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能古島で日常から少しだけ離れたチルな時間を 

「チルする?」
 最近、若者たちの間でこんな言葉がよく聞かれる。チルとは、英語で「のんびりする」「まったりする」「くつろぐ」などを意味する言葉だ。福岡市営渡船姪浜旅客所(渡船場)からフェリーに乗って約10分。博多湾に浮かぶ能古島は、チルという言葉がぴったりの島だ。その中の一つ「のこのしまアイランドパーク」の世界観を取り上げながら、島の多様な楽しみ方を提案していきたい。

●半世紀前からチルな世界観を築いてきた「のこのしまアイランドパーク」

花と緑で人々の心を癒やす

海の向こうは志賀島。陸つづきの砂州・海の中道も見える
秋には、早咲き50万本、遅咲き30万本のコスモスが咲き誇る 
 

  のこのしまアイランドパークは、能古島の北部に位置する民営の自然公園だ。島内の渡船場から路線バスで起伏の激しい山道を10分ほど上った所にあり、玄海国定公園の一部にもなっている。

 敷地面積は、福岡ペイペイドームのおよそ2倍の15万平方メートル。起伏に富んだ地形を生かし、桜や菜の花、マリーゴールド、ヒマワリ、コスモスなどが植えられ、年間を通して花を楽しめるスポットだ。コスモスの時期になると、写真を撮影したり、ベンチに座って景色をぼっーと眺めたり、子どもと一緒に広場で遊んだりする人たちでにぎわう。

 同園は、サツマイモ農家だった久保田耕作さんが、15年の歳月をかけて1969年にオープンした。大阪と東京の青果市場を視察した際に、大量の商品が箱積みのまま売買されるのを見て、地方にも大量生産の時代が来ることを予感。耕地面積が狭く、輸送コストがかかる島の農業に限界を感じたことが同園を構想するきっかけになった。

 「日本が高度成長期にかかる時でした。このまま都市が発展していけば、人々が働きづめになり、自然に癒やしを求めるだろう。ならば花と緑があふれる公園を造って、訪れた人がリフレッシュ然に帰れる場所にしようと考えたのです」と、長男で2代目社長の久保田晋平さんは語る。サツマイモ畑に桜やツツジの苗を植えることから始めて、しだいに花や樹木の種類を増やして開園にこぎつけたという。

 「父には自由に芝生を走り回ったり、寝そべったりして自然に触れ合える公園にしたいという強い思いがありました。全国各地の公園や庭園をいろいろ視察して回った時、芝の養生のために、立ち入り禁止の柵が施されていることに違和感を覚えたそうです」

 広い園内には、ジェットコースターや観覧車などの大型遊具は存在しない。あるのは、ロープスキーやアスレチック、ゲートボールをヒントに考案された同園オリジナル「のこのこボール」など、自然の中でのびのびと体を動かせるものばかりだ。

傾斜を生かしてミニゴルフ場さながらの「のこのこボール」

非日常を思い出にする宿泊用コテージ

2021年にリニューアル。花畑を望むコテージもある

 アイランドパークをアイランドパークたらしめるのは、島の地勢が深く関係している。能古島の標高は195メートル。島内を歩いてみると、島というより山の感覚に近いことがよく分かる。いや、山と海が同居していると言った方が正確だ。

 「島全体が市街化調整区域に指定されているため、勝手に家を建てられないのです。そうでなければ、バブルの頃に別荘があちこちに建って、この豊かな景観が損なわれていたかもしれません」と久保田さんは言う。

 しかもアイランドパーク内では、自然公園法も適用される。さまざまな規制がある中で、宿泊用コテージは、島の自然を最大限感じられるよう設計されている。

バルコニーから見た朝の景色

 例えば海側に建つ棟では、博多湾と島の北東部の緑が見えるよう窓が大きく取られている。早朝、窓を開けてバルコニーに立った時、木々の葉が風に揺れる音に交じり、ニワトリやカラス、トンビをはじめ、島中の鳥たちの鳴き声が響き渡っていた。そして夜には満天の星。浴室とは別に、夜景を眺められるジャグジーも設置されている。テレビはない。

