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誰にでも訪れること。だけど、誰にも当てはまらないこと。

僕の祖父が亡くなったのは、歴史的豪雪の予報が出された日の朝でした。
カメラが好きな祖父は、娘である母や祖母の写真を撮るのが好きだったと、幼い頃に聞いたことがありました。

葬式は呆気ないもので、胡散臭い坊主が祖父の顔を見て手を合わせ、それらしい読経をして、それらしい慰めを言い、祖母から金を取ってゆきました。
――ああそうか。こうして世界は廻っていくのだな。
彼にも生活があります。家に帰れば奥さんがいて、子供がいて……。当たり前ですが、彼も家では父親なわけで、父親の役目を果たすためには収入が必要なわけで、そのために住職という道を選んだわけで……。
考えるとキリがありません。別に僕の祖父が亡くなったからといって世界が困るわけではないのです。
もっと偉い人がこの地球上にはたくさんいて、もっと素晴らしいことをしていて、社会に貢献しているのです。
僕の祖父は何者でしょう。世界から見たら、ただの痩せた老人なのです。

***

僕は、幼いころに重い心臓の病気を患いました。
母は死刑宣告にも似た言葉を担当医から聞き、その言葉を僕に告げました。「あなたは死ぬかもしれない」と。
僕は、内心おびえました。同い年のいない病室で、この脈打つ心臓がいつ止まってしまうのかそれだけが心配だったのです。
だけど、僕は強がりました。「ひょうきん」とはほど遠い性格の僕が、病室では明るく元気に振る舞い、そして、よく笑いました。そうしなければ僕は僕を支えられなかったのです。
看護士さんには毎日怒られていました。その度に僕は生きている実感を得ていたと思います。そうやって、消えてしまいそうな魂を繋ぎとめていたのです。

若かりし祖父が見舞いに来た時は、僕が一番弱っている時でした。心臓の動脈に瘤が二つもできてしまい、自分で歩くことは許さず、車椅子での生活を余儀なくされていました。
季節の分からないリノリウムの廊下で、僕の魂は腐りかけていました。
診察に向かうそんな僕を祖父は強引に引き留めたのです。

「何だ。死にそうな顔をしているな」

祖父は口が悪い上に、お世辞や建前を知らず、ずけずけと自分の思っていることを言う性格でした。そんな祖父は病院に釣り合うはずもなく、明らかに不謹慎な不審者でした。制止する看護士には目もくれず、僕にカメラを向け、シャッターを押すのです。

「昔から、カメラで写真を撮られた人間は魂を抜かれると言われていてな」

しわがれた、それでも良く通る祖父の声が無機質な廊下に吸い込まれていきます。

「皆はそんなこと迷信だと言うけどな。俺は密かに信じているんだよな」

シャッターを押し続けながら、そんなことを言うのです。ひとしきりシャッターを押した後、ファインダーから目を離し、僕の目を一直線に見て祖父は言いました。

「だから、お前はいつ死んでも大丈夫だ。」
「俺がお前の魂を写真に残してやる。だから、お前はいつ死んでも大丈夫なんだよ」

「なにを馬鹿なことを」と思う僕の気持ちとは裏腹に、なぜか涙が溢れて止まりませんでした。
「絶対に良くなるわよ。頑張って」なんていう気休めや、「この注射に耐えたらご褒美があるわよ」なんていう、その場しのぎの言葉はいらないのです。
僕が死んでもこの世界は回ります。そんなことくらい分かる年齢でした。でも、何故かみんな僕が死んだ後の話をしないのです。それが僕には寂しかったのです。そして、悲しかったのです。
だからこそ、祖父の言葉を暖かく感じました。そして、僕の心を潤したのです。

その後、心臓のバイパス手術の話まで出ていた僕は、なぜか奇跡的に回復し、日常生活に戻っていくことが出来ました。
病院を出禁になっていた祖父は、退院した僕を見て、「はっ!カメラの話はどうやら迷信だったみてぇだな」などと軽口を叩き、ニヤッと笑いました。

***

その祖父が、亡くなりました。
祖父の遺体を見ても、葬式に出ても、火葬場でも、遺骨を拾う時も、告別式でも、家に遺骨が来ても、線香を立てて祖父の遺影の前で手を合わせても、僕は涙が出ませんでした。
家族の誰も泣きませんでした。皆、祖父の遺影の前で馬鹿みたいに大騒ぎをするのです。祖父の悪態が飛んで来ない食卓は世界一平和だと感じました。
ただ、どこか寂しいのです。
祖母は、一つ多めに湯飲み茶碗を出し「ボケちまったみたいだねぇ」と笑います。
母は、家を出る時に鍵をかけ忘れ、「あ、留守番する人はいないんだっけ」とつぶやきました。
祖父のカメラはというと、ケースに入れられ祖父の遺影の隣に置かれています。
常にカメラを持ち歩いていた祖父はカメラをケースに入れることは滅多にありませんでした。
そのカメラが、ケースに入れられているのです。
――そうか。もう祖父は、僕にカメラを向けてくれないのか。
「何を当たり前のことを」と思う僕の気持ちとは裏腹に、涙が溢れて止まらなかったのです。


***

中村文則さんの作品が好きなのですが、『最後の命』とか、『何もかも憂鬱な夜』を読んで、主人公の脆弱さと、彼らの言い得ぬトラウマに、驚きと悲しみなんかを感じていたような気がします。

自分にもトラウマってあるのかなぁって、
昔に思いを馳せながら湯船に浸かっていたら、
ちょっと違う思い出を思い出したので恥ずかしながら文章に起こしてみました。
「カメラで写真を取られた人は魂を抜かれる」
なんて恐ろしい迷信が、僕には温かい言葉として残っているのは、ひとえに祖父のおかげだなぁ。
自分は死ぬまでに誰かの記憶に焼きつくような言葉を残せるのかなあ。
なんて、まるで厨二病のような自分が滑稽だったりしています。
そんな何もかも憂鬱な夜のような夜。(あ、わたしはラーメンズのコントが好きです笑)

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