えると、skebは「莫大なインフラコストが必要であり、持続可能な運営が非常に難しいサービス」と言っているが、確かにそれが一番の理由にしても「AIを排除するクリエーターファーストの企業」というパブリックイメージがあるわけで、どうやってもAI学習を防げない状況では火中の栗を拾うような真似は普通の感覚ならしたくはないだろう。実際なんでAIを禁止てるのかという理由は再掲していないし、「AIを排除するクリエーターファーストの企業」というイメージを守りたいから余計なことはしたくないのだろう。

「AIは偽物の海賊版」と言うが、最終的に音楽の海賊版を駆逐したのサブスクリプションサービスであったし、ゲームの海賊版を駆逐したのはSteamやスマホアプリであったように、偽物を駆逐するには本物よりも便利な存在でなければならないし、そこを無視し、「本物だから選ばれなければならない」という傲慢な態度をとるのは、音楽業界や出版業界がデジタル対応の道を誤り生殺与奪の権を海外に握られることになった20年前の失敗の再現にほかならない。

さて、この種のAI学習でdanbooruが批判されているが、PixivやTwitterといったサイトごとに分断されていた画像を収集し横串を刺して詳細なタグをつけているというのはやっていることはPinterestやGoogle検索と一緒である。

当てこすりのように違法転載サイトというか言っている人もいるけど、danbooruが駄目というのは英語でデザインも野暮ったいから日本人が使っていないから怪しいとなるだけ(要出典)で、なんかデザインも洗練されて、みんな何となく使ってるけど、出典もまともに出していないPinterestの方がよっぽどお行儀悪いんじゃないかと思う。(個人的経験でもPinterestなんて作者を知りたくてGoogle画像検索に頼ることは珍しくないし)

どうも無断転載とかいう人の言い分を見ていると、自分の著作物はコピーされたくないという考えが強いようだけど、音楽のコピーガードだって「音楽は友達同士でカセットテープの貸し借りでダビングされて広がったのに、それに逆行するのか」という批判はあり、それは絵も同じで著作物は見られてナンボである。

繰り返しになるが「コピーされると商売上がったりだから、自分たちでコントロールできる範囲内でしか著作物を享受できないようにしよう」というのは、直接的に音楽がコピーされるか、絵柄が模倣されて自動生成かの違いはあれど、20年前の音楽業界の考えそのものである。

確かにAIイラストは無礼な行為が横行しているが、だからといって「不便な本物」が、「便利な偽物」に駆逐され、一度産まれた技術は排除できないし、ついて行けない老兵はただ消え去るのみであり、非公開化はただの無駄な抵抗でしかないのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?