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【雑感日記】 「おかしな日本語」(18)

 今回は平気だと言う人も比較的多い言葉の変化を紹介します。まずは例文を紹介します。

あのラーメン屋の盛りガチやべぇよ。
こないだの写真ガチ賴むよ。

 わかりますね、使ってませんか「ガチ」を。なんでしょうねこの「ガチ」って。今から5年以上前くらいからだんだんと耳にするようになってきました。元は「ガチンコ」という真っ正面から受け取る意味合いがあったものだと思われます。物がぶつかる時の音が「ガチンコ」という擬態語のもとと考えられます。

 このガチンコの「ガチ」だけが残り、よく似た用法の言葉にとって代えられたのではないかと思われます。それは平成始まりくらいからにわかに使われるようになった「マジ」という言葉です。

 この「マジ」もとは「真面目(に言えば)」という言葉からできあがったもので、ガチと同じようにもとの言葉の頭の部分だけ切り取って使われるようになった似たような成り立ちを持っています。今ではごく普通に使われる言葉になっていますが僕はまだ「マジ」にさえ抵抗を感じています。

上の例文も「マジ」を使えば

あのラーメン屋の盛りマジやべぇよ。
こないだの写真マジ賴むよ。

 つまり、今の「ガチ」はそれまで使われていた「マジ」が変わったもので、使っている年齢層にも違いが見られる物かと思えます。[マジ」も「ガチ」も受け入れられる人よりどちらも抵抗を感じるとう人の方が少なくなっているのではないかと、これはあくまでも自分の考えでしかありません。ただ今後もしかしたら「マジ」は若年齢層ではあまり使われず、「ガチ」がそれに変わって用いられるのではないかと思います。

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 それなら「まじめ」→「マジ」→「ガチ」と言語は変化しているからそれはそれでいいんじゃないのかと考えられますが、もともと「ガチ」の出所は「まじめ」ではなく他の擬態語「ガチンコ」であるため、ただ単に語彙の統一化、言うなれば二つの言葉の使い分けができなくなってしまった「退化」の結果と考えられます。ただしこれも敢えて書きますが完全に「マジ」が「ガチ」に取って代えられるわけでもなく、真っ向からぶつかる、真剣であるという意味合いも「ガチ」にはあります。この微妙な意味の差は先述の通り「ガチ」がもともとは擬態語かから来たことが原因と考えられます。そんな音の表現を用いてまで意味を強くさせている表れでもあります。

 もうひとつ、言葉は変わっても音韻的な感覚はそうそう簡単には変化しません。「ガチ」と「マジ」を比べると「ガチ」は有声破裂音+無声破擦音に対し「マジ」は両唇鼻音+有声摩擦音です。子音のなかでも破裂音は硬く聞こえ、有声音であれば尚のことです。さらにその後にも破裂の要素を持つ音が続けば相当耳障りに聞こえます。以前とりあげた「形」がまさにそれに当てはまります。「マジ」はそれに対して説明せずとも音は柔らかく感じることでしょう。

 会話の中で必要以上に硬い音が入ると聞く側は不快に感じられます。人によってはただでさえ受け入れがたい「マジ」がさらに音を汚くさせた「ガチ」になってしまい余計に不快感を覚える事だと思います。

 言語は変わります。それは意味の変化、用い方の変化など様々な要素があり、その際に音韻的な変化が同時に進行するとは限りません。少なくとも話しやすい言葉が受け取る側からみてそれ本当に使っていいのかという温度差はあると思います。何も感じない人から新しい音をまるで流行に乗るように使い始め、ゆっくりと浸透していきます。その浸透の速度は人々の言語環境の変化に応じるものでもあると考えられます。たとえば若年層は進学や転校などの言語環境変化が定期的にありますが、それが年齢を重ねると環境変化に乏しくなる人も現れ、新しい表現の伝わり方に差もできます。

 ある年齢層ではまさに「ガチ」が「マジ」にとって代えられますが、まだまだ他の年齢層ではその浸透する速度が緩やかになっているでしょうし、音的に抵抗を感じる人も多いかと思われます。

 本来であったら例に出した文章は

あのラーメン屋の盛りは本当にヤバいよ。
(→あのラーメン屋の盛りは本当にすごいよ。)

「ヤバい」という表現は「とても良い」に代えられ、今では辞書にまで載っている用法なので敢えて否定はしませんでした。下の文は

こないだの写真本当にお願いします。

とでも本来であれば言うのでしょう。

 「ガチ」という言葉、自分は良くても聞いている側はまだそう簡単には受け入れられないことを知っておきましょう。今現在「マジ」を使ってる人、「ガチ」と言い換えてもたいしてかっこいい物でもありません。自分の言葉を汚しているだけだという事も心しておきましょう■

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