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高見えとはファッションの醍醐味だ


   私はファッションには敏感ではありませんが、単純に好きです。流行を意識していないというのはある意味、他人にどう思われるとかは気にしてないという感覚かもしれません。なので、人がどんな服着てるかとかも実はあまり覚えていません。どちらかというと自分視点でしかないのです。私が心地よいから着てる、それだけです。

   で、こんなこと言うとめちゃオシャレな人みたいにきこえるので強調しておきたいのですが、別にオシャレというわけではありません。すみません、至って普通です。ただ私はこの日にこれを着たいという気持ちの上でのこだわりがあるという話です。

   ハイブランドもプチプラも関係なく着ています。それぞれの良さがあります。どちらかに執着してないからこそ、気軽に行ったり来たりできるのかもしれません。

   パーソナルカラーを知ってから、ファッションが楽しくなったという人は多いと思います。私もそうでした。これまでしっくりこなかった感覚がやっとわかったり、似合う気がするという感覚が確信になって楽しくなったり。ジャスコで買った時計を他人からそれどこのブランド?と訊かれたり。

   標題、高見えとは。言葉のまま、値段の割に高く見えるものというのが私の認識です。そのジャスコの話はまさにそれなのですが、先日誰かが高見えというワードが嫌いだと言っていました。詳しくは忘れてしまいましたが、その方は見栄を張るという意味で捉えておられたように思います。
高いものに見せるということは果たして見栄なのでしょうか?

   私はジャスコを褒められた時、素直に嬉しかったです。べつにそれをグッチと見せたかったわけではないし、高いものに見せたかったわけではないのです。
単純に、良いものを選べた私が嬉しかったのです。自分がジャスコを輝かせている。そしてジャスコが私を輝かせている。その上経済がまわっていく。そんなwin-win-winの関係。心から満足できた買い物を浪費とは言わせません。払った額以上のわくわくや楽しみ、面白さ、その感覚が私の思う高見えのメリットです。


追伸
未だにイオンをジャスコと言ってしまいます

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