見出し画像

私を見ている観測者

観測というのは、対象の系と測定器との間の相互作用であるのだった。うまい相互作用を人為的に設定して、計画通りにその相互作用を起こしてやって、測定器のメーターなどを使った読み取りやすい形にしてやるのである。しかし私がそれを見て結果を知るまでは測定器のメーターも重ね合わせ状態になっているのであって確定していないのである。私とメーターとの間の相互作用が必要なのだ。

そうなると、なぜメーターと私との相互作用の結果としてただ一つの状態が定まるのか、という疑問が出るかもしれない。そこで「私が観測を行う様子の一部始終」を観測している別の観測者に登場してもらおう。

彼にとってはメーターと私とが相互作用を起こす様子が計算できるのである。あまりに複雑すぎて現実問題としては無理だが、原理的には可能であるという話である。理論的にはそれを表す方法が確立しているからである。

メーターの指し示すそれぞれの結果に応じて、それぞれに違った反応を示す私が生じるはずだ。「そういう様々な状態にある私」と「それぞれ異なる値を指している様々な状態のメーター」とが相互作用によって結びつく様子が計算可能である。そこに「魂」や「意識」などというような不思議な存在の働きは一切生じていない。なぜなら、彼にとっての私はただの物質の反応そのものだからである。

その過程で干渉も起きるだろうし、その結果に応じた確率でいずれかの私を観測することになる。彼にとっては「複数の私」が存在していたかのような結果が出るのである。しかし私はそんなことには気付いていない。

それでいいのだ。やがてどんな私を観測することになるかは彼にとっての世界の話だからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?