薩摩焼沈寿官家との再会

1998年に開催された薩摩焼四百年祭は、私のライター人生において忘れられない取材となっている。
今は亡き14代沈寿官さんから聞いた、朝鮮陶工たちが歩んできた歴史、彼らの心情、そして薩摩焼四百年祭にかける14代の思い。その思いは15代にも引き継がれている。
大きなテーマだけど、いずれリライトして今後の日韓関係につなげていきたいと思う。そのための備忘録として残しておく。

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福岡三越で行われた薩摩焼十五代沈寿官展に行ってきた。

薩摩焼にはいくつか思い出があって、先代の14代沈寿官さんの言葉で心に残っているものがある。

一つは、「すぐれた種が薩摩でまかれ、大輪の花が咲いた。薩摩焼の父は韓国、母は日本であることを知ってほしい」

これは、先祖の朝鮮陶工たちが豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連行され、やがて薩摩の地で見事な陶磁器文化を花咲かせたことを意味する。

もう一つは、「どんな動機であれ、こんな山あいの小さな里に多くの人々が来てくれた。その足跡の中に韓国との交流を求める人の声を聞くことができた。これからもいい韓国を見てもらうためにいい助言をしたい」。
 
これは、1998年に日韓閣僚懇談会で未来志向の日韓パートナーシップが宣言された翌日、両国の閣僚たちが薩摩焼四百年祭を訪れた時に14代が語った言葉だ。
 
14代は、先祖たちが持って来られなかった祖国の火を、窯元が集まる美山地区ののぼり窯に灯したいと薩摩焼四百年祭を企画した。
その背景には、陶工たちが明治維新を機に薩摩藩の庇護を打ち切られ、やがて日韓が併合されると、周囲から「高麗の茶碗屋」とののしられた歴史があった。窯元の中には、出自を消して村を出て行った人も多かったという。こうした朝鮮陶工たちに対する歴史認識を変えたかったのだ。
 
焼き物に限らず、稲作など日本には朝鮮から伝わった文化が多い。私たちは文化ばかりに目が行きがちだが、そこには確かに文化を伝えた渡来人たちの存在があるのだということを、14代の言葉は示している。
 
今、朝鮮陶工たちの「魂の旅」をたどり、陶磁器文化を通して日韓の歴史と文化の相互理解を深めるドキュメンタリー映画が制作されている。15代沈寿官さんをはじめ、西日本にある窯元、専門家、関係者等へのインタビューを中心に、歴史的な事象の検証も交えながら、陶芸文化のルーツを解き明かす内容だ。
 
映画が完成したら、25年ぶりに美山の地を訪ねようと思う。

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