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わたしとサイコパス


わたしとサイコパス①
はじめに


「いじめ」や「ハラスメント」
こういった関連について調べていた


調べていくと
なぜそれが起きるのかというところに行き着く
なぜと言われればその場の集まる人の
様々なパワーバランスによって生まれるもの

その中でもサイコパスやそれに関連するワード
というのはいじめやハラスメントに
関わってくる要素であると考えている
あくまでも起きうる一つの要素であるが

以前サイコパスの書籍を読んで
「んー今まで会った人のどの人が
サイコパスなのだろう
でも極端に悪人っていないよな」と思っていた

しかし、それは抽出方法が間違っていた

人 > いわゆるとても悪い人 > サイコパス

↑ これでは自らの検索には引っ掛からなかった


しかし生物的な観点からみたり
感情を抜きにして過去を振り返ったら”いた”
パターンみたいなもの

そのパターンで抽出したら
すごく近くにいました、複数


書籍には専門家でないと見極めは難しいとあるが
本当にその通りであると実感する

見極めることに意義はないと思っている
(個人的にはパターンを掴んだけれど)

ただハラスメントやいじめ、
人間関係からの引き離し
こういったことが起きた場合の起点に、
サイコパスがいる可能性が低くないと
個人的な経験から感じるため
これを書くに至る

そしてなにより、思いやりの人が
めちゃめちゃにサイコパスと相性抜群だからだ
(もちろんわるい意味で)
知らずのうちによってきてると思う


誰かが傷つくということ抑止、予防したい
という思いで書くに至る
書籍等やいろんな記事
先人の力を借りて、わたしもそこに参戦


サイコパスのなにがわかりづらいって
歪みや嘘、ずるいことを
悪気なくできるということ

全部、本当(嘘)だからだ
しかもそのなかに本当も混ざってたりする

↑意味不明
でも術中にはまったら
サイコパスの言ってることが
全部本当になる(マインドコントロール完了)



つい、ごくごく最近まで
サイコパスがどのような対象か
全くわかっていなかったが、
最近理解したので注意点を
シェアしていきたい


ギフテッドを自称しているが
けっこうな頻度でサイコパスに遭遇していた
と最近気づいた
↑これが一定のパターンなら、ギフテッドに
けっこう寄り付いてくるという結果に至ると思う

今思えばわたしが相対してきた対象の笑顔は
気持ちのいいものではなかった


ちなみに
わたしが用いる「サイコパス」という
ワードにおいては悪い人とかそういったものでなく他者を巻きこみ、不用意な被害を出し
人を自分の思う通りに操り
いじめやハラスメントの起点になりうる対象と
しています。だとするならば
ごくごく一部のサイコパスとでもいうのだろうか

「サイコパスは嫌い」という感情でなく
もしそういった対象がいた場合
どのようなことが起きるのか等を
書籍や先人の知恵を元にし、
記事にしていきたいと思った経緯です




わたしとサイコパス②
サイコな視点


サイコパスの大きな特徴としては
良心や共感の欠如があげられるとのこと


そして人を自分の思い通りに操るという
ということをする


で世の中にさまざまなタイプの人がいるけれど

たいていの人は、サイコパスとされる人に
対して面倒くさくなったり
鬱陶しくなれば、「あいつ面倒くさい」となって
サイコパスから離れられる
いわば自らを自らで守れる

しかしやさしい人は
良心をもって、「いつか変われる」
「寄り添えばきっと」とか
そういう信念を持ってたりかもしれない
わたしもそうであったのでよくわかる

しかしサイコパスに
良心へのアプローチは無意味

↑これがね、すごい難しい気がする
「これが存在するということを理解する」
ということを理解するということが
なんだか良心が痛む気がするよね

だから生物的な視点で考えてみるのがいい
(被害者、標的になったことが
 ある人はよくわかる。その良心が
 欠如しているという意味を)


