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プロセスの楽しみ、これからの活動のことなど。

リモート講座で刺繍を教えている。
正確に言うと教えている・・・と言うより「伝えている」と言う方が自分にはしっくりくるのだが・・・。
細かい作業が多い刺繍は、針先や布目まで大きくカメラで映し出して見ることができるので、リモート講座には向いているという事が言えるだろう。メリットは多いと思う。

けれども、カメラ越しに、お顔が見えない受講生の方々にお伝えするのは、最初はなかなか実感が湧かず苦心した。
チャットでいただくご質問にも、手元が見えない分、多分こういう事だろうと想像しながらお答えすることになる。
それは受講生の方々も多分同じ状況で、刺し方を見せればすぐ疑問が伝わるところを、一つ一つ文章化するのは大変だろうと想像する。

始めてからようやく一年余りが過ぎたこの頃、何とか要領も覚え、進め方もわかるようになってきた。
最後の10分間ほどを、予め申し伝えた受講生とつなぐのだが、完成した作品を画面越しに嬉しそうに見せて下さったり、笑顔で「楽しいです!」と言って下さる様子を拝見する事で、一気にこちらのテンションも上がり、やり甲斐が感じられる。

講座中にふと考えたこと

少し慣れて余裕ができたせいか、先日は手と口を動かしながら、ふと心に浮かぶ事があった。
人はなぜ手を動かしてモノを作りたいのだろう・・・という素朴な疑問。

ありとあらゆる「モノ」が溢れる時代。街に出ればたくさんの素敵なお店はあるし、外出するまでもなくネットでは簡単に好みのものが探せる。

いや、すでにできているモノでなくても、近年、AIの目覚ましい進歩によって、自分だけのデザインで完璧な好みのものが、簡単にできてしまう時代が、もうすぐそこまできているのかも。
2015年にはすでに、「10〜20年後には日本の労働人口の49%の仕事がAIに取って代わられる。」と言う研究結果が発表されているというのだから、もうほんの数年後かも知れない。

プロセスを楽しむこと

そんな時代に逆行するように、習いたての刺繍で、懸命に作品を作ろうという事。それは「プロセスを楽しむ」という行為ではないだろうか?

生地にアイロンをかける、図案を丁寧に写す、糸を刺しやすい長さに切る、針に糸を通す、生地に刺繍枠をはめる・・・というもろもろの面倒な準備を経て、ようやく刺繍のステッチを刺していく。

針が生地を通る音、糸の感触、ステッチの2針目がうまく行った時の密かな喜び、刺し進めていく事でだんだんと立体的に浮かび上がる花や葉の形・・・。刺繍のプロセスの楽しみを書き連ねただけでも、お好きな人なら心躍るのではないだろうか。
そうして一針一針仕上げたものは、たとえ少しばかり歪んでいたとしても、何にも代え難い達成感と愛着が湧く。
時間のかかる刺繍は、それだけ喜び楽しみも大きいと思うが、そうでなくても、あらゆるものを「作る」ということは、このプロセスの楽しみが含まれていると思う。
どんなにAIが進歩しても、それがもたらせてくれるのは “素晴らしい「結果」”ではないのか。(AIについて浅薄な知識しか持たない私は、この辺までしか考えられないのだが・・。)

この「プロセスを楽しむ」という行為は、どんなに時代が進もうが、人間にとって奪ってはいけない大切なもののような気がしてならない。

次の時代のためには

そんなことをつらつら思いながら、講座を進め、終了して駅まで歩きながら、ではそんな「進化」した時代に生きる、今の子どもたちは一体どうなんだろう・・・と考えた。
素晴らしい「結果」が常に目の前にあり、思い通りの情報とモノが易々と手に入る・・・。
もう自分の手を動かしてモノを作る事がなくなるのだろうか。
いやいや、そんな事があってはならない。このプロセスを楽しむ喜びを子どもたちから奪ってはならない。

そう思うと、何だか居ても立っても居られない気持ちになった。

プロセスを経てものを作ることは、単に楽しいばかりではない。
前述したように、刺繍には面倒な前準備がある。
早くステッチを刺したいばかりに、この準備をいい加減にすると、その後の刺繍もうまくいかなくなり、結局は仕上がりに影響する。
また、頭で理解したステッチの手順がすぐうまく刺せるかというと、そうはいかない。ちょっとした指の使い方、針を刺す向き、頭と指が連動するまでは、時には何度も根気よく練習することが必要だ。

そんなプロセスの一つ一つを通ってこそ、何にも変え難い楽しみが生まれ、達成感を得ることができる。
それは単に手先のことだけでなく、生きる上でとても大切なことを体感し、学べる場でもあると思うのだ。

これからの世界を生きる子どもたちにこそ、そんなことを体験してほしい。
何か私にできる事はないだろうか?
ぽっかりとそんなことが心に浮かんできた。

手を動かすということ

以前からずっと感じている事だが、手を動かしてじっくりとモノを作る作業は、心や頭のお休みになるという作用がある。
人生には苦しみや悲しみがつきものだ。そんな中、ふと手を動かしてみる事は、たとえ根本的な解決策にならなくても、問題を乗り越える手助けにはなると思う。
また、手を動かして作ったものは、他にはない温かみで、時に他人の心をも潤す事ができる。
子どもの頃から手を動かす事を知っている人は、それが一生の財産になる事だろう。

ささやかな願いとして

私もこの仕事を始めて10年以上が経ち、日々忙しさにかまける中で、今後どんな事を目指していこうかとぼんやり考えていた。その方向性の一つが、少し見えてきたような気がしている。

何よりも、若い頃に保育士として働いた経験がある私は、子ども達と再び関わる事ができれば・・・と思うだけで、心がときめいているのである。

具体的な事はまだまだだが、そんな願いが湧いている事を、ここに書き記す事で、少しでも前に進める事ができれば・・・と思っている。

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