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高校最後の試合、いまだに甦るシュートブロック

高校最後の試合は0-5という大敗だった。

GKだった自分にとっては、よいところがまったくなかったと言えるような結果である。今年40歳になる僕には22年前の、この試合に関する記憶はほとんどない。

脳のメモリーには、「大量失点で敗れた」「特に印象に残るセービングはなかった」という2点しか記録されていない。

いや、もう一つだけ覚えていることがある。そして、それは0-5というスコア以上に、僕の中で、この試合を苦いものにしている。

帳尻合わせのように訪れたファインセーブの機会

僕の母校のサッカー部は、レベルが高いというわけではなかったが、真面目に活動はしており、練習もそれなりに厳しかった。

僕の代はクジ運にも恵まれ、3年生にとって最後となる冬の選手権予選1回戦を3-2で突破。続く2回戦も2-1と辛勝し、地区ブロックの決勝に進出。次の試合に勝てば、ブロック代表としてベスト16に進出するというところまで、こぎつけた。

ベスト16に進出すれば会場も他校のグランドではなく、芝の競技場になる。まさか全国大会に出れるとは思わないけれど、名門校に冷や汗ぐらいかかせられるかもしれない。

そんな淡い期待は地区ブロックの決勝で見事に打ち砕かれた。前半こそ0-1と接戦を演じたものの、後半立て続けに失点。2失点目を喫した時点でチーム全体の士気も落ち、ダラダラと失点を重ねた。

「まぁ2回も勝ったし、それなりにやったさ」

僕を含めたチームのメンバーの多くは、そう考えていたと思う。あと十数分経てば、汗臭い部室ともおさらばだ。きつかったが悪くない思い出だ。

僕がそんな風に考えていたとしても相手が手を緩めてくれるわけではない。上を狙うチームらしく、貪欲に6点目を狙ってくる。中盤でボールを受けた相手の選手がシュートモーションに入る。シュートブロックに入ったボランチのTが見事にブロックするも、跳ね返ったボールは相手の元に収まった。

もう一度シュート体制に入る相手を見て、僕はミドルシュートに備える。この距離なら、よほど良いコースに来ない限りゴールを割られることはない。何なら、高校最後の試合の記憶に残るファインセーブをする機会になるかもしれない。試合の大勢は決したけれど、試合の後にチームメイトと「あれ、よかったよな」と語ることができる程度の思い出を作ることができるかもしれない。

今も思い出すシュートブロック

そう思って、シュートが放たれた方向にジャンプしようと踏み出した僕の足が、実際に地面を離れることはなかった。何故なら一度シュートブロックしたTが猛然と立ち上がって再び相手のシュートをブロックしたからだ。

このクソ暑い中、ボロ負けが決まった試合で、0-5が0‐6になったところで大きな違いはないにもかかわらず、必死でシュートブロックするTの姿に、心打たれた。それと同時に、僕は猛烈にこの数分間の自分の心の持ちようを恥じた。少なくともTは諦めていない。必死に最後まで戦い切ろうとしている。それに対して自分は…。

チームメートの必死なプレーにより、僕は「試合中に諦めてしまった自分」を確かに自覚させられてしまったのだ。試合は結局0-5で終了し、僕の高校サッカーは終わった。

20年以上経った今思い出して感じる悔しさは大敗をしたことに対してではない。早くあきらめてしまった自分。途中で勝負を投げてしまった自分。チームメートのように最後まで死力を尽くせなかった自分に対する悔しさだ。

◆◆◆

受験を終えた、高校生活の消化試合のような期間となった三学期。県予選を特集した雑誌が地元新聞社から発売されているという噂を耳にした僕は友人と書店を訪れた。

目当ての雑誌を購入し、友人と話しながらページをめくる。いくら「県予選特集号」といっても、誌面のほとんどは上位校の試合に割かれている。ベスト32程度の戦績の選手を探すのは、もはや「ウォーリーを探せ」の世界だ。

さすがに自分が写っている写真はないだろう。だとしても、自分が青春を捧げた高校サッカーの最後の大会の記録としてよい記念になる。そう思いながらたどり着いた終盤のページで手が止まる。

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もし、当時の自分に声を掛けられるなら、月並みだが「最後まで諦めるなよ!」というと思う。それで結果が変わるわけではないし、その後の人生に何ら影響はないのだけれど、敗戦を思い出した時の苦みが少しは薄まるかもしれないのだから。

Twitter→@jake85elwood

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