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M3-2020秋

 去る2020.10.25にM3-2020秋が開催されました。
 例の感染症のせいで、時間帯で人の入れ替えを行ったり、リアルと並行してウェブ上でも開催したり、と様々な試行錯誤を行いながらの開催となりました。
 当サークルに足をお運びいただいた皆様には改めて御礼を申し上げます。

 今回はいろいろと精神的に疲弊していたり、プリンタのインクが切れていたりして、曲自体はできていたにもかかわらず、準備がぎりぎりになってしまいました。土曜日は移動と前日設営の手伝いのため準備には使えないのです。CDを準備し終えて、お品書きをツイッター上にアップできたのが土曜日の午前3時ごろでした。そこからちょっと寝て、というかほぼ寝ずに午前7時には家を出ました。

 一般参加者は思っていたよりも多かったです。もちろん例年に比べれば少ないんですが。それだけ同人音楽のファンが居るんだなと思います。感染症騒ぎが終息して、また賑やかな即売会になって欲しいものです。

 印象的なことがありました。
 その男性は、以前に当サークルのアルバム「幻視のカナリア」を購入された方でした。

男性「ボカロでプログレというのは、あまりどうかな、と思ってたんだけど、これ(アルバム)聴いて、悪くないなと思ったよ」

 ありがたいお言葉でした。さらには、

男性「ボカロならでは、というか、人がいなくなった世界でボカロだけがとり残されて歌っているっていうのが感じられて、なかなか良かった」

 この感想はかなり嬉しかったです。なぜならこの方は、制作者の意図を読み解いて理解されていたからです。

 ミニアルバムで発表をしていた頃からELSINOLAのいくつかの楽曲については、ある一定の世界観やコンセプトのもとに作成されいています。ただそれを露骨に表現するのではなく、歌詞やアレンジの中に忍ばせることにして、曲は曲として単体で聴いても世界観が成立するようになっています。そうして作った楽曲を集めると、折り重なった層の上に別の世界が投映される。特にそれに言及してはこなかったのですが、そうなっているのです。

 実際、作ってみて、それがどの程度伝わるのかわかりませんでした。別に誰にも伝わらなくてもいいかと思っています。
 が、こうして伝わっている人がいる以上、この手法は間違ってはいなかったということがわかりました。

 送り手の意図が伝わるか伝わらないかは、受け手の知識や経験に依存している。そういう話を聞いたことがあります。
 その方はプログレッシブ・ロックを聴いていた方で、プログレッシブ・ロックのコンセプトアルバムの構造を理解されていた故、伝わったということもあるでしょう。
 聴き専の方よりも作り手の方に評判がいいような印象もあります。
 以上のことから、次のように言えると思います。

 ELSINOLAは玄人好みの音楽サークルである。

 さて次回のイベントはM3−2021春になると思います。開催されればコミケも近いので、インスト、ボーカロイドの各コレクションアルバムの作業を同時進行することになると思います。間に合っていたら、そのときはよろしくお願いします。

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