ステータスに「思いやり」が
最初から存在しないは
どういうことなのか


■人のステータス
・身長
・体重
・賢さ
・思いやり

■サイコ系のステータス
・身長
・体重
・賢さ


こういうこと
だから思いやりのステータスに数値が
そもそも割り振れない

だから例えば
「思いやりのタネ」を人に食べさせれば
思いやりがプラス5増えるとして

それをサイコ系に食べさせた場合は
お腹がすこしふくれるだけ

そして、思いやりのステータスが
増えたフリをしたりします




サイコパスは良心が存在しないため
「人に対してそういったことをしてはいけない」
とかそういうのが通用しない

わかったふりはする

わたし個人の経験からすれば
サイコパスであろう人と一緒にいたとき

いわゆる人を蔑むような態度や発言
(わざわざそれをしなくても
 いいよねというやつ)
があったためアクションを起こした、 
おだやかに冷静に

しかしその時、対象は全く
理解していないのがわかった
わたしは疑問に思った
それが無自覚にできてしまうということの違和感

でもいつかは変わると信じ続けた

良心にながく訴えた、けれど
わかったふりをする
そして永遠にそれを繰り返す

正義を押し付けたわけではない
そもそもひとはひとでそれぞれという
基準が自分にはあるしけっこう広い

けれどその個体は
いわゆる一定ライン、一般の基準を超えていた
しかもけっこうな頻度で
他者を蔑みそれを悪いことと全く思わない

しかし、きっとかわれると寄り添いつづけた

けれどどこまで行ってものその対象が行う
他者に対する扱いはかわることはなかった
当時は、絶縁にいたった



サイコパスは人をどうやってみているか

ゲームで言えば

「暗視サーマルビジョン」をつけると
体温で人の位置がわかるというやつが
あったりするけれど

やさしく責任感がある人は
サイコパスの視点から見ると
めちゃめちゃに目立ってるかも

いわば操作対象、寄生対象
めちゃめちゃに赤くなってる

他者を思いやる人ほどサイコな
罠にハマりやすい
サイコの標的になりやすい



わたしとサイコパス③
共感



「人類みんなきっと話せばわかる
きっと不遇な生まれだったから
そうなってしまったのかもしれないけど
いつかきっとかわれる、人は変われる
人は人を思いやれる」

※でも例外もいます

サイコパスにあるのは共感ではなく
あいての反応からそれがどういうものか
判別している、自らの利益になるかどうか



認知的共感と情動的共感について

ネット記事や書籍にも書いてありました
自分なりに要約


■認知的共感とは

相手の心理状態を推しはかる、
推測するということ
「この人はきっとこう思っているのだろう」
というやつ

■情緒的共感とは
他者の悲しいを話を聞いて自分が悲しくなったり
簡単に言うと相手の感情をもらうような感じ
「楽しさも悲しみも半分こ」みたいな


で、サイコパスの場合
後者の情緒的共感がないとのこと

「この人は今悲しんでいる状態なんだろうな」
と表情や仕草から推測はできるけど

相手に共感して悲しむとかがない
だから人の痛みも当然分かりません


しかし共感してるフリはできる
ここがポイント、共感ができなくても
共感をしてるフリができる

しかも相手の感情を見抜くという
外見から判断する能力は高かったりするらしい

感情を意識しない分、その目が養われている
ということか

だから行動を監視してくるようなあの目は
そういうことなのだろう



サイコパスは言葉ではいろいろ言えるけど
心は伝わらないということ
だから共感能力の高い人は
わかりやすいかもしれない



枠が広い人は、
多少かわってても他者の
個性として捉え、許容する範囲が広い
いわゆる相手が幼稚であっても
みんなそれぞれいいよねの精神で
寄り添うことをこともあると思う

しかしサイコ系は無意味
なぜかというと良心がないから
人じゃなくて、生物的にみるといい


サイコ系は偽のやさしさをくれて
寄生してくる、じわじわ侵食してくる

侵食、懐柔できなければ
仲間はずれにして嘘、偏見を吹聴する

そして、時に笑顔でチャンスを伺ってくる
(操作系笑顔って呼んでる)
なんのチャンスって?
いかに懐柔できるか、おもちゃ探し

ハマったら深い沼
誰も信じられなくなるようにして孤立させる
ひどくパワーを吸い取られる

徐々に当たり前が歪んでくる感じ

一般的な人はわりと早めに面倒になって
離れるかもしれない

けれど、やさしいタイプの人間は
良心をもって、寄り添う、
寂しくさせないようにする
やさしい人はあやまれば(思っていなくても)
だいたい許してくれる

↑超サイコパスと相性いいんだよ
このやさしさが磁石のようにマッチする


人生と精神が持っていかれます


サイコのフィールドは
それぞれの人が活かされるとは真逆
淀んだ空気、誰かを孤立させやすい空気
惑わされ懐柔されてしまった人たち
いじめに加担させられる人たち
つくられる閉鎖的な環境

