こんな時だから気づくこと

9年前の、東日本大震災。
関東在住だった自分は、甚大と言える被害は受けなかったといえる。
それでも、原発事故の影響で、東京電力の計画停電を経験することになった。
(計画停電について、詳細はググっていただきたい)

他の地域と被害の大小を比べて、どうこう言いたいのではない。
有事における行動の是非や教訓を偉そうに説くつもりも、全くない。
ただ、私個人の9年前と現在の経験を通して、気づかされたことを吐き出してみたい。

****

私は、ある日の午後6時過ぎからの計画停電をよく覚えている。
実家で早めのご飯を済ませたところ、ちょうど電気が消えた。
それから確か、2時間程度だっただろうか。
まだ肌寒いというのに、蛍光灯も電気ストーブも稼働しない。
仕方がないので、早めにふとんにくるまった。
停電は近隣地域に及ぶので、店の看板や信号、街灯もすべて消える。
窓の外が、いつもより暗く感じた。
静かな暗闇の中、ふとんでじっとしているのが耐えられず、私は枕元のiPodでPodcastをまさぐった。

「ロックの学園 アーティスト登校編 ACIDMAN教諭 その1」

そんなプログラムを見つけた。
番組の概要はWikipediaを見ていただくとして、当時私は初めて目にした番組名である。
しかし、好きなバンドであるACIDMANが出るらしい。
完全にゲスト目当てだったが、聴いてみることにした。

よくあるゲストを呼ぶラジオ番組の構成で、珍しくメンバー全員での登場。
新曲(当時)のDEAR FREEDOMが、反戦を求める歌だということ。
終始繰り返される、低音の「はっはっは」という笑い声。
(当時のブログがこちらにありました)

和やかで笑いも飛び交う、それでいてミュージシャンの思いが伝わる番組が、そこにあった。
つい一週間前まで、これが当たり前だったのだ。
それが現実とあまりに乖離していて、まるで十年以上前のカセットを再生させたような、遠い感覚を受ける。
それでも暗闇の中、いつ余震が起きてもおかしくない状況で、無意識の不安をかき消すには十分だった。

****

あれから9年が経過した。
ACIDMANは、2012年以降、毎年3月11日に福島でライブを行っている。

東日本大震災以降、震災の悲しみに少しでも寄り添い、そして原発に対して全く無知だった自分達への反省も込めて毎年3月11日に福島でワンマンライブを行なってきました。
そして、震災時もライブイベント等の自粛が相次ぐ中、僕達はライブを続ける道を選択してきました。

これは、今年(2020年)3月11日のライブの中止が決まった際の、大木伸夫のコメントである。
今年も例年通り予定されていたが、新型コロナウイルス流行のために中止となった。
今年の3月11日は、ACIDMANのライブが観られない―この知らせを聞いて誰もがそう思った。

そう思ったはずだった。

同日、ACIDMANは福島のライブハウスに行き、YouTubeとファンコミュニティサイトでライブ配信を行った。
その様子は世界中に届き、日本のTwitterトレンドに「ACIDMAN」が入る事態となった。
2020年3月18日(水)までアーカイブ配信されているので、もし間に合えば、その模様やコメントの数々を見てもらいたい。
*3/20追記:3月末まで見られるようになりました!

この配信には、元気づけられた。
感染ルートや治療法もわからない未知のウイルス、その被害を食い止めるべく決断された多数のイベント自粛・中止。
仕方がない、そうわかっていても、また無意識に不安が押し寄せてくる。
それでもライブが観られること。
普段のライブとは全く異なるが、画面越しにでも演奏が観られること。
それがまた、不安をかき消してくれた。

****

ACIDMANに限らず、多くのミュージシャンがライブの中止・延期を決めている。
それでもできることをと、無観客ライブや動画の配信を行っている。
音楽に限ったことではないが、有事には不要不急のものから取り除かれていく。
それが必ずしも、間違いだというわけではない。
ただし、「不要不急」と言われたものが、有事における無意識の不安を取り除いてくれることもある。
これもまた、間違いではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?