 「単なる宿泊施設にしたくはありませんでした。テレビだとみんな無言で見てしまう。せっかく非日常を味わえる場所に来たのですから、同じ時間を共有して『面白かったね』『楽しかったね』と言ってもらえるような時間を作りたかったのです」。トランプや人生ゲームなどを無料で貸し出すのもそのためだ。たき火台を作る計画もある。

 「最近は、たき火をする光景が見られなくなりました。だからこそ、日常から少しだけ離れられる場所を提供するのが私たちの目指すところ。たき火台の周りにベンチを置いて、炎をぼっーと眺めたり、宿泊者同士で語り合ったりできれば、面白いと思いませんか」 

 ちなみに、コテージの名称は「Villa防人(さきもり)」。奈良時代に防人がこの地で国防の最前線に立ったことにちなみ付けられた。博多湾を望む花畑の周りに10棟建てられ、Wi-Fiも完備。リモートワークも可能だ。そのうちの1棟は小型犬の同伴もできる。自家用車で来れば、渡船場から誰とも接触することなく来ることができる。 

イスラム教徒向けのモスクやドッグランも

アイランドパークの入り口にはドッグランも設置

 子どもや高齢者、障がいのある人、外国人など、みんなにやさしいユニバーサルデザインにかなった施設でもある。例えばオスメイト対応のトイレは、人工肛門造設者になった叔父が排せつに苦労する話を聞いてすぐ導入した。電動カートやベビーカーの貸し出し、授乳を行える休憩所もある。

 驚くべきは、福岡市から依頼されてイスラム教徒のための礼拝所「モスク」を作ろうとしていることだ。イスラム圏からの旅行者は多くはないが、当事者にとっては深刻な問題。せっかく福岡に来たのだから楽しんでほしいという思いからだ。

 今やペットも家族の一員の時代。だが施設の管理上、犬猫の入園は難しい。それでも、愛するペットに花を見せたいとやって来る人たちの気持ちに応えようと、通常の散策コースとは別に、無料のドッグランまで設けている。ペット同伴のコテージを造るときは、「清掃に手間がかかる」とスタッフからの猛反対にもあった。

 「ペットと一緒にいたい人がいるのなら、その思いをかなえられる場所が一つぐらいあってもいいでしょう。もうけることばかりを考えていたら、その気持ちがお客さまに伝わってしまい、心から楽しんでもらうことができませんからね」

 「性格が大らかなんですよ。もうけることよりも、人を喜ばせたい気持ちの方が強いのだと思います。やっぱりディズニーの精神が流れているんですかね」と妻の美代子さんは笑う。

 久保田さんは家業を継ぐ前、東京ディズニーランドの運営会社「オリエンタルランド」に入社し、オープニングスタッフとして3年半ほど、人気アトラクションの接客係を担当した。人々がアトラクションめがけて押し寄せる中、さまざまなケースの対応を強いられたという。子どもが身長制限にかかってしまい、乗れなくなったことに怒る人、緊急停止して復旧に時間がかかることにいら立ちをぶつけてくる人、気分が悪くなって動くことができずジェットコースターから降りられない人などもいた。さまざまな立場の人を思いやれるのは、こうしたディズニー時代の経験が基になっているのだろう。 

●能古島の存在意義とは

船上から見た能古島。南北3.5km、東西2km、周囲12km。その面積は395ha 

 島の魅力を聞かれるたびに、久保田さんはいつも答える。
 「渡船場横の海岸で釣り竿を垂らしても、自転車やジョギングで島内を回ってもいい。森の中を歩くことに楽しみを見いだす人、花を愛でる人、砂浜で昼寝をする人…いろいろな感性の人がいるので、その人なりのリフレッシュ法で楽しめばいいのだと思います。能古島の存在に意義を見いだすなら、船に乗ってわずか10分で非日常を味わえることでしょう」
 
