見出し画像

『ラブライブ!』という呪いとコンテンツと演者の距離感について

この度発売される、Liella!のミニユニットの実写MVが公開されました。

一番上のタイトルの写真はライブの広告なのですが、キャストとメンバーが一緒に写った広告を載せたり、アルバムを出せばフォト版のアルバムがあったり、比較的Liella!のキャストの露出が多いとされています。

で、問題は、声優だって実写MVは普通にあるのに、実写MV企画が出るたびに、お気持ち表明やら文句言われています。

結局、文句を言う人にとってLiella!は「声優ユニット」じゃなく「アニメ発の企画物ユニット」だと思ってるということなんでしょうけど、その溝っておそらく永久に埋まらないと思うのです。

さて、Liella!のセールス手法についてこういうことを仰る人がいます。

「Liella!はリアルのユニットを中心に売っていく路線なのだ」というのは、疑いようのない世の中の公理みたいに扱われているのですが、その根拠って「いつもやってるわけじゃないけど、キャストの顔に出る機会が多い、一般公募でメンバーを募集した、テレビや外部のフェスに出る機会が多い」くらいの意味合いしか無いのではないかと思うのです。

だけど、本当にキャストを売るためのMVならライブでわざわざキャラクターと自分たち22人と言ったり、3期までアニメ作る意味なんて有りません。

キャラクターファーストの売り方とされる蓮ノ空だって、『せーはす』という配信向けバラエティがあったりしますし、このコンテンツはなぜか、スタッフがインタビューで語ることが殆ど無いのですが、「本当にLiella!だけがリアル推し」なのかを考えてみたいです。

例えば、アニメの制作費はここ数年で1.5倍に跳ね上がっていて、1話あたり4000万まで制作費がかかるとすら言われている。おまけに今はシリーズでも複数作品が同時に動いています。

あくまでも根拠がまったくない憶測なのですが、「キャスト売り」すらできていないと言うけど、そもそもアニメがサンシャイン並みに売れて、それがトリクルダウンとして様々な方面に波及効果をもたらす想定だったんじゃないかという気がするのです。

大当たりしてるなら札束でアニメーターをかき集めて、MVを作ることも可能でしたでしょうし、ファンダムの熱量も良くも悪くも桁が違っていたはずだし、μ'sなんてPile・内田・三森の3人がソロで武道館ライブをしたように、アニメそのものが強力なタレントの売り込み動線になったはずで、いろいろ「こうしたい」ということも勢いで実現できたり、ある程度の問題や不都合も押し流すことはできたでしょう。

結局、そこまで至らず、情勢の変化に翻弄された結果が実写MVと、そこそこキャストを推さざるを得ない状況になってしまったのではないかと思うのです。

そもそもアニメやキャラクターの人気がない(と彼らは思っている)からリアル推しと理解されてるのだと思うし、「人気が出ないなら大人しくアニメだけやってろ」というずいぶんと閉鎖的な考えの方が多いのでしょう。

これがもし、蓮ノ空が実写MVとか、Mステとか夏フェス(西川貴教主催でバンナムがケツモチしてるからイナズマあたりは出てきそうな気はする)に出てきたり、ドーム公演で、例えば楡井希実と日野下花帆が一緒に映る広告があったりしたら、Liella!に対して文句言う人でも、案外ノってくる人は多いんじゃないかと思うのです。

さて、μ'sが想定していないダンスをやらされてギブアップしたときに「もっとゆるくしよう」じゃなく、「ダンスに耐えられて、時間も拘束できる、若い連中を集めてもっとクオリティを上げていこう」という方向性でAqoursを作って、さらにクオリティを上げる方向にLiella!を作った。

エンタテイメントの世界に「妥協」とか「クオリティコントロール」いう概念はありませんが、それが本当に良かったのかと思うことがあります。

本来であれば、キャストとコンテンツの関わり合い方はウマ娘とかそれこそ虹ヶ咲くらいの距離感がちょうどいいくらいなのかもしれないけど、それよりも遥かに密にキャスト本人の芸能活動と結合してしまっている。その歪みが、実写MVへのお気持ち表明という形で、噴出しているように思えるのです。

例えば、4チームに分かれたCUEの主演声優の中から2チームを選抜して結成したDIALOGUE+みたいに(DIALOGUE+がどういう選抜基準なのかわかりませんが、土屋李央がいるチームが落ちてるあたり、おそらく事務所やスケジュール的に都合がいい人間を)選抜するのか、横文字とひらがなにわけるとか、リアルユニットのTrySailと、アイプラのTRINITYAiLEのような関係にするのか、作中(リアル)では2ユニットなのに、リアル(作中)では1つにまとめるのか、どういう建付けにするのかは別として、この歪みを解消するには、もはやユニットを2次元と3次元で分けるしか無いのかなと思うのです。

今はいろいろな大人の事情で難しいのだろうと思いますが、一つのステージで全く同じ人が、ある曲では素のままで歌ったと思ったら、別の曲ではキャラクターのまま歌うステージが実現できたら、声だけで芝居をするという技能を再確認する場にもなると思うのです。

今は過保護に扱ったり、逆に馬車馬のように働かせても壊れないように思われていたり、声優という仕事に対してファンほどリスペクトがない。というか一人の人間・一人の社会人としても扱われていないのでないかと思うことがよくありますが、そうした風潮を改める場にもならないかと思うのです。

とまあ、いろいろ屁理屈を連ねてきたけど、自在にコロコロ雰囲気も声色も変わるステージって単純に見てて面白いと思うという個人的な思いも大きいのです。確かにソロのステージに行けばある程度は達成されるにしても、今あるメンバーでのコーラスや、アニメにとらわれない供給が見たいのです。

『ラブライブ!』というのは、強力な後ろ盾にもなるかもしれませんが、また強い呪いです。大人たちも含めてみんなもっとアニメやキャラクラーだけに縛られずにいろいろやって欲しいし、そのための基盤を整備していってほしいと思う次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?