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「おかえりモネ」を見て再確認した、尹東柱の詩を読むということ

NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の菅波先生が人気だ。
ヒロイン・モネに対する彼の言動の一つ一つに視聴者の視線が集まっている。

「あなたの痛みは僕には分かりません。でも、分かりたいと思っています」

恋愛以外にも通じる言葉だ。

私も、同じ言葉を韓国の高校生に言ったことがある。

21年前、地元のテレビ局が韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)のドキュメンタリーを制作することになり、私はソウルのある高校を訪ねた。
尹東柱の「懺悔録」について学ぶ国語の授業を見学するためだった。

ちなみに、番組の内容はというと、尹東柱ゆかりの地を訪ね、インターネットで知り合った友人たちと尹東柱について語り合うものだった。

「あなたたちは尹東柱の詩を読んでいるというけれど、彼が経験した思いが分かるんですか」

一人の男子学生が私に質問してきた。

日韓の歴史の狭間に生きた尹東柱

尹東柱(1917~1945)は韓国を代表する詩人だ。韓国では誰もが知っている。
一点の恥じなきことを、とうたった「序詩」を暗誦する人も多い。
  

序詩 (1941.11.20)  伊吹郷訳

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風にふきさらされる。


彼は、朝鮮語の使用が禁止された時代に朝鮮語で詩を書き続けた。
日本の統治下という苛酷な状況の中でも、自分の進むべき道を常に内省し、葛藤し続けた。

そんな尹東柱を韓国の人たちは誇らしく思っている。
その彼を27歳の若さで死に追いやったのが治安維持法だった。

だから、日本に対して良くない感情を抱かれることがある。
男子学生が私に厳しい言葉を投げかけてきたのも、理解できることだった。

私は答えた。

「当時の状況や尹東柱が経験したことを、日本人の私たちが100%知ることはできないかもしれない。でも、彼の詩を読むことで少しずつ近づいていけると思う」

尹東柱が紡ぐ言葉の一つ一つを手掛かりに、彼が表現した世界をイメージする。
仲間たちとの語り合いの中で、日本の植民統治下時代の空気みたいなものを感じる。
そのときどきに尹東柱が味わったであろう思いや考えが伝わってくる。
悩み、葛藤、喜び、悲しみ、怒り、希望、願い…。

男子学生への答えは、こうした私の体験から出た言葉だった。

想像力は人生を豊かにする

尹東柱の母校・延世大学で出会った学生たちは、私にこう語ってくれた。

「外国人が詩を読むのに限界があるのは確か。でも、人間には普遍的情緒がある。だから詩の深いところから来る響きは伝わるはず。その心が伝わるだけで十分だと思う」

「尹東柱は大変な時代に生きた、というような理解であれば、彼の深い痛みは感じられない。でも、静かな夜に一人で彼の詩を読みながら、彼が詩を通して言いたかったことを心から理解しようと努力するなら、きっと理解できると思う」

尹東柱が私たちに教えてくれるのは、日韓の負の歴史ばかりではない。
人や自然のやさしさ、生きる勇気や希望…

おかえりモネの菅波先生も言う。

「僕はあなたが抱えてきた痛みを想像することで、自分が見えてる世界が2倍になった」
「あなたといると、僕はいい方に変わっていけると思える」
      ◇                    ◇

追悼花束2

日本語、中国語、英語、ドイツ語、フランス語、チェコ語、アラビア語…尹東柱詩集「空と風と星と詩」は、さまざまな言語に翻訳されている。
没後70年以上経った今も、彼の詩が国や時代を越えて広く愛されているのは、普遍的な真理がそこに込められているからだ、と私は思っている。

仲間たちと尹東柱の詩を読み解き、たくさんの気付きを与えられた。
そして、たくさんの尹東柱を愛する人たちと出会った。
専門家ではない、一読者の目線で、尹東柱の詩を通して感じてきたことを少しずつ書き残していこうと思う。

※上画像:尹東柱文学館(ソウル)の中庭から見上げた空
下画像:2019年2月に旧福岡刑務所跡地近くで行った尹東柱詩人追悼式

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