 福岡市は、都市機能がコンパクトにまとまった都市だ。市内には空港があり、都心部の博多駅や天神からは、バスや地下鉄、フェリーに乗って1時間もあれば能古島に行ける。東京の羽田空港からも約2時間40分で到着する。島の東側には原生林が生い茂る自然探勝路が、中央部には360度のパノラマが広がる展望台が、南側には島の歴史を伝える能古博物館などもある。場所によって見える海や山の風景が異なるのも魅力の一つだ。

自然探勝路から見た景色

 「能古島は、慌ただしい日常から少し離れて心と体を休めることができる場所です。オンとオフを切り替える場所としての島の使い方があってもいいのではないかと思います」

         ◇             ◇

 2022年10月、福岡市の主催で「ワーケーションフェス」が開催された。ヤシの木に囲まれたビーチが東南アジアを思わせ、海の向こうには福岡市内の建物群が広がる。夜になると対岸から発せられる赤、青、オレンジなどの無数の明かりがゆらめく。そんなチルなスポットで、これからの働き方や生き方を考えてもらおうという試みだった。

ワーケーションフェスの会場となった能古島キャンプ村

 会場には、20~40代の200人が集まり、ヨガやテントサウナ体験、能古島のシーグラスを使ったアクセサリー作り、音楽ライブなどを思い思いに楽しんだ。ヤシの木に架けられたハンモックに揺られる人、パソコンワークをする人、たき火を囲んで語り合う人…。海とヤシの木しかない空間でも、工夫次第でいろいろな楽しみ方ができることが証明された。これこそが、日常を離れて心身のリセットを図る「リトリート」な過ごし方であり、心の豊かさにつながるのではないだろうか。 

●私流、能古島の楽しみ方

 島内には、のこのしまアイランドパークをはじめ、訪れる人の工夫次第でいかようにも楽しめるスポットが点在する。多様性の時代にふさわしく、全ての人をやさしく包み込むインクルーシブな島だ。ここで出会った人たちの三者三様の「能古島活用法」を紹介する。 

渡船場横の観光案内所でレンタサイクルも借りられる

ビーチでシーグラス探し/みるきぃさん(愛知県在住)

「地元の人もシーグラスの存在に気付いていませんでした」とみるきぃさん

  みるきぃさんは、海ごみに関心を持ったことがきっかけで、2年前からシーグラスやプラスチックごみを使ったアクセサリーを作っている。

 「能古島キャンプ村のビーチは、シーグラスの宝庫。他の地域と違って、ガラスが海を漂流する時間が短いせいか、角が取れていなかったり、ガラス片に文字が残っていたりするものが多いですね。シーグラスになりきれず、武骨な感じで、それが能古島シーグラスの個性だと思います」

わずか2日間で採集したシーグラス(みるきぃさん提供)

 シーグラスとは一期一会の出合い。偶然出合った素材を作品に仕上げていく楽しみや、人間が「価値がない」と捨てた物に再び価値を与えていく喜びを感じる一方で、海ごみ問題の深刻さも実感している。最近では、地元の浜辺を散歩するときに拾う海ごみの量が増えた。作品を販売するサイトを立ち上げ、海ごみ問題の発信も始めた。能古島は、みるきぃさんにとって、海ごみへの意識を高めてくれた場所でもある。

 ビーチでのお薦めの過ごし方を聞くと、意外な答えが返ってきた。
 「何も求めずに来てほしいですね。私も疲れたときは、ビーチに座って海を眺めています。ここは、日常の雑事をいったん置いて、自分自身が空っぽになれる場所。海を行き交う船や、上空を通る飛行機、福岡の街がいっぺんに見られるのもここならではだと思います」 

愛犬と島内散歩/小玉正太さん(福岡県在住)

一緒に山登りもする小玉さんとハクくん

  対岸の愛宕浜地区に住む小玉正太さんは、愛犬・ハクくん(ホワイトシェパード・8歳)と季節ごとに能古島を訪れる。能古島行きのフェリーは、口輪をすれば大型犬も乗船可能だ。ハクくんを島に連れて行きたくて、船に乗るために口輪の訓練までしたほど、この島が気に入っている。