助け合いとは真逆にいってるから
思いやりの人たちからすればすぐみえる


話せばわかるが通用しないものは存在します

悲しむという行為に対して、サイコパスは
何も感じないので無意味です


被害に遭いそうな時は
たんたんと一貫して「反応しない」「与えない」
物理的にも精神的にも、合理的に冷静に
対応するがいいのかもと思ったりする



わたしとサイコパス④
なぜかはじまる人狼ゲーム


優しい世界という名前で
アカウントを作ったけれど
優しい世界は危険なのです

いわゆる優しい世界は
搾取する人間の温床になりやすい



イメージでいえば
とても平和な町、笑顔の絶えない町
しかしなぜかそこから"知らずのうち"に
1人1人消えていくような不可解な現象が起きる

↑そんな話あるよね
あれはきっと一種の警報だったり?



息をするように嘘をつく


その嘘は
自分を守るためだったり
誰かを守るためだったり
めんどくさいからつくとか
他者に損害のない嘘とは別


人狼ゲームってあるよね

あれが、特定環境だとおきる
というかすでに起きちゃってる

人狼ゲームが"なぜか"
はじまっちゃってる環境


誰かの思惑がなければ
疑心暗鬼になるようなゲームなんて
はじまらない



気付くのはなかなか難しい

なぜかというと息をするように嘘をつくって
どういうことかというと

全部本当のことだから

何をいってるかわからないかもしれないけど

「この人、本当のこと言ってるなぁ」と
自らが思う状態を

その対象は常に嫌悪感を
抱くことなく、維持しつづけられるということ
(嘘をついているのに)

↑そりゃ気付けない
装置については全く知識ないけれど
嘘発見器をつけても、嘘と判定されないような
イメージ


村人(人狼)の口がうまく、とても堂々としている
嘘は自らが嘘だと思わなければ本当になる


村人(真)は困惑する
「え、なんで自分村人になっちゃってんの」
「え、なんで自分が狩られる側なの」
「え、まって、そもそもなんでこの現実において
 人狼ゲームはじまっちゃってんの?」


こういうこと
いじめやハラスメントの常態化する
居心地の悪い環境


そんな環境ではすでに
「人狼ゲームが"はじまっちゃってる"」
ことがあるかもしれない

前提として
この人は嘘をついてるって
そうそう思わない
というか思いたくもない


でも被害をうけたことがある方は
その異常性を理解していると思う

対象にされた人間がどんどん疲弊していく
なんかすごく疲れる、いるだけで精神を病む
疲弊して騙されてることにも
気づけなくなっていく


でもそれって当然で

本当(嘘)のことを堂々と広める
ということしてるものがいるということは

対象になったものが
必然的に嘘(本当なのに)になる
ということなんだ

しかもその速度もはやかったり
嘘をつけるっていうのは
いわば、変幻自在


例えば、剣士同士の一本勝負

ルールは、定められた同種の剣で戦うこと
とされてたとする

嘘をつかない人がまっすぐな剣だとするなら

嘘をつけるものが持つ剣は
剣があらゆる角度に折れたり、消えたり
相手の体力を奪ったりする機能付き

↑え?ルール破ってない?
そうなのですこれが普通にできるということ


正々堂々なんて最初から通用しない
アニメや漫画でもあるよね。参考になる

ずるいやつは勝ちやすい。なぜかって?
最初からルール(道徳やモラル)を逸脱できるから
非常にシンプル

違う剣なのに
「同じ剣だよ」って真顔でいえるということ
それが当たり前かのように



すり替わる被害者、異次元空間
誰が本当のことを言ってるのかわからい
疑心暗鬼


だからさまざまな制度とか
対策がされているようになってるんだと
最近本当の意味で気づいた

嘘が本当になるやばい環境


そういうものって
いないと思っていたし、いると思いたくなかった
よく話せば誰とでも理解できると思っていた

でも嘘を平気でつけるということができるという
ものが確かに存在しているんだと
(好きでも嫌いでもなく、生物的な視点で)

