2022年8月14日

スローペースで観進めているメイドインアビスは、ようやく劇場版まで辿り着いた。その感想を書く。

リコ達3人がそれぞれちゃんも筆舌に尽くし難い怒り恨みを爆発させて黎明卿に挑んだ様子は凄まじかった。それでいて話が丸く収まった感じがして、とても気分よく(いい気分ではないが)アニメ2期に向かえる。
アニメ1期1話を見た段階で書いた感想で世界観の規模に対して主人公らが幼いのが良いと書いたが、世界観の規模だけでなく容赦ない残酷な描写も対比により際立っていることが作品にいっそう奥深さをもたらしていて、良い気分にはなれないが良い物を観ているとつくづく思わされる。残忍な悪役として描かれる黎明卿ボンドルドではあるが、僕は彼がどこか憎めない。決して良い奴とは言えないが、彼は善悪を判断基準にはしていないだけのどこまでも真っ直ぐな探窟家だった。よく物語では対峙を正義と正義(主人公から見た悪)の衝突で描かれるが、リコ達とボンドルドの対峙は正しさとか倫理観といったものをテーマにはしていなかったように感じた。ボンドルドには差し迫った「犠牲を払ってでもやらなければならない。」という悪役にありがちな使命感は見受けられず、リコ達と同じ次元の相対する存在としては描かれていなかった。それがボンドルドの底無しの恐ろしさを演出していたのではないかと僕は思う。

その直後に「マルルクちゃんの日常」を観た。こう言ってはなんだが、あんなえげつないものを観た後にこんなものを観て感情がぐちゃぐちゃになってしまって、一体どうしてくれるんだというのが率直な感想だ。マルルクとオーゼンの間柄は本編中でも好きだったので、またこの2人の絡みが観られて良かった。どうせオーゼンは作中でも人気が高いキャラだろうから、また活躍が観たい次第だ。

ところで1話を観た時に疑問に思った「世界唯一最後の深淵」について今のところ説明がある予感が全くしない。劇場版の中でプリュシカとのやりとりでリコは「母の元へ行ってからが冒険の始まりだ。」というような目的意識を持った。僕はあまりに説明的すぎる作品好きではないが、リコ達が深淵の奥地で何を目にするのか、楽しみにしている。


40日ほど日記を書いてきて、日記をまとめたマガジン見返すと見出しだけでも結構な回数のスクロールが必要になってきた。タイトルは全部2022年〇月〇日。正直いつ何があって何を書いてきたか、あまり記憶していない。読み返すと「なんでこんな言葉を選んだんだろう。」とか、「この表現良いな〜。」とか、「こんなこと書くくらいなら書かない方がマシだろ。」とか、色んなことを思う。自分が書いたものなのに自分じゃないみたいなことがあって、不思議な感覚だ。

中には「日記と呼べるのかこれは。」みたいなものがある。それは書く時にだって「日記か?」と疑念を抱きながら書いていたわけだが、「その日に思い浮かんだから。」として日記にカテゴライズしたものたちだ。
日記の各篇には小見出しを付けるということをしてきていないし、今後するつもりもない。だから、はみ出しもので尚且つ僕自身が気に入ったものについては、名前をつけ、単一の記事にしようということを思いついた。これも今日8月14日に思い付いたから、今日の日記に書いている。

早速7月2日の「短冊」を単一の記事として公開した。8月中旬に短冊を書いた話なんて公開して誰が読むのかという話だが、記事の内容の整理が主な目的なので気にしない。
明日以降も気が向いたら転載していきたいし、都度修正を入れてより良いものにしたい。


運の悪い日というのは確かに存在する。
不思議なものだ。運勢占いは見るが信じてはいない僕からしても、運が悪い日というものは認めざるを得ないと実生活で感じる。
冷静に考えると、何かが噛み合わないことなんていうのは日常生活の中でしょっちゅうある。別々のそれらが同じ日、同じ時間帯に起きると、運が悪いと感じるだけだ。だから運勢なんてものは無いはずだと信じたい。
ただ、今、この瞬間に良くないことが重なって起きている。ひとつひとつは書くまでもないほどに大したことないことだが、確実に僕の精神にダメージが蓄積されていく。だからもう今日は運が悪い日なのだ。
こうなると、この後何をしても上手くいかないような気がしてきてしまう。気持ちの面で負けてしまっている(何に?)。
また明日だ。寝て起きれば今日の不運なんて忘れて、たまたま良いことが起きて、「今日は運の良い日だな。」とか呑気なことを思える。そんなもんだろ、どうせ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?