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留学日記「ドイツ人とアカスリ」

思い返せば2015年の冬。韓国に短期の語学留学をしていたときのこと。

学校の寄宿舎に住んでいたのだが、ルームメイトが43歳のドイツ人だったのは今でも忘れられない。

学生のほとんどが10代、20代にもかかわらず、43歳の学生がいるというのはまさにカルチャーショックだった。

学問に年齢など関係ない。

重要なのは「なぜ韓国語を学びに来たのか」ということだ。

43歳にもなって来るのだから何かしらの理由があるはずに違いない。そうして聞いてみたところ、返ってきた言葉にびっくり。

おじさん「I wanna go to North Korea for the mission.」

わたし「・・・北朝鮮に宣教に行く!?」

そう、この人はクリスチャンだったのだ。

韓国語を学びに来るクリスチャン。しかも、クリスチャンになったのもここ10年以内。

クリスチャンになる前はお医者さん。

しかも7ヶ国語を話せるという超優秀な人。初めての留学友達がこんな異色な人になるとは。しかも43歳。

たった3か月の期間であったけれど、おじさんとわたしは仲良く暮らした。

おじさんが好きなのはコーラ、ピザ、そしてスニッカーズ。昔はお医者さんであったが自分の健康には特に興味がないとのこと。

そして、おじさんが好きなことは三度の飯より人助け。

外に遊びに行ったときのこと。荷物をもって階段をのぼるお年寄りや子連れのお母さんを見れば、荷物を持ってあげるのが常だった。

大事なのは荷物を持った後。「ありがとう」と言われた瞬間にキリスト教のパンフレットを渡して「イエスを信ずれば救われる」と礼儀正しくお辞儀をした。そう、おじさんは熱心なクリスチャンだった。

わたしがクリスチャンでもないので、よく「お前はイエスを信じるか?」と質問を受けたものだ。夜には神や悪魔、天国や地獄はあると思うか?などの質問をしてきて、わたしを困らせた。

日本では宗教の話なんてまったくしたこともなかった。

しかし、ヨーロッパではこういった質問は意外と普通だという。日本では当たり前ではないことも、海外では当たり前だったりするということを感じたのはこの時だったかもしれない。

しかし、それは相手にとっても同じだった。おじさんと3ヶ月一緒に暮らし、いよいよ日本に帰るときのこと。

出発前夜に荷造りをしていると、シャワールームにあったものを指してこれはなんだと聞いてきた。

それは日本人にとってはお馴染みのアカスリ。案外初めて見るものだったそうで、これで体をゴシゴシ洗うんだと説明した。

そうしたらそのドイツ人のおじさんが一言

 “I’m so sorry.”

なんだろいきなり、自分も使ったのだろうか。幸い潔癖症でもないわたしは別に共用しても問題ない。大丈夫だと答えたのだがおじさんが謝ったのはそうではなかった。

アカスリを使ったのは同じなのだが、「使った用途」が違ったのだ。

アカスリは体を洗うもの。わたしはそれ以外にしか考えられなかったのだが、彼が思っていたアカスリの用途は違った。

彼はなんと、アカスリで部屋の外の窓ガラスを拭いていたと言うのだ。このアカスリがどうやら掃除用の道具だと思ったらしい。

わたし・おじさん「・・・Ah~」

2人してお互いにアカスリを使う用途が違うということがわかり、部屋が3ヶ月で1番賑やかになったのは言うまでもない。

こういう使い方もあるんだなと学んだふたり。私は快くそのアカスリを掃除用にプレゼントした。

「これでゴシゴシ磨いてくれ」

こうして翌日わたしは韓国を旅立った。

思いおこせばアカスリの文化は日本と韓国では見てきたけれど、他のヨーロッパやアフリカ、東南アジアでは見てこなかった。

当たり前が通じない世界に出てみて気づいたこの発見はわたしの人生で貴重な学びのひとつだと思う。

日本で当たり前のように使っているものでも、意外にも他の国ではいまいち用途がわからないものもあるんだということを気づかされた。

逆に普段使っているものがまったく新しい使い方もできるというのを同時に学んだ。この世の中にありとあらゆるものにあふれているけれど、それをどう使うかは案外その国や文化圏の中で用途も変わってくる。

そういった視点で身の回りのものを見つめることで、また違った使い方がわかるかもしれないということを知り、日常の楽しさが少し増えた。

アカスリの次に、新しい用途を教えてくれるそんな瞬間が待ち遠しい。

ありがとう、おじさん。

ありがとう、アカスリ。

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