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【随筆日記】ストリートビューで追う47都道府県思い出の場所《愛知県》

伊良湖岬

このシリーズではあまり地名の読みに言及していないが、この場所はちゃんと紹介しておきたい。でないと大半の方は「いらこみさき」と呼び、湖があるものだと思われがちだ。実際には湖などなく、呼び名も「いらごみさき」と呼ぶ。

愛知県の渥美半島最先端の場所で、ここから伊勢湾を横切り鳥羽まで行く船が出ている。もちろん船着場以外にも見どころはあるが、カバー写真では船着場しか写っていない。

御前崎同様昔から意味もないドライブの最終目的地として何度か来たこともあるが、結婚後わんこと一緒に出かけたり、毎年のお伊勢参りでもフェリーを利用していたので何度となく来ている。渥美半島はメロンの特産地でメロンを食べにわざわざ遊びに来る事もあった。

愛知県にはもう一つ知多半島という半島もあるが、遊びに行くのはいつだって渥美半島だ。

「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ」という歌詞で始まる唱歌「椰子の実」はこの渥美半島でうまれた歌というのは有名な事で、伊良湖岬から車で少し東に行ったところに歌碑もある。椰子の実の歌詞を書いたのは作家の島崎藤村。しかしながら実際は藤村が渥美に出かけた訳ではない。あの写実的な歌詞は椰子の実が浜に打ち上げられているのを見た者が手紙でその様子を藤村に知らせ、藤村がそれをイメージして歌詞が生まれたという。そして実際に渥美半島で椰子の実を見たのは柳田国男だというのはあまり知られてはいない事実。

これは柳田国男の著「海上の道」で本人が書いている(と記憶しているが学生の頃読んだきりで記憶も曖昧だ)ことでもある。(後日註:確かに同著書で「椰子の実」について言及していた。)

そんなわけで椰子の実を柳田国男がもし見つけてなければ、または見つけていてもその様子を島崎藤村に知らせていなければあの唱歌は生まれていなかったことになる。

今でもそういう縁あってか椰子の実を遠き島と想定した石垣島から流す「椰子の実流し」というイベントが行われ、既に30年も続いている。その30年の間に2回、合計3個の椰子の実が渥美半島に漂着しているらしい■

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