ハタチ

ハタチになった。

沢山を大切にしたいと思うあまり、全部を中途半端にしてしまって、自分が19年間、上手く生きてこれなかったのが浮き彫りになった気がした。

人を傷つけてしまったり、傷ついている人に必要な言葉がかけられなかったり、軽率な言動をしてしまったり、思い浮かぶ後悔は人に関する事ばっかりだった。

そんな私に、おめでとう、と言ってくれる家族、恋人、友人がいる事に本当に感謝した。

上手に生きる、ということが何なのか、そして、それが本当に重要なのかは分からない。

けれど、本当に大切にしたいものだけは心に決めて、それを自分の中で守り通すことを忘れないで過ごしたい。

ある時、すごく人望が厚くて、皆の悩みを聞いて、それに対してすごく素敵な言葉をかける人が居た。

私はその人に、「どうしてそんなに人に優しくできるの?しんどくなる事はないの?」と尋ねた。

するとその人は、「しんどくなる事はない。人に優しくしてるといつか自分に返ってくると思っているし、実は自分だってそんなセコい事を考えている。」と言った。

綺麗事で答えず、相手の負担にならない正直な言い回しにすごく感動した。そして、例えセコかったとしても、誰かの支えになれることは「純粋な善」だと思った。それは人を貶めるようなセコさではないから。

「丁寧に人と向き合い、接すこと」私の19年間に足りていなかったものだと思う。信じてもどうせ傷付くし、と擦れて、信じてもらう事も諦めていた気がする。

煌びやかでなくても、特別面白い事が言えなくても、秀でた才能がなくても、丁寧に生きていれば「大丈夫」だと思える気がする。

「ありがとう」と「ごめん」を言うだけでなく、「自分に出来ることがあれば行動に移す」「嫌な予感がしたら一旦立ち止まって考える」それこそが人を救う気がする。

最近、老子の「足るを知る」という教えを知った。後悔の多い19年間だったけど、沢山の宝物もできた。私が抱えているのなんて本当に贅沢な悩みで、悩んでいる事に気付いたと同時に、自分がどれだけ幸せなのかに気付かされた。

「足りている事を喜び、多くを欲しない」

身の回りに溢れている幸せに感謝して、刻一刻と過ぎていく今を楽しむ。その意味をハタチにしてやっと理解した気がする。

これから納得のいく生き方をする事で、私の19年間がもっと幸せになってくれたらいいなと思う。

そして自分なりのeu zenで、死ぬまでに出来るだけ善い魂にしてあげたいと思ったハタチでした。

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