だから行動が判断材料になるということと
証拠を揃えなければいけない必要性があるのか
と今更ながら気づいた

なぜかって、普通が通用しないからだ 


被害者は泣き寝入りが少なくない

人間関係からの引き離し
エスカレートするいじめ
居心地がどんどん悪くなっていく
一般的な感覚を持ってる人は
早めに気づいて距離を取り始める
もしくはすでに取り込まれている

やさしい人間や、ストレス耐性のある人間は
付き合ってあげようとする
けれど結局耐えられなくなって関係がおわる

そして次の標的を探しはじめる

経験しないとその異常性に気づくことは難しい



優しい世界のメリットは
あたたかい気持ちになれるという
メリットがあるとして

デメリットでいえば、
村人が消されても
消えたとしても気づかないこと

人狼は村人のふりをする
当たり前のように村人の顔をしている

見守り役は必要だ




わたしとサイコパス⑤
落ち着く人は錯覚か?


「ぁあこの人一緒にいると落ち着くなー」


↑これが間違いの可能性の話があるかもの話

特に共感力たかめのやさしいひと
いわゆるサイコパスの餌食に
なりやすい人への注意喚起です


この場合、自分が落ち着いてるのではなく
相対した相手が
「不自然に落ちつきすぎている場合」のはなし
その中でも他者から搾取しようとするものの話


フォルダでいえばこんな感じ

🗂落ち着く > 🗂違和感? > 🗂錯覚 > やばい人


落ち着く人がやばい人っておかしいよね
けれど、人の捉え方(認知)って千差万別

そして自分も錯覚したことがあります
「なんかおちつく?」???? ?


例えば
自らがなんか落ち着くなと感じる
というこの場合

基本的に人と相対した場合
何かしらの感情の動きを受け取ると思う
他者の感情の機微に敏感な人ほどそれがある
だから人といると疲れてしまうし
良いものも悪いものも受け取る
いわゆる共感性が高いということ


しかし、あきらかに落ちつきすぎている
それを超して「何も感じない」という
パターンが今回の話

たいていは
何かしらの動きがあるのが
普通だと思ってる(主観)

他者の感情の機微に敏感な人は
「自分は、この人といると落ち着く」と
錯覚する場合があると考える

一定数本当に安定している人もいる
元から穏やかであったり
おじいちゃんとかの場合
↑それは除く

その中でも
「無」の状態?
あきらかに感情の機微を感じない

この場合確かに動揺とかないから
動揺はしにくいから、
自分は「落ち着く」と錯覚する

確かに落ち着いてもいいんだけど
それを単純に良いことと判断してしまうと
後で痛い目をみるケースがあるかもという話
(リスクは回避してこう)


どこか違和感がある

行動と感情の違和感
笑顔と感情の不一致
声に色が乗らない、心が伝わらない
どことなく無機質である


でもやさしくしてくる
作られた笑顔で接してくる
なぞに持ち上げてきたりする
しかし行動と心が一致しない




サイコパスは罪悪感を感じず
他者に振り回されない


ということは、動揺が少ない
動揺が少ないから堂々としている
だから結果的に「無」に至る

他者に影響されないというのは
多くの場合、落ち着いている状態で
いられると考える

奪うということが罪悪感なしに
できるものからすれば
献身的な人間は宿主に最適
そのタイプにとっておもちゃに最適
やさしい人間は反応してくれる
コントロール化に置ければ常にもらえる


落ち着くというのは
良いパターンもあれば
錯覚している可能性もあるという話



例えば分かりやすい話で言えば

その環境における新人って
味方すくないじゃん?
最初にアクション起こしてくれて、
やさしさくれたらうれしいじゃん?

