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文常院の明和史コラム #1 期生呼びと明和高校(前編)

 文常院の明和史コラム。このコーナーでは、修士課程まで行って明和史を研究している私が、直接研究には使えないけど面白いなと思った明和高校の歴史をテキトーにまとめていきます。話のタネにでもどうぞ。


 文常院の明和史コラム、記念すべき初回は

期生呼びと明和高校


です!

 期生呼びと言っても聞きなじみがないかもしれませんが、○○期生っていう呼び方・数え方を便宜上私が勝手にこうやって呼んでいるだけです。学校によっては〇〇回生と言ったりもしますね。
 毎年春になると新入生、もしくは新卒業生が、他校生に向けて自己紹介をする時などに「あれ?学校違うのに一緒の期だね?」って不思議がるくだりを何度も見てきました。今回は、学校史に少しでも造詣がある方ならすぐに解決できるその問題を前編で深掘り。後編では、もっとややこしい期生呼びと明和高校の歴史について見ていくつもりです。まずは前編をどうぞ。

期とは

 普段何気なく使っている期生呼び。一体何の数字なのか正しく把握できているでしょうか?
 学校の周年と同じ?いいえ。正解は、その学校で行われた卒業式の回数と同じ、です。正確に言うと、その学年が学校創立後、何回目の卒業式で卒業したかによって、その学年の期数が決まります。ですので、正確にはまだ在学中の学年のことを期生呼びするのは気が早いわけですが、まあ便利なので目をつぶっていただきたい……。

なぜ違う学校なのに同学年が同じ期になることが多いのか

 理由は簡単です。上の定義に照らせば、卒業式の回数が同じだからです。卒業式は毎年ありますから、逆算すれば期数が同じ学校は、みんな同じ年にできたということになります。
 じゃあなんで同じ年に学校ができたのかという話になりますが、それはGHQによる学制改革による影響です。愛知県では、学校統合が1948年に行われたので、戦前から存在する高校のほとんどがこの年を創立年とします。戦前の前身校まで由来を遡らせ(中には藩校にまで遡らせ)創立年を設定する高校も多いですが、それらの学校でも期数は男女共学後、すなわち学校統合後最初の卒業式(1949年3月の卒業式)から換算することが多いです。
 ただし、中には学校統合を経たにもかかわらず、戦前からの通期を貫いていたり、そもそもGHQの改革度合が緩かった九州や東北では学校統合が行われず、自然と戦前からの期数を引き継いでいる高校もあります。また、私立高校の場合は学校統合がなかったので、こちらも戦前から通しで数えている高校が見受けられます。

期生呼びの例

 明和にいると当たり前のように思える期生呼びですが、実は他校ではあまり導入されていません。全国的に見ても伝統校ではちらほら見られますが、全体で見ればおそらく少数派なのでしょう。以下では、Twitterから見た限りの話で恐縮ですが、期生呼びが導入されている高校をいくつか取り上げ、具体例に基づいて、その「数」のワケを解説していきます。

