声を演奏する指揮―安積道也合唱指揮マスタークラス&合唱ワークショップ

安積道也先生の合唱指揮マスタークラスにモデル合唱団の一員として参加しました。指揮受講は経験の少ない私にはさすがに難しいから合唱団で参加したい。合唱団は抽選で選ばれるのですが、主催者側は確実に信頼できる人(知っている人)から選びたいと思うので、面識のない私は不利だろう。なので、自分がどんな立場で何を学んできたか、今回何を学びたいかをしっかり書いて、募集開始直後にエントリーしました。偶然、主催者がよく共演するご友人の方々にいろいろ師事しているので、そのことも書けば落としずらくなるかな・・・。(結局エントリーした人はほぼ全員選ばれたようです。)

ドイツの音大の1年生が最初のSemester で学ぶ指揮法の基礎は、とにかく身体との関係性でした。姿勢、手の角度といった基礎の基礎から始まり、オルガンのレジスターや1の鍵盤2の鍵盤に例えての声質や音量の変化、アインザッツの出し方、語尾の子音の処理やコンマに至るまで、まず自分の身体の反応をよく聞くことが必要になる、と思いました。

そして指揮受講生には、さまざまなバックグラウンドを持っていることを尊重したうえで、その人に合わせてアドバイスをされていました。特に印象に残っているのが町村彰さん。安定感のある良い指揮をされる方なのですが、「君はいるだけでいいんだよ。指揮をしながら一緒に歌ってあげると合唱団も安心するよ」と、瞬時に町村さんの可能性を見抜いて、何が町村さんに必要なのかをアドバイスされるのです。今回のマスタークラスの副題は「声を演奏する指揮法」なのですが、まさにそうだと感じました。

合唱ワークショップにも参加しました。さんざんアルトを歌っていたので、マスタークラスと同じ曲ということもあり、ソプラノで申し込みをしました。シュッツの曲はかなり難しいのでボイトレに通ってまでソプラノのパートを練習していました。(ちなみにボイトレの先生もマスタークラスで合唱団として参加していました。いつもアルトやテナーを歌われる方なのですが、この日はバスだったので驚きました。この先生との出会いもかなり面白いので、機会があれば書きたいと思います)

ところが、ソプラノが想像以上に多く、アルトが極端に少なかったので、アルトに移ってしまいました。アルトも1が多く、2が少ないので、結局アルト2で歌うことになりました(いつもの定位置)。そのおかげかどうかわかりませんが、安積先生の真正面で歌うことになりました。

安積先生が試行錯誤しながら、70名という人数、場所の大きさ、合唱団の能力、限られた時間に合わせてその場の最適解にたどり着く様子を間近で拝見できたのは、本当に貴重な体験でした。

シュッツのマタイ受難曲の最終曲” Ehre sei dir, Christe”の最後で、テナーとバスの2重唱、ソプラノ、アルトの順でKyrie eleisonと歌うところがあります。 先生はテナーとバスにやわらかく、その次にソプラノにもやわらかく入るように指示していたのですが、アルトには怖いくらい強い目力と吹き飛ばされそうな勢いで入りを指示するのです。思わず私も先生が目を見開くのと同時に目を大きくしてしまいましたし、先生と同じように前傾姿勢になり、硬質な声を出していました。安積先生はモルテン・シュルト=イェンセン先生に指揮法を学ばれたのですが、昨年聴講したモルテン先生のマスタークラスで、「合唱団に怒りの時には怒って、緩むところは緩んでほしいと伝えるときに、指揮者の体勢のヒントとして前傾姿勢がある。指揮者が前傾すると合唱団も気持ち的に前のめりになって怒った声になり、前傾を緩めて普通のポジションになると合唱団も緩んで、やわらかい声になる。ちょっとしたことで合唱団が大きく変わることに驚いた」と書いていたのですが、まさにこれでした。

こういうことができるようになるまでに指揮法の基礎はもちろん、歌詞の解釈も必要ですし、なにより自分の身体と向き合わないといけない。音楽的な解釈と身体が一致していないと、あのような指揮はできないだろう。ポンコツな自分の身体だけど、それでも自分を信じてゆくしかないんだろうな。そう思うといろいろな感情が沸き起こり、すごく泣きました。

シュッツのマタイ受難曲は、いつかどこかで、できれば各パート3~4人くらいで全曲やってみたいです。ワークショップの最後に会場に向かって「ドイツに来ない?」とおっしゃっていて、「はーい、行きたいでーす」とつい反応してしまったのですが、本当にドイツで勉強したいです。