心からならとてもありがたいよね

しかし、例外もあるということ

そういうのって最初に寄って来やすい
利益、おもちゃをさがしてる


最初に声をかけてきたりするのは
躊躇したりしやすいけれど
サイコパスは躊躇しない不安とか感じない

だから堂々としていて頼もしい感じがする


で、やさしさというものをくれる

けれど、
やさしさ(ほんわか)ではなく
やさしさ(えさ)ということ
品定め、いかに対象者を操れるか否か

けど、それを怪しむことは良心がいたむ
 そんな人は予防線だけでもはっておこう
 知識として持っておこう



今回は共感性高めの人が
間違ってしまうかもしれない落とし穴

それは錯覚かもしれない
落ち着いてるんじゃなくてただの無

その人といると落ち着くのではなく
ただ共感という点では
なにも感じ取れないというだけ




わたしとサイコパス⑥
狐につままれる


サイコパスの被害を受けるとわかる

「こっちがおかしいのではないか」と
思ってくるという
世界に存在しないはずのものが
存在してるかのような違和感を

本当にあれは異世界に迷い込んだというレベルの
嘘とか動きをしてくる

ころころ変わる対応、発言、嘘


サイコパスはとりあえず
相手をコントロールできればOKなため

「え、それだけのことして、
 その状態でいられるの?」
みたいな不自然な感情を被害者は覚える

マインドコントロール

こころが麻痺してくる

しつこいストーカーも平気で、できてしまう
なぜかというとそこに良心がないからだ


取り込まれてしまった被害者は
「あの人がそんな人なわけがない」
みたいな状態に陥ることもあるらしい
(関連:認知的不協和)

渦中にいるときは本当に気付けない
嘘が本当の異次元な世界


嘘って言ってもいろんなレベルがあるけれど

結局コントロールできればいいんだから
やばい嘘も普通に使える

例えば
「それなら、わたし〜するから!」
「あの時の記憶が〜」
↑こういう過激なものって聞くと
どうしても動揺するからコントロールしやすい
例えば、死とか病気とかそういう概念も
平気で使える

別にこの発言だからサイコパスとかでなくて
それほどの過激なワードを用いても、
それがずるいことだと全く
自覚していないということ

だから、「良心が欠如している」にいたる


「超不遇な悲しみのストーリー」「偽の経歴」
それって本当?って思うような嘘を普通につける
(↑本当に本当な場合を除く)

