年の瀬

2022年は、色々と良くない年だった。上半期は良かったが、下半期が良くなかった。書けばネガティブな言葉ばかりがボロボロと溢れ落ちるし、書かなければ漠然とした整理のつかないフラストレーションに頭を支配される。機嫌が良い時というのはそれを言葉にしようとしても何も思い浮かばない訳だが、書かないからと言って機嫌が良くなるかといったら全くそんなことはなかったし、むしろ生きづらさが増した気がする。
今年のことを反省しても悲しくなるだけなので、来年に目を向けよう。中身は在り来りだが、「エネパ思考の放棄」を目標に掲げる。
今年は「タイムパフォーマンス」という言葉をよく耳にした1年だった。タイムパフォーマンスとは、コストパフォーマンスから派生した言葉で、時間対効果、つまりかけた時間に対する効果を意味する言葉である。僕も属するZ世代の若者たちは、このタイムパフォーマンス、タイパを気にして生活する人が多いらしい。情報社会を生きる若者にとって、どれだけ短時間で大量の情報を処理出来るか、という方向に思考が流れるのは当然と言える。映画を倍速で再生したり、本を読まずに要約がまとめられたサイトで内容を流し読みしたりする話はよく聞くところだ。
僕はZ世代に生きていながら、このタイムパフォーマンスについてはそれほど重視していない方の人間だ。というのも、映画やアニメを倍速で再生するなんて絶対に嫌だし、要約を読んで分かった気になるだけでは満足出来ない。必要以上にというわけではないが、それ相応の時間をかけるということを厭わない。僕にはタイムパフォーマンスなんかよりもずっと気にしていること、というより、無意識に気にしてしまっていることがある。それはエネルギーパフォーマンス、エネパである。である、とは言ったもののこんな言葉は無いし、僕が知らないだけでこの内容を説明する他の言葉は多分存在する。エネパとはエネルギー対効果であり、労力や疲労といったものに対しての効果を表す。直訳するならばエネルギーというのは不適切かもしれないが、エネルギーという単語の汎用性の高さから肉体的精神的な労力という幅広い意味を込めてエネルギーという言葉で雑に片付けている(エフォートパフォーマンス、エフォパなんて言いづらいではないか)。タイムパフォーマンスよりもエネルギーパフォーマンスを気にしてしまっているとはどういうことか。それは「いかに少ない労力でその日その時を生きながらえるか」ということだ。例えば5分、10分程度の隙間時間。何をするかと思えば大抵スマホでSNSを見たりニュースサイトを追っていたりする。例えば電車での移動時間。同じようにスマホでSNSを見たりニュースサイトを追っていたりする。例えばアルバイト中に客がいなくなり暇な時間が出来たとする。スマホが触れないとなれば、今度は全く関係ないことを頭に思い浮かべて暇を潰す。エネパを重視していると、空いた時間をいかに疲れないことをして潰すかという発想になる。時間を潰すこと以外においてもエネパ重視が表面化することがある。調べ物をしなければならない時、英語の情報を読み解くのが面倒で翻訳サイトに突っ込んでみたり日本語で説明されたサイトが他に無いかを探したりする。難しい本を読み始めてしまった時、「これは今読むべきものではない」などと言い訳をしてそっと閉じて本棚の奥の方へ追いやる。人との関係性が拗れそうになった時、面倒に感じて対話を諦めてしまう。こんなことはいくらでもあるし、言い出したらきりがない。結局のところ、タイムパフォーマンスもこれに根差していると僕は考えている。映画を2時間観続けることが苦しいだとか、長ったらしい文章を読む体力が無いとか、エネルギー対効果を考えた時に時間を短縮するという手段を通じてエネルギーを節約しているのではないだろうか。そのうえで僕は時間節約よりもエネルギー節約の方が大事だと思うから、タイパよりエネパと言っている。
長々と御託を並べたが、僕が来年目指すのはこの「エネパ思考」の放棄である。スマホでダラダラと時間を溶かしてしまうだとか朝早起きして家事をやることが出来ないだとか、エネルギーを必要とすることが尽く出来ず無駄に時間を過ごした1年だった。それはエネルギー対効果というフィルターを通して見た時に「別にこれくらいで何が変わるわけでもない」と結論づけてしまうところから来ており、今年の充実度の低さの少なくない割合はエネパ思考で選んだ行動によるものだと思っている。だからこそ、このエネパ思考を放棄して、労力で満足感を買い戻す試みを来年はやってみる。最初に中身は在り来りだと書いた。言ってしまえば「楽しようとするな。頑張ろう。」というだけのことだ。楽しようとするとはどういうことか、頑張ると言っても何を頑張るのか、というところを具体化しないと何も変わらないし何も変われないので、自分の中で思考回路を辿り明文化する必要があったというだけのことだ。「それ、エネルギーの無駄遣いじゃない?」という斜に構えた賢くない自分に別れを告げて、もっと頭の悪い愚直な自分に鞭を打って真っ直ぐに生きる。悪く言えば昭和的な考え方に立ち返ることが、個人レベルにおいて必要なのだと思う。
楽をしないという意味では、冬にランニングを始めた。ランニングをすること自体楽ではないし、更に走っている間に諦めずに自己ベスト更新のために自分を奮い立たせ続けることも楽ではない。毎日こんな辛い思いをしても別に目に見えて体力が向上する訳ではなく、エネルギー対効果で言えば全くの未知である。無駄と知りながらでもそこにエネルギーを注ぐ、ということを美化するつもりは全く無いし、そんなエネルギーの使い方は絶対にするべきではないと思うが、エネルギー効率だけを考える生き方は凄く寂しいので、こういったことに精力的にチャレンジする1年間にしたい。冬に布団にくるまる時間を1秒でも減らせば、そんな自分を称えて朝日を浴びたい。そんな日々が続けば多少はマシな人生になると思う。それが、僕の2023年の目標。

あとお金貯めます。

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