見出し画像

観測の何が状態を確定させるのか

観測するとは何なのか、そして観測するときの一体何が引き金となって、どの瞬間に状態が確定するのだろうか?

この疑問について、そういえば私が昔に書いた記事の中でもつぶやいたりしたことがあったなぁと思い出す。自分にとっては長年の疑問だったのである。最近になって量子情報理論に基づく観測理論を勉強することによってその謎が完全に解けて納得が行ったので簡単に書いてみようと思う。

実は一旦納得したあとで満足してしまって、数ヶ月後にこの疑問を思い出したときにすぐに答えられなくなっていたので、ごく簡単な言葉でメモを残しておくのは大切だなと思ったのである。

では説明を始めよう。

観測というのは観測対象と測定器との間の相互作用である。まぁ当たり前だ。もう少し具体的にしよう。観測対象に N 個の区別できる状態があって、測定器に M 個の区別できる状態があるとすると、相互作用を起こさせることによってそれぞれの状態が関連付けられるのである。

重要な点は、これはある瞬間に一瞬で関連付けが成立するというイメージではないということである。相互作用が始まった瞬間から終わるときまで、時間をかけて、それぞれの状態の結びつき方が連続的に変化していくようなイメージである。

予定していた相互作用を最後まで終わらせないことには予定通りの結びつきが行われず、正しい観測結果は得られないのであるが、もしうまく行えなかった場合であっても何らかの観測を行ったことにはなるわけである。

さて、これで対象の状態と測定器の状態とが何らかの重みで結びついた。観測対象の状態の一部が読みやすい形に翻訳されて測定器にコピーされたと言ってもいい。しかし観測者が測定器を見るまでは状態は確定しない。測定器が取り得る M 個のうちのどの状態になっているかは観測者にとっては未知であり、可能性の重ね合わせ状態にあるのだ。

ではどの瞬間に確定するのか?

測定器の目盛りを読むためにも様々な相互作用が必要である。それは次々と起こり、そのたびに上で説明したようなものと本質の変わらない「情報の伝言ゲーム」が行われるのである。

それがどこまで続くかと言えば、観測者の脳が情報を受け取ったと確信するまでである。測定者自身にとってはどれか一つの状態にしかなり得ないのでそこで観測は終わりである。どれか一つの状態にしかなり得ない形での測定実験をしたからである。これが観測者にとっての観測の全貌である。このことを指して、「観測者の意識が状態を確定させた」というような表現をすることがあるわけだが、なんら神秘的なことを言っているわけではない。

何度でも繰り返す必要があると思うのだが、「意識」というものは、世界の状態を決めるための能動的な働きをしているわけではないのである。観測の結果として一つの状態を得たと自覚するのは自分しかないよね、と言っているだけである。

この観測者である私を観測する別の観測者が居れば、その観測者にとっては私でさえも複数の状態になり得るのでその観測者にとっての観測プロセスはまだ少し続く。

こうして聞いてしまえばごく当たり前の話であって、量子力学の初期から何も説明は変わっていない。その過程が情報理論という形で精緻化されて表現されるようになったために納得感が増したというだけのことだと思う。あるいは「この世界が究極的には情報のやり取りによって成り立っている」という「情報理論的解釈」に触れたお陰で、その世界観も助けになっているのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?