それほどのことをしておいて平然としていられる
書籍にもかいてあったが
被害者からすればそれはまさに

「狐につままれる」といえる


「え、今起きたことってやばいことじゃないの」

↑この違和感を感じれているなら
 まだ判断ができている状態

でもそれが続けば疲弊して
正常な判断ができなくなったりもする


被害者は大抵の場合「孤立」している

内容も異次元すぎて人に言えるような
内容じゃないからね
ストーカーレベルの話とか重くて人に言えないし


この人は私がいなきゃと
"思わせられている"状態
自分からそう思っているのとは別にして
そちらに誘導されて行き着くといった感じ


伝えたいのは、サイコパスに対して
良心へのアプローチは無意味

焼石に水をかけたくもなるが
そこに焼石など最初から存在しない

コップに水(愛)をそそぎたくもなるが
そこにコップは最初から存在しない


成長に寄り添うことができるなら
意味はあるのかもしれないけれど
最初から存在しないなら、そこに感情的な面を
持ち出すことも同時にフェアじゃない

ただ冷静に対応するべし



わたしとサイコパス⑦
おもちゃの話


サイコパスに懐柔されたものは、
いわば「おもちゃ」


おもちゃを人にとられたらいやだよね


でこの場合

おもちゃ=サイコパスに懐柔された人

おもちゃをとる人=おもちゃにされたものを守ろうとする人


↑こういう場合だったら



もし良識のある人が「おもちゃ」にされた人を
守ろうとした場合に

マインドコントロールされてしまった
「おもちゃ」の人はなかなかその状況を
”自分が助けられている”と思えない

むしろ「おもちゃ」の人は
サイコパスに守られたという
感情を抱くかもしれない
「え、あの人悪い人じゃないよ」って

それで、おもちゃになった人を
助けようとした人も
被害を受けてしまうことに
得意の嘘の力で、おもちゃをとりにきた人を
あの手この手で攻撃、服従してくる

それほどに異次元に陥る


「おもちゃ」にされた本人が
どこかで気づけるといい
しかし、体力、精神力が損なわれている場合も
すくなくなく正常な判断ができない状態にある
こともあると思う

↑マインドコントロールの解除に
ついて調べてみたけど
まずそれを受けている状態に
あるということから抜けるのが難しいみたい

たいていの場合、閉鎖的である



わたしとサイコパス⑧
おわりに


とにかーく
被害がなければなーんにも問題ない

しかし、事実あるため
違和感は大切にしていこう

なによりサイコ経験が多いです個人的に
でもいまは対策ができるようになった

サイコパスの記事を書いてきたが、
わたしが観測した対象は1人ではなく
複数で、その傾向を個人的な視点で
まとめています



個人的にサイコパスの理解のポイントは

■「良心の欠如」←悪い人ではなくて
         ただそれが存在しない

■「対象をいかに操れるか操れないか」

人を操るを優先事項とした時、かつ
相手のこころの痛みを感じないということは
場合によっては、暴力・モラハラも余裕
そしてそれが普通のようにというのがポイント

↑それができるってありえるかといわれれば
「良心がない」場合は可能なのだろう
だから一般的に使う「人」とか「人の心」とか
当てはまらない 例外ということ


論理の矛盾や
表情の違和感、声の出力の仕方
様々なところが判断材料になる

基本的に人間関係において
嫌いなら離れればいいけれど
サイコ系の場合そうもいかないことが多いのが
難しいところ
しつこいことをしてきたりもするから


共感はできなくても、泣いたりできる
でもそれはよくよく見ると
コントロールを目的としている

↑その違和感に気づける人は気づけるが
「人はそんなことしない」と普通思うから
そもそもサイコパスの知識がないと
それをコントロールだと認識できない
かもしれない
だから知識はあるといい


まとめ


サイコパスに対しては
感情的になるということが
おそらく逆効果なんだと個人的に思う

感情的になるって何かというと
おそらく相手の心に訴えているという
状態だと思うんだけど
その「心」すなわち良心の部分が
存在しないものに訴えかけても、
ただ無駄なんだと思う

だからこちらも無の心の状態を
意識して動揺しない
(↑相手にえさをあたえない)
ということが、うまくやるこつなのかもしれない

あとサイコパス
オープンな環境とか好まないらしい
いわゆるみんなの前とかだと
やりづらいんだろうね
閉鎖的な環境を好むし自らに有利な
環境を作り出したい

だから1:1とかそういう時に仕掛けてくる
いろいろな手段、なんかずれてる感じで
あの時攻撃してきたのに、
平然としたで笑顔で接触してくるとかね

マインドコントロールされる場合もある
自分が相手を「嫌な人」だと思いたくないことと
相手が卑怯、ずるい手を
使っていないこととは全く別

今自分はどう思っているということを
自らに問いかけるということも大切かも

自分は自分より自分をわかってたりする(謎)
嫌いたくなくても体が先にNOを
出していたりする

居心地が悪いというのは大切な違和感



今回サイコパスと題して書いたけれど

社会の中で、事実がそれが存在し(主観)
かつその中で、いじめ等につながりやすいと
自らの経験から仮定するのであれば

それをなかったことに
見えないようにしてしまうことは、
なにもしていないのに被害者にいたるものが
出てくるというのは考えなくてもわかること

どうやってその嘘に対処していくか
大切な人が被害にあいそうな時

知識として持ち、嘘に惑わされず
冷静に対処する術をみにつけるというは
自身または他者を守れることもあるかもしれない


敵でも味方でもなく、悪人で善人でもなく

いわゆる加害するという結果にいたるものが
存在するというのなら、その可能性があるのなら

それは単純に予防していかねばならないと思う
というシンプルな思い



※サイコパスを見抜く必要もなければ
そうかもしれないという対象に対して
レッテルを貼る、個人を攻撃するのではなく
誰かが不幸な目に遭っていた時に
それをただ止める必要性があると思うという話
加害者にさせない、被害者を出さない
未然に予防ができたらいい



以上


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