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知らないことを知ることの大切さ

2021.3.11 福島県いわき市 3泊4日の旅

3.11に福島でACIDMANは毎年ライブをおこなっている。いつか行きたいと思っていたライブに参加する旅にでた。

2年8ヶ月前。ACIDMAN武道館ライブで音や光、人の多さ、拍手など様々な刺激によりブレインフォグ、めまい、理解力低下、判断力低下、言葉もうまく発せられないなどの症状が悪化しライブはもう無理だと悟った。

生きがいとしていたライブは苦痛の方が強くなり、ホールのライブはあきらめた。歩くことも立っていることも辛くなり、RISING SUNもいけなくなった。

それでも音を感じたいと2年前に飛生キャンプに行き、小さな規模で音の反響のない空間であれば過ごせると、音を楽しめる可能性が見えてきた。
その後コロナ禍となり、ライブ、フェスそのものがなくなっていった。

2020冬。私の体は少しずつ回復も遅くなり、働くこともできず家で横になる時間が増えてきた。

いつ音楽が戻ってくるかわからない。
来年ひとりで自由に動ける私の未来があるのだろうか。
かたちは変えながらも音楽が戻っているうちに、行ける時に行かないと後悔する。チケットが当たったら行く!そう思って今回の旅を決めた。


福島行きの飛行機がとれず、仙台経由で福島入り。飛行機が満席でも焦らず違う道を探す術は、元々の旅慣れしていて良かったなと思う。前日は不安が恐怖へと変わるほど、私は変な緊張をしていた。


初日
飛行機に乗り、仙台駅からバスに乗りいわきへむかった。
いわきから湯本までJRが1時間待ちのため、バスとタクシーで湯本の温泉宿へ。
次の日、外の風が妙にうるさく目が覚めたため朝風呂に入りいくと、とても綺麗な朝日を拝めた。
ふと風に呼ばれたなと思い、良い旅の予感へと心が変化していった

次回は入りたい、みゆきの湯


2日目
湯本神社と願成寺白水阿弥陀堂でお参りをして、梅の花に癒される。彩りのある季節は尊い

原発のこと、震災のことをちゃんと学ぼうと東日本大震災・原子力災害伝承館へ。双葉町産業交流センターでは写真家石井麻木さんの展示会にも行った


JRの良い時間がなく、伝承館の観覧は30分のみで全然足りなかった。それでも濃い内容で途中私には情報が多すぎなくらいで、3.11当日の時間軸で起こっていく地震と津波、原発の爆発が起きていたことの凄さを改めて知り、ここができたのも2020年9月のことで10年の長い歴史と感じていたものはとても最近の出来事だった。
そして、伝承館ができた双葉町にはまだ住民が住めていないことにも大きな衝撃をうけた。
両方の会場で震災の写真が飾られていて、写真の切なさと哀しさと、その時の情景が説明の文章ひとつひとつに感じ胸の奥がじんわりと苦しくなった


LOVE FOR NIPPON /song of the earth
2014年に新潟でおこなわれたフェスにいったときの写真。新潟の地震を忘れていた自分と、そのフェスの意味をあまり考えもしなかった自分の無知に恥じた。


2021. 3.10 東日本大震災・原子力災害伝承館でもLOVE FOR NIPPONの活動イベントが偶然開催されることを知って嬉しかった。CANDLE JUNEさんの点灯を見届けることはできなかったけれど会場に行けたこと、前回は新潟で何もしなかったことを悔やんだため、いわきに泊まり、その土地を周り、その土地で食べること。時間とお金を使えたことで少しか昔の後悔と感謝を返せただろうか


3日目ライブ当日
毎月の新月前の体調不良と、低気圧、前日の体の冷えなどから朝から絶不調だった。ホテル目の前のコンビニでそうめんを買う程度で、夜には体力が戻ることを願い、ギリギリまで休んで会場に向かった。

ライブは聴覚過敏用のイヤーマフを装着し、光は目をつぶり、下を向いて負担を減らした。
音は耳だけでなく、体の真ん中で響き聴くものだと強く思えるほど最高だった。
綺麗な光と音と響きと強さと。
アンコールに最近ずっと聴きたかった昔の曲OVERを演奏してくれた。アンコールだけイヤーカフを外し、生の声を音を痛みも出ることなく堪能できた


OVER
繰り返す日々の中で 誰もが傷跡隠して
時に心隠して 一人で泣いた夜があって
目を閉じて 心の奥に
小さな、小さな歌を見つけて
そうやって人は悲しみを
一歩ずつ乗り越えて行くのだろう
嗚呼 透明なカケラを追いかけてゆくように
いつだって笑い合っていた
未来を思い描いていた
見上げた夜空に誓って

私は終始嬉しくて嬉しくてただただ嬉しくて。喜びの感情のなかに浸っていた。あっという間の時間だった。ライブ後も、脳みその違和感もなく、前回強くなったブレインフォグやめまいもなかったため、アーティストコミュニティ内で知り合った方々とはじめて顔をあわせてご飯も共にできた。自分が過ごす場所や関係があるところは過ごしやすい場にしたいと障害があることは伝えていたが、どこかでエゴだろうと思われているではないかという自分もゼロではなかった。

そんな中で、私に会いたかったと涙目で駆け寄って声をかけてくれた方がいた。私の書いた言葉に励まされたと伝えてくれた。
家族にも私の話をしてくれていると教えてくれたり、どういう病気なのと投げ掛けてくれたり。
私が言葉で伝えている行動は良かったんだと思えた。
届く人には届く。伝わる人には伝わる。
私は自分の意図してない普通に思った言葉や行動に、ありがとうを伝えてくれる人に出会う。そして、いつも励まされ。自分を振り返ることができる。今回のこともまた、言葉を届けて貰えたことは本当に感謝しかない。

言葉が届けばいつか返ってくる。



今回は仙台経由。震災で牡鹿半島の牡蠣むきをしていた浜のお母さんたちの職と集いの場がなくなり立ち上がったocicaプロジェクトからできたアクセサリーを買ってから仙台にも行きたいと思っていた。
http://www.ocica.jp/
仙台駅にしか行けなかったものの、ocicaのネックレスと一緒に宮城に戻れたのも何だか感慨深かった


あれから10年という言葉に何があるか
あっという間に感じたように
進んでいることもあれば
そんなにたったのかと
まだまだ進んでいないこともある

今はまだ通過点であるととても感じた

今はどうなっているのか気にとめながら
また来よう。来年も。必ず。

知らないことを知っていくことの大切さ
無知であることに気づき、学ぶこと
想像力をもって 一歩一歩続けていくこと

1000人にひとりがホッとできる、心の余白ができるように届けていきたいと決めた8ヶ月前。
体調は波があり、心が無になることもある。
それでも今の自分ができることを
頑張らないことを頑張りながらやり続けていこうと改めて思えた旅になった。

そして旅は再会と再訪を繰り返す素敵なループも久しぶりに感じ、また来たい会いたいが増えたことも嬉しく思えた。

3.11にいわきで過ごせて良かった
いわきに行くきっかけを
言葉や音楽を届け続けてくれたACIDMANに感謝。そして、また来年もここで。

人生思い出づくり。
日々邁進。

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