「言葉を届ける」「想いを伝える」ことは難しい

私がnoteで文字を紡ぎ公開しているのは、自分の「日中やること」に決めたため。
誰かに言われたわけではない。
誰かに強制されているわけではない。楽しいからやってる。
「楽しいから続いている」続ける、ではなく。
たぶん「楽しいから」続いている… きっと、そう。



毎日書かないと(スマホやパソコンでnoteを開いておかないと)、自分を許容できない。
前は「空いている時間で(noteを)書けばいい」と思っていた。
軽い趣味程度、あくまで「時間つぶし」の一つだった。
最近は「毎日公開しなければならない」と思ってしまう。
「そんな強制はない」と言い聞かせても、不安の余韻が大きい。

「毎日やってる=「好き」なんだね!これからも楽しみながらやっていこうね!」ではなく、
「毎日やってる=『このくらいできるでしょ』のハードルがどんどん上がっていく」

自分で自分の首を絞めている。つらい。苦しい。いっそ死にたい。
「できるだけ毎日投稿」というルールではいけなかったのだろうか。
「できるだけ」という、「受け手の裁量次第で多寡が決まる」ものにしたから、だから今苦しんでいるのだろうか…




精神疾患や精神障害がある私たちは、

『文字を認識して読む』という行為が難しい

私のnoteは「なんとか読める方」「精神疾患(うつ病)を身近に感じたい方」向けだ。
あと「身体障害に関心がある人」、最近書けてないけど「本に関心がある人」向け。
  橘エリー個人に関心ある人がもしいたら
  全て網羅してるのかしら?褒め称えたい

私側に「伝える力」が足りていないから、文章を読むのがつらい方々に配慮しきれていない。ごめんなさい。


「三度の飯より本が好き」だった私さえも、本を読みたいと思えなかった。
(私は「なんとか読める」の部類だったけど'読みたくなかった'、ゼミの本すら読まなかった)
強要されるとダメらしい…

一文を短くしたり、文と文の間に空白があったりする(あるときはある、ないときはない)など、
自分としては寄り添っているつもりだ。

私も精神疾患者の端くれだから、少しは気持ちわかってるつもりです。少しは…


私は

「うつ病のこと」を書いておきながら、
精神疾患者に寄り添うことができていない。
文章を読むことが大変な方に、伝えられていない。

そもそも「伝えたいこと」があるのかないのか、私にもわからない。
私のnoteは私の脳内のように「雑多なあつまり」であり、
かろうじてマガジン別に分けてあるだけ。
あとで探しやすいように。私のnoteに訪れた方が、好きなところを選べるように。

ストラテラ飲み始めた。効くといいな。
脳内に余白ができるといいな。期待して重荷を背負わせて、いいのかな?


日課として、「やらねばならない」こととして、私はnoteを公開している。
だれかに共感してほしい・反応(スキ、コメント、拡散等)が欲しいわけではなく。
(ありがたくいただいてます。ありがとう
 もっとください)


私は(その2)

「精神疾患の真っ只中にいる方々」に読んでいただきたいわけではない。
真っ只中の友人知人に勧めてたけど(体調良いときに読んでいるみたいだね。拒絶しないでくれてありがたい…)

拒絶する気力がないところにつけ込んだ迷惑ともいえるなあ… 