  • 愛知県
     愛知県公立高校における期生呼びは、旭丘・明和・菊里・千種など、名古屋市内の進学校を中心に広まりを見せています。その中でも旭丘・明和・菊里はすべて現高1が77期となります。これは、3校すべてが戦前由来の伝統校で学校統合を経て現在の高校になった、つまり、創立年がすべて1948年であるからです。一方、千種は戦後に設立された新設校ですので、3校とは期数が異なり、現高1で60期生です。
     ここで少し注意なのですが、前者3校では77期生の卒業年、すなわち2025年がその高校の77周年となって、期数と周年が一致します。対して後者の千種では60期の卒業年、すなわち2025年は千種高校62周年の年となり、期数と周年が2年ずれます。これは新設校では創立後2年は卒業生がおらず、卒業式が行われないためです。逆に前者3校は旧制中学・高等女学校の生徒が引き続き在籍していたため、創立1年目にして卒業式が行われ、期数と周年が一致することになったのです。
     また、今では確認できなくなってしまったのですが、昔、豊田西高校のHPをのぞいた時、2020年当時高1だった学年のことを78期と記載していたような記憶があります。2022年度の高1に換算すると80期です。これは、愛知県の公立校では珍しく戦前からの通期で数えているということになります。ただし、豊西がこのように数えるのは何も戦前の伝統に固執しているからではなく、1940年の旧制中学設立から1948年の学制改革までの期間が短すぎたゆえ、期数を通しで使用したのではないかと考えられます。もしかしたら1941年旧制中学設立の昭和高校でも同じ現象が起きているかもしれません。
     では、私立高校はどうでしょうか。東海や愛知の現高1は、市内伝統校と同じく77期です。学校統合を経ていない私立であり、特に東海は記念祭を戦前から通しで数えているにもかかわらず、期生呼びは1948年の学制改革でリセットしたようです。滝の場合も原則現高1が77期のはずですが、昔、チラッと戦前の創立から数えている表記を目にしたことがあります。あまり広まってはいないのでしょうか?
     愛知の私立の中でも少し特殊なのが南山女子です。南女の現高1は72期です。これは、南山女子部の創設が学制改革後の1948年で、その年に初めて中1を受け入れ、最初の卒業式が行われるまで6年かかりますから、1954年に1期生が誕生することになります。2025年に卒業する現高1は、1954年の卒業式から数えて72回目の卒業式で卒業する学年になるので72期というわけです。ちなみに南女では72期のことを「g72」と表記するようですね。
     愛知県内の主だった期生呼び導入校はこのくらいでしょうか。見逃しも多々あることでしょうが、ざっくり言えば、1948年学制改革でリセットした現高1が77期の高校が大多数を占め、その他は学校設立年の事情に応じて期数がずれていくという分布になるのでしょう。GHQの改革が強力に推進された東海地区では、戦前からの通しで期生呼びを行う高校はほとんど見られません。

  • 他県
     本当は全県の進学校を調べてみたいのですが、そんな余裕はないので思いつく主だった進学校について調べて出てきたものを行き当たりばったりに紹介していこうと思います。
     まずは東京の進学校群を調べてみましょう。日比谷高校の生徒と思しきアカウントのフォロワー欄をのぞいてみると期生呼びが出るわ出るわ。日比谷はもちろん、国立、戸山、西、立川、青山、新宿、etc…これらすべて現高1を77期と呼んでいます。さすが、戦前からの中等教育機関が多い東京。
     ここでいきなり話が少しそれますが、この東京進学校界隈の期生呼び群たち、なんと75期を「なごす」、76期を「なろす」、77期を「ななす」と呼んでいました。この呼び方……そうです、明和高校でも見られたあれです!75期の「なごす」呼び、実は同時多発的だったのです。衝撃!(横須賀あたりまで広がりが見られた)
     話を戻しましょう。では、東京の公立進学校はすべて戦後学制改革を起点とした期生呼びを行っているのでしょうか。答えは否。例えばおもしろいのは両国高校。こちらは1901年設立の第三中学校由来の高校ですが、現高1を122期と呼びます。1904年の第1回卒業式を起点とした戦前からの通期換算です。名だたる都立高校が戦後学制改革に期生の起点を求める中、なぜ両国高校だけがこうなったのかはわかりません。不思議ですね。ちなみに、両国高校は今年度から完全中高一貫型になりました。附属中学校は2006年に開校しており、そこから高校に上がってきた人はRJH14→RHS122というふうに表記しています。明和でも附属中学ができれば、miw j1st→h83rdみたいになるのでしょうか。
     さて、同じ東京の公立中高一貫校でも期生呼びの換算が全く異なるのが小石川中等教育学校です。こちらも2006年からもともと高校だったものが中高一貫化したものですが、期生呼びの起点はこの2006年の再編後に置いています。つまり、2006年に中等教育学校1年生として入学した人が卒業する6年後の2012年に1期生が輩出されますから、2025年に卒業する現高1は14期生になります。
     都立はこの辺にして、国立も見てみましょう。筑波大附属高校です。こちらの現高1は133期。1888年の創立年以降の卒業式を起点にしているようですね。悠仁さまは133期生なわけです。筑波大付属駒場高校は1947年開校で中高一貫ですから、南女と同じように換算して現高1で73期生です。
     東京の私立高校ものぞいてみたのですが期生呼びの導入状況はあまりはっきりわかりませんでした。開成がもしかしたら導入しているかな、というくらいです。
     東京に力を入れすぎてしまいましたね。大阪に移りたいと思います。まずは大阪府立北野高校。言わずと知れた大阪の一中ですが、こちらはなんと現高1を137期と称します。もとを辿れば1873年の欧学校に由来が行きつくそうですが、137という数字は1886年、中学校令に基づき府立大阪尋常中学校へ改称した後の卒業式を起点にしているようです。その他大阪の三国丘、茨木、天王寺、大手前、泉陽あたりの旧制中学由来の高校は戦後起点で現高1が77期となっています。
     その他の県は足早に見ていきましょう。兵庫県のNHK(長田・兵庫・神戸)、姫路西、姫路東、私立の灘はどれも戦後起点の現高1=77期、京都府では京都一中由来の洛北が現高1を16期と呼びます。これは中高一貫教育を開始した2004年の附属中学校入学者が卒業する2010年を起点にしているようです。堀川は探究科を設置した1999年入学の生徒が卒業する2002年を起点とし現高1=24期です。福岡県では東筑が1898年創立後の初の卒業式(1902年)起点で現高1=123期、小倉、福岡で戦後起点の現高1=77期の期生呼びが見られましたが、他の進学校は見られませんでした。修猷館で使っていないのは意外です。もしかしたら外に出ていないだけで中では使っているのかもしれませんが。長野県の上田高校は1900年の独立開校後初の卒業式(1902年)起点で現高1=123期、神奈川県の希望ヶ丘、横浜翠嵐、県立横須賀、厚木などは戦後起点の現高1=77期、湘南は1921年の設立後初の卒業式を起点にして現高1=100期、宮城県の仙台一高、仙台二高はともに戦後起点の現高1=77期、北海道の札幌東西南北各校はどれも戦後の男女共学開始(1950年)起点の現高1=75期でした。

