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「性格がいい」の真相。



 「あの人、性格いいよね」
 「性格のいいあの人も、苦手って言ってたし、この人はやばい」

 ”性格がいい”ってなんだろう。自分で、自分のことを”性格の良い人”と表現する人は少ないと思う。わたし自身は、自分を性格がいいとは思っていない。でも、「わたしの知り合った中で、1番性格がいい」と表現してくれる人もいる。

 ”性格がいい”って何だろう。

 わたしが思う”性格がいい”は関わりやすさだと思う。そうして考えたときに、”性格がいい”と思う要素は、以下の通り。
 表情が柔らかく優しい雰囲気がある、言葉遣いがていねいで、きれい、謙遜で誉め言葉をはねのけない、提案できる、本人のいないところで悪口を言わない、人も物事も否定しない、人の話をよく聞くことができる、恋人がいる異性にちょっかいを出さない、2人きりで会わない、お互いが傷つくこともはっきり伝えられる、人によって態度を変えない、など…

 こんな人いるのかよってなるかもしれないけれど、います。わたしの友達の中にはちゃんといます。

 わたしが人と関わるときにこうありたいという理想みたいなところもあるけれど。自分が思う理想の人間でいられることは自信にもつながることだと思う。ただし、わたしは、他の人から自分がどう見られているのかとても気になってしまうし、いつもなりたい自分より、相手に求められている自分を演じて生きている気がする。
 最近、よく耳にする「繊細さん」。天然とか、メンヘラとかみたいに、自称だと、イタイ人と思われそうで自分から口にはできない。けれど、気になってチェックリストを順番に見ていくと、ほとんどにチェックがつくので、自称ではないことは明らか…

 わたしの第一印象に明るいという印象を持ってくれる人が多いのは、本当は根暗な性格であることを隠しているからだと思う。根暗でも、人が好きで人とのつながりを感じて生きていたいから、明るくふるまい友人を獲得してきた。そして、付き合いが長くなってくると少しずつ素の部分が出てきて、「あれ?実はこの人、全然明るくないし、つまんない」と、簡単に友人リストからはじかれる。
 本音で語り合える友人と、気楽に食事に行ったり、飲みに行ったりできる友人、そして、信頼できる大人が数人いたら人生は大成功だと思う。わたしを陥れようとする人がいるときに、「あの人はそういうことする人じゃない」と、この人たちが救ってくれることを知っている。どん底に落ちたときに、わたしが立ち直るのをじっと見守ってくれることを知っている。そう、みんなに好かれる必要はないことなど知っている。でも、やっぱり、性格が悪いと思われたくないとも、思ってしまうのだった。

 絶対的な自信も、取り柄もないわたしは、誰かに認められることにこだわりすぎて、自分の好きな自分から少しずつ遠ざかって、白から灰に、そして灰から黒に変わってしまっていたのかもしれない。わたしの好きな、”性格がいい”わたしに生まれ変われる年になりますように。



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