見出し画像

ある判決と『ケイコ目を澄まして』について

2月27日、大阪地裁である判決が下った。5年前の聴覚障害者(安優香さん当時11歳)の重機による死亡事故に対する判決である。
裁判の争点になったのは、安優香さんの逸失利益について、健常者と同じ労働者の平均賃金で算出するか、障害者として算出するかという点であった。

大阪地裁の武田ミカ裁判長(女性)は安優香さんの逸失利益は健常者の85%とする判決を下した。そして『障害が労働能力を制限し得る事実である事自体は否定できない。一方で安優香さんは学年相応の学力や学習への意欲もあり、慣れた環境下では手話だけでなく口話も可能だったことを考慮、さらに、音声認識アプリなども技術の進展も見込まれ、将来におけて聴覚障害におけるコミュニケーションへの影響が小さくなる。』と結論づけた。

この判決に対するコラムが日経新聞に掲載されていたのを読んで、この事件に対する著者の安優香さんやご両親への慈愛に満ちた内容に大きな感銘を受けたので下記の掲示するので是非読んでほしい。

                           日経2023年3月1日より

映画「ケイコ 目を澄まして」は2022年キネ旬日本映画ベスト1に選出された
作品である。そのため、このコラムへ惹きつけられたのであるが。

少し調べてみると、一般的には聴覚障害があると、逸失利益は健常者の6割程度に
なることが一般的であるようだ。当初検察側は、安優香さんの逸失利益を4割で進
めようとしていたとのこと。そのことが逆に原告側の感情を刺激してしまったと。

判決に対して、安優香さんのご両親は「娘は生きている間も差別されて、死んでからも差別されるのか」「裁判官は差別を容認した。」と泣きながら抗議していた。ご両親の無念さを思うとなんともやり切れない気持ちになる。将来の希望に満ちている1人の少女の未来を一体誰が値段をつけることができるだろうか?もしかすると、成功して健常者の平均以上の収入を得ていたかもしれない。しかし、残念ながらそれを測ることはもう出来ないのである。

武田裁判官は、客観的にみて非常に苦しんだ上で最大限原告に寄り添った判決を出したように感じる。(もしかすると、お子さんがいる1人の親なのかもしれないが)判決今後の同様の裁判における判例となる。その際に客観的に判断せざるを得ないことは理解できる。あくまで一般的に社会通念上の観点からも妥当な落とし所を探ったのだろう。それに、今後のIT化によるデメリットが縮小する可能性にまで言及していることで、すこしでも安優香さんに寄り添おうとする姿勢を察することができる。1日も早く、テクノロジーの進化で障害者が健常者と変わらず働くことできる世界が実現することを望むばかりである。

さて、話は少し変わるが、このコラムの構成がすばらしいので、その点を指摘しておきたい。まず、一見全く本件と関係のない話題から話が始まる。そして、その映画の印象に残ったセリフを記載したあと、本題である「裁判の判決」の話題への話を展開てく。本題に入って、最初のフリの話との共通点が見えてきて、一気にシンクロし、最初に触れた印象的なセリフをこの被害者の安優香さんの失った将来の無限の可能性への言葉として引用し締めている。

『器量がある大人になったはずだ。』
 ※器量・・あることをするのに相応しい能力や人徳

「人間としての器量があるんですよ」そう言われるような大人でありたいと、
1人このコラムを読み終えてそう思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?