  • 一番期数が大きい高校は?
     さて、ざっと見た中で一番期数が大きかった高校はどこだったか、ということですが、常識的に言えば、「卒業」という概念が導入されるのは近代学校制度によってですから、早くとも明治維新以降を起点とする期数、つまり150期前後が限界であるはずです。そうした予想の元、Twitterを漁ってみると、なんとお隣岐阜県の岐阜高校が現高1=149期を称しているではありませんか!1873年開校の仮中学を由来とし、おそらく1877年に卒業式が行われたため、そこを起点として現在まで脈々と期数を受け継いでいるのでしょう。いやぁ、お見事、あなたが日本一!
     かと思いきや、それを大幅に上回る数字が突如Twitter上に現れたのです。「🌸🐿229」なんだこれは……。さくら、りす……。必死に考えた挙句出てきた結論は、千葉県の佐倉高校。りすは理数科を表していたのです。そんな文字列クイズはどうでもいいのですが、問題は数字の方。計算すると現高1=231期となることがわかりました。それをもとに起点を割り出します。通常、現高1が卒業する2025年から期数を引いて+1した年が起点の年、つまり第1回の卒業式が行われた年になるのですが、231という数ではどう頑張っても近世に食い込み、卒業式なんてあるわけありません。そこで、起点の目星をつけるために佐倉高校の沿革を確認すると1792年に佐倉藩の学問所が開設されており、これを起点としたいらしいということがわかりました。1792年を起点とし、現高1を231期とするには、入学年基準で期数を積み重ねていくしかありません。つまり、佐倉高校は他の高校と違って入学年基準で期生呼びを行っていることになります。これは厳密には期生呼びの定義から外れます。いうなれば周年呼びです。
     というわけで、やはり期生呼びの日本一は岐阜高校!!(だと思います。網羅的に確認していないのでご容赦ください)

後編へつづく

 さあ、これで他校の人と期生呼びの話題になっても完璧な対応ができるようになりましたね。大学に入ってからも安心です。期生呼びの話題で友達を作りまくりましょう!
 でも、明和高校の友達も増やしたいなというあなたへ。後編では、明和高校にスポットを当てた期生呼びの話、「明和高校の期数起点を戦前まで遡らせたらどうなるの?」という話をしていきたいと思います。明倫中学や県一高女の第1回卒業式まで、期数起点を遡らせたら、私たちは一体何期生になるのでしょうか?そこには、単純に引き算をすれば済むわけではない、複雑で厄介な事情が立ちはだかっているのでした……。

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