でけぇ素数を見つめよう
ぼくたちはスマートな生き物だから、細分化、単純化、標準化を好む傾向にある。ある概念に対しそれは何から構成されているのか、どのような問題を孕むのかを一つ一つ詳らかにしていき、解決策を提案する______要素還元的手法を用いて、様々なことを説明している。何で景気は良くないのですかとか、政府の行いはどうなの?みたいな無機的な問題に立ち向かう時にそれは大いに有効だけれど、感情にまで要素還元的手法を持ち出すのはナンセンスだなぁと思う。
「わたしのどこが好きなの?」____男性諸君からしたらすごく嫌な質問だろう。答えに悩む。でもそれが気になる気持ちも凄くわかる。その思考回路は持ち併せている。どこが好きという説明もなく好きだと言われても説得力が無い。信用出来ない。ただやっぱり、ナンセンスな質問だと思う。
人間について要素還元的手法を用いて分解してみる。顔、スタイル、性格、血液型、職業、声の高さ、ちょっとした癖、etc...。その人を説明しようとした時、こうした様々な情報を用いる。その人に対してどのような印象を抱いているかという好感度を、思いつく限りの情報各項目についての点数の総和として定義してみる。「顔は60点かな、性格は70点。職業は100点。ほんっとお金に困らない。最高。声も100点。……」として、その合計点がその人への好感度になる。その人が1番好きだと言うのなら、好感度ランキングで1位であることを示せれば説明がつく。「どこが好きなの?」と聞かれれば、100点に近い点数をつけた項目を答えれば良い。…………とはならないのが人間だ。
ちょうどタンパク質はアミノ酸の1次配列だけでは到底説明がつかないように、具体的な要素を敷き詰めて人を説明することが出来ず、もっと漠然とした個別のバイアスがその人の評価に大きく関与していると思う。
ある概念を最小単位の情報ごとに分解することを素因数分解と表現して、その最小単位を素因数と表現してみる。身長が好きという情報、優しい声が好きという情報。そういった素数に概念を素因数分解して表して、その素数について吟味するというのが要素還元的手法だ。
ぼくは「でけぇ素数」が大事だと思う。つまりは2とか3みたいな小さい素数じゃなくて、それ以上分解できない10桁くらいあるパッと見素数かどうかもよく分からない数字。そういうでけぇ素数に向き合えるかどうかが大事だと思う。2147483647という10桁の数字はどうやら素数だそうだ。ただ2147483647も、そこに1だけ加えた2147483648も数字としては大差無いような気がする。でも2147483648は素因数分解が可能だ(2の31乗らしい。すごい。)。つまり適当な人は2147483647も2147483648も同じだと思って、2ずつ31回も切り出すことをしてしまう。このふたつの数字を似たようなもんだと括らず、まるで別物と認識出来るかどうか、という能力が大事なのだと思う。
人間は数字にすれば数十桁ある莫大な情報の塊だ。数字で話を進めたから抽象的になったけど、顔、性格、みたいな低次元のものから『2015年の8月31日、36℃の猛暑の中2人でコンビニ行ってアイスを買って変な味に挑戦してやっぱり後悔して笑いあったこと』みたいな高次元のものまで、その人に抱く自分の感情という情報は言葉にならないほどたくさんある。『2015年の8月31日、36℃の猛暑の中2人でコンビニ行ってアイスを買って変な味に挑戦してやっぱり後悔して笑いあったこと』なんてのは、他の人には到底当てはまらない、つまり数字にしてみれば「でけぇ素数」と言える。小さい素数のことを情報とするならば、でけぇ素数は体験とも言えるかもしれない。とても個人的で非一般的で分解不可能な情報。そういった体験は、とても言語化できないし、伝えることが出来ない。そもそも、2の31乗みたいに間違った切り出し方をしてしまって思い起こすことが出来なくなっているかもしれない。
だから答えるのに窮してしまう。割合としては1%にも満たない小さなものかもしれない。でも顔とか性格とか、そんな安っぽいもので占める大多数にプラスアルファすることで個性化することが出来て、説得力を持たせることが出来て、どうしようもなく真実めいたものになる「体験」があって初めて好きを説明できる。ナンセンスと最初に言ったのは、原理的には可能だろうけれど現実的に難しいということ。だからそれにどれだけ向き合えるかは、それはそれで重要な事だと思う。
でけぇ素数を見誤らないで見つめよう。それを説明出来なくとも、心の中に自覚的にもっさりしたまま持っておこう。意味は無いし価値も無いけど、有機的な試みだと思う。
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