見出し画像

Ema‘s Reality 夢枕で気がついた本当の気持ち

私は視覚的に見えていない人、光、歪みを見たり声を聞いたり、空間を視覚外で存在するものにあう事があります。私はそれらをエネルギー体と呼んでいます。

長い間それは妄想なのだと思ってきました。でもそれが私のリアリティでそれぞれの人にリアリティがあるのだと気が付く事ができました。

ここでは私の日常や何か目的を持ってお伝えする事など含めて書いていこうと思っています。

●本当の気持ち

 昔学生の時に住んでいたアパートで使っていた座布団がびっしょり濡れている事がありました。コップ1杯こぼしたとかそういう量ではなくそこだけびっしょりで捨てなければならないレベルでした。さすがにこれは変だと思いましたし、周りからも何か実家であったんじゃないかというので実家に電話をしました。すると案の定祖母の妹、大叔母が亡くなっていました。大叔母はいつも寝巻きも和服でまげを結っている人で私は一度しか面識がなかったのですがその髪型のせいで良く覚えています。

 丁度母が仕事で行かれなかったので母の代わりに大叔母の葬儀に行くことにしました。母の実家は貧しかったからなのか躾がとても厳しい家で兄弟の間柄でも最期まで敬語を使っているくらいでした。そのせいかひっそりとしたお葬式でした。母の代わりに私が会葬しているのを不思議がった親戚が何でお前が来ているんだい?お母さんは?と聞かれるのでカクカクシカジカと説明すると、大叔母が何故お前に会いに行ってんだろうね、お前のお母さんが心配で出てきたのかもしれないね、なんて話をしてその事件については終わりました。                                                                                                                  

 その後大叔母の事はすっかり忘れていたのですがこんな出来事がありました。小学校高学年まで大叔母の姉の祖母と一緒に住んでいました。祖母や大叔母は厳しい時代を生きたのか祖母は私のことを表面だって可愛がってくれたことは一度もありませんでした。よく汚い子だねとか嫌味を言われていたを覚えています。本当にどうしてそういう事が言えるんだろうと大嫌いでした。大嫌いな祖母との思い出の中に1つだけ嬉しかった思い出があります。甘辛く煮たお餅を作ってくれた事があって、それが本当に美味しくってまた作ってくれないかなって思っている間に伯父のところに引き取られていきました。

 昔は縁起を担いだり、何かの法要をする事がとても大切な事だと考えていたお家が多かったのでないかと思います。母方の親戚も法要や札とかを納めたりどこかでお経を上げてきた物を何処かに法要の為に何かを納めたりしていました。ある時長野の善光寺に伯母が祖母と大叔母の札を納めに行ってきてくれと言ってきたんです。何故だったかはもう伯母も亡くなって分からなくなってしまいましたが、とにかく小遣いをくれるというのと長野の友人に会いに行けるので長野の善光寺までお札か何かを納めに行ってきました。

 そしてその後帰った日の夜の夢に祖母と大叔母が出てきたんです!明るい光の前で二人で微笑んでいて、まさにドラマに出てくるような夢枕のシーンでした。その時自分でもびっくりするくらい

『おばーちゃんじゃん!何どうしたの?』

 と喜びをあらわにした自分がいたんです。その時は夢枕だなんて気がつかないで、フェイドアウトしていく祖母を追いかけようとするのですが追いつかないでおばーちゃんと喜びながら見ている自分が普通で、夢から覚めた時になんだなんだ、夢枕というよりも喜んでいる自分に驚愕してしまいました。心というのは気紛れなものであんなに嫌っていた祖母の事をそれ以来私は自分がおばあちゃんが好きだったんだという事になりました。

今は祖母の事が好きだと知ったので祖母の事は何故か大好きです。なんでなんだか全くわかりませんがとっても素直に受け入れてしまいまったんですよね。

本心をこのような形で知る事ができたのも私はとても幸せだと感じています。また大叔母はいつか私がお札を納めに行くということを知っていたのかもしれないな、それでアパートに来てくれたのかもなんて勝手に思っています。

あれが夢枕ということは随分後になって気がつきました。そうなんです。それよりも本音を知ったということの衝撃が凄かったからです。でも本心を知る事ができた方が遥かに魅力的でいいですもんね。

おばあちゃん有難う👏✨


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?