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田舎に現れる渋滞は、まやかし。

乗り慣れた車に、飲み慣れた飲み物を乗せる。


通い慣れた道に、見慣れた風景を横目に走る。


ただ、走る。


車の渋滞に巻き込まれて、このまま息が出来なくなればいいのに。


なんて気味の悪いことを考えているが、田舎に渋滞は存在しない。


ただただ、灰や黒や青が行儀よく流れていく。


ふと、視界の端にあるものをとらえた。


この間までなかったそれは、まだ真新しさを残している。


田舎の国道の脇に、花が添えられている。


2Lペットボトルの半分から上が切り取られた簡易な花瓶に、様々な色の花が挿されていた。


人生に絶望して、車の波に飛び込んだのか。


はたまた、不幸な事故が起こったのか。


詳しいことはわからないけれど、とにかくこの場で人が亡くなったことは明らかだった。


添えられた花は、綺麗だった。


日差しを力に変えて、その自慢の身体を穏やかな風に揺らしていた。


けれど、この花もいつしか排気ガスにまみれて朽ちていくのだろう。


朽ちた花に気付いた誰かが、新たな花を添えるだろうか。


それとも、干からびた花が入ったペットボトルの花瓶を、誰かがゴミだと思い蹴飛ばすだろうか。


ここで亡くなった誰かも、いつかは忘れられてしまうのだろうか。


***


かつて、僕にも親友がいたんだ。


幼稚園の頃、いつも彼と遊んでいた。


何度も彼の家にお邪魔になった。


二人で幼稚園を抜けだし、園長にとんでもなく叱られたこともあった。


親友の彼とは何度も喧嘩をした。


喧嘩をするたびに仲直りし、仲直りするたびに喧嘩をした。


彼は親友だった。


彼の名前を毎日叫んだ。


「―――」


彼の、彼の名前はなんだったっけ。


どうしても思い出せないんだよな。


でも、彼とは親友だったんだよ。


「親友」とカテゴライズされる思い出に、いつでも彼が現れる。


彼の笑顔が、彼の挙動が、彼の仕草が、鮮明に思い出される。


彼の名前を思い出せない。


彼は、「かつて」の親友。


人は忘れていく生き物だ。


忘れたことさえも、忘れていく。


そして、あるとき、ふと思ったんだ。


忘れることは、悪いことじゃない。


けれど、


忘れることは、寂しいことなんだ


と。


***


排気ガスを放出しながら、信号待ちをする。


添えられた花は、僕の車のちょうど真横にある。


横断歩道を、おばあさんと孫らしき少年が手をつないで横切って行き、


遠くに見える陽炎が、景色をぐにゃぐにゃに曲げていく。


ぐにゃぐにゃの世界に取り込まれて、僕も千切れて仕舞えばいいのにーーー。


バイクの音が、遠くから近づいてくる。


飛行機雲が、短く消える。


おばあさんが渡り切った歩行者用信号が、プログラムされた間隔で点滅する。


みんな、生きて、生かされている。


花束の主だけ、時間がここで止まった。


***


近づいてきたバイクは、奇妙な奴だった。


僕の車の隣ギリギリに停止して、タバコなんかをふかしている。


花のそばの歩道に足をつき、煙を吐く動作は、とてもゆっくりに見えた。


その後のことは、もっと奇妙だった。


バイクの主は、ショルダーバッグから灰皿を取り出し、火のついたままの煙草を灰皿に乗せて花束の隣に添えた。


何かを呟いているように口元が動き、


そのまま、


目頭を押さえはじめた。


***


鳴らしても反応しないチャイム。


パンパンになった郵便受け。


割れた窓ガラス。


漢字ばかりの張り紙。


わかりやすい誤魔化し。


信憑性のない噂。


「忘れなさい」という声。


二度と呼ばれない名前。


彼の。


彼の名前はなんだったっけ。


***


はっと視線を正面に移すと、すでに信号は青になっていた。


慌ててアクセルを踏もうとしたときに、気がついてしまった。


後ろに続いた、どの車も、


クラクションを鳴らさなかったことに。

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