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韓国映画「王の願い~ハングルの始まり~」を見て思った4つのこと

ハングルの創製過程を描いた映画「王の願い~ハングルの始まり~」が全国で公開中だ。福岡では、言語学者の辻野裕紀さん(九州大学准教授)から、ハングル創製にまつわる話を聞くイベントも行われた。実際に映画を鑑賞して話を聞く中で、いろいろと思うことがあったので、整理してみた。

ハングルが世界記憶遺産となった理由が分かった

15世紀にハングルができるまで、朝鮮は独自の文字を持たず、隣国・中国の漢字を使用してきた。とはいえ、漢字を理解できるのは、支配層の上流階級者たちだけで、生きることに精一杯の庶民は、漢字を学ぶことができず、自分が言いたいことも書けなかった。そんな庶民を思い、朝鮮王朝第4代国王の世宗(セジョン)はハングルを創った。

ハングルは子音と母音を組み合わせてできた表音文字である。劇中では、実際に言葉を発して喉や唇、舌の動きを観察し、子音をㄱㄴㄷㄹㅁなどで書き表したり、子音に母音のㅣやㅡ、・を書き足したりして文字をつくっていく。その論理の合理性や緻密性について、この映画で再認識することができた。

世界の文字の歴史を見ても、15世紀という早い時期に、空気の振動にすぎない音を、母音と子音に分けて文字にしたのは驚くべきことだという。なぜ文字が創られたのか、どのような原理で一つ一つの文字が創られたのかなどが、一冊の書物の中に記録されているのも類がないそうだ。そういう話を聞くと、ハングルがユネスコの世界記憶遺産に登録されているのも納得できる。

ちなみに、ハングルは1900年代になって付けられた名称で、元々は「訓民正音(フンミンジョンウン)という。

世宗の強い意志と愛民精神を思う

当時の朝鮮には、中国に従うのが正しいという事大主義の考えがあった。だから、史劇ドラマでは、いつも臣下たちが中国の顔色をうかがっている。この映画でも、臣下たちは文字創りが中国に知られることを恐れて猛反発するし、映画「世宗大王~星を追う者たち~」で、世宗が朝鮮独自の天文観測機器を造ったときも、臣下たちの反応は同様だった。 

いつの時代もそうだが、新しいことを成そうとするときには、既存の考えや慣習が前に立ちはだかり、それを越えていかなければならないのだと思う。その逆境をはねのけてハングルや天文台が創られたことを考えると、世宗はまさしく信念の人であり、民を思う聖君として語り継がれているのだと思う。

ハングル創製については諸説あった

映画では、シンミという僧侶がサンスクリット語などの語学力を生かしてハングル創製に大きな役割を果たす。これが「史実と違う」として、韓国で問題視され、「エンターテインメントか、歴史の歪曲か」という論争まで巻き起こした。なぜなら、世宗が単独でハングルを創ったというのが定説だからだ(世宗と宮廷内の学者たちが創ったという説もある)。

映画の冒頭には「これはフィクションです」と字幕が出る。論争が気になって、韓国のポータルサイトを調べてみると、シンミの関与を主張する説もあった。ハングルがサンスクリット語やモンゴルのパスパ文字の影響を受けたともいわれることなどが、その根拠として挙がっていた。

史劇エンターテイメントとして楽しめる

日本で公開されることに対しても、「誤った歴史認識を与えてしまうのではないか」と危惧する声が上がっていた。しかし、私はこの映画を見てよかったと思っている。フィクション混じりではあっても、朝鮮(韓国)の文化や歴史の象徴ともいうべきハングルと、そのハングルを創った世宗について思いを巡らせることができた。

スクリーンには、世界文化遺産に登録されている海印寺(ヘインサ)の八万大蔵経や、浮石寺(プソクサ)などの韓国の名勝地も映し出される。コロナ禍で韓国に行けないだけに山寺の風景に心癒される。カンヌ映画祭でグランプリを受賞した「パラサイト 半地下の家族」で、金持ちの家に入り込む一家の主人を演じたソン・ガンホが、王となって世宗を演じるのも見どころの一つである。

辻野さんも言う。「文字を創る営みが映画になること自体が面白いことであり、うらやましくもある」。日本のひらがなは、いつ、だれによって創られたのかはっきりしないため、こうした映画はつくれないのだ。

「王の願い~ハングルの始まり~」を通して、日本で韓国に関心を持つ人の裾野が広がることを期待したい。


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