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サイレンの美学

いつの頃からかサイレンを聞くと心の中に何とも言えないざわめきを感じるようになっている。救急車、消防車、パトカー、その他なんでも。工場や役所などから聞こえてくるサイレンも同様。すべてのサイレンに心が反応している。

たとえば、夜遅く、本を読んでいたりネットを見ていたりすると何処かからサイレンの音が聞こえて来る。救急車だけの時もある。消防車と救急車の音が混ざりながら聞こえて来る時もある。遠くから聞こえて来たかと思ったら、近くの道路を通過してまた遠ざかって行く時もある。かなり遠くで鳴っていて、そのまままた消え入るように遠ざかって行く時もある。

そんな時、いろいろと考えてしまうのである。想像してしまうのである。あれは消防車の音だ。何台も通り過ぎて行く。何処かで火事があったのだろうか。それとも何か事故だろうか。救急車だ。こんな深夜に。急病人だろうか。家で寝ていて病院に搬送されて行くのだろうか。それとも、今、倒れている人のもとに向かっているのだろうか。パトカーだ。かなりのスピードで移動している。何度か方向を変えながら遠ざかったり近づいたりしている。何か事件が起きたのだろうか。逃げている犯人を追いかけているのだろうか。

僕が創作小説を書くからかも知れないが、サイレンが聞こえて来ると僕はこんな風に忙しく思いを巡らせている。どちらかと言えばワクワクした心で。もちろん、サイレンが鳴るということは何らかの事故や事件が起こっている可能性が高いのだが、それを喜んでいるわけではない。僕自身も家族が救急車で運ばれるのに同行した経験があるので、どんな形であれ不幸を喜ぶ気持ちはない。
そうではなく、あの音だ。高く低く。細く太く。消え入るかと思っていたら、急に割れんばかりに響いたりする。何かの生き物が悲鳴を上げているかのようなあの音が、僕の想像心を掻き立てるのだ。

現実の生活の中で聞こえて来るものだけではなく、映画やドラマ、特にラジオドラマの中でサイレンが鳴ったりしていても同じような気持ちになる。何事か劇的な出来事が起こっているという感じ。まさにドラマチックな。
サイレンには独特の美学がある。そう思う。

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