 以前は、家族でアイランドパークに行ったり、海岸沿いのレストランでバーベキューをしたりしたが、子どもが成長してからはもっぱらハクくんと来島するようになった。島に到着した時間によって、島内を一周したり、半周したりする。大学の医学部部長として、忙しい毎日を送る小玉さんにとって、能古島は愛犬とリラックラスできる身近な場所だ。

 「作家の檀一雄さんの文学碑など見どころが多いですよね。きれいにガーデニングされている民家を眺めながら歩くのも楽しいですよ。ハクもいつもと違う道を歩くので、楽しそうです」

能古島は、檀一雄が晩年を過ごした場所でもある。
毎年5月の第3日曜日には檀を偲び、この文学碑の前で「花逢忌」が開かれる

ハッカソンイベントで就活生を応援/りょんさん(福岡県在住)

10人ほどの学生が参加。ほとんとが能古島は初めてだった。
左側に立っているのがりょんさん(りょんさん提供)

 ITエンジニアのりょんさんは、大学生を対象に能古島キャンプ村でハッカソンイベントを開いた。ハッカソンとは、プログラマーやエンジニアが一定期間集中してプログラムの開発やサービスの考案などの共同作業を行い、その技能やアイデアを競う催しを意味するIT用語。能古島を知ることや、ウェブ技術を使うことが、彼らの知識や経験となり、就活の際のアピール材料になればと企画した。

 「キャンプ村の風景を撮影し、ウェブサイトを作りました。穏やかな時間が流れるキャンプ村の雰囲気もあり、最初緊張していた学生たちも、すぐに打ち解けてくれました。彼らの背中を押せてよかったです」

 学生たちからは、「今回学んだことを生かしたい」「ウェブ制作にはさまざまな視点が必要であることが分かった」などの感想が寄せられた。

 りょんさんのお薦めの場所は、福岡市内をぐるりと見渡せる展望台。まるで自分が世界の中心にいるような感覚になれて感動したそうだ。 

展望台から西側の糸島半島を望む(りょんさん提供)

 史跡めぐりに歴史のロマン/葉月へちまさん(東京都在住)

 
沖つ鳥 鴨とふ小舟の 還り来ば 也良の崎守(防人) 早く告げこそ

アイランドパークから歩いても行ける万葉歌碑

  これは、島の北側に建つ万葉歌碑に刻まれた歌だ。也良(やら)の防人よ、私の夫の船が無事に帰ってきたら、早く教えてくださいという意味で、海で遭難した夫を恋い慕う家族の胸中を表している。作者は奈良時代の筑前国守・山上憶良とされる。※也良の崎は、能古島の北端にある也良岬のこと。

 学芸員の資格を持ち、ライターや声優として活動する葉月へちまさんは、この歌に歴史のロマンを感じている。

 「防人がどこに配置されていたのか、具体的なことまでは分かっていません。でも歌には、はっきりと防人が登場します。アイランドパーク内には、彼らが外敵の侵入を知らせる時に使ったのろし台も復元されていて、防人の存在を身近に感じることができます。現代を生きる私たちが、時空を超えて、彼らの思いを共有できるのは、歴史散策の楽しみといえるでしょう」

葉月へちまさん制作の動画(葉月さん提供)

 もう一つ、島の南側にも万葉歌碑が存在する。玄海灘の波が荒れて、遣新羅使が幾夜も風待ちをした時に詠んだ歌だ。

 風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許(のこ)の泊に 数多夜ぞ寝る

 「この歌は、旅人の側から詠んだもの。ずいぶん遠くに来てしまったという思いと、故郷への恋しさが読み取れて、旅をしている人ならば、だれもが共感できると思います」

 葉月さんは、史跡を巡ったときの様子をnoteなどで発信している。

 「四方を海に囲まれながら、海も山も感じられるのは、それだけで特別な場所。渡船場の周りには、博物館や江戸時代に造られていた能古焼の古窯跡などの史跡があるので、歩いて回ると島をより満喫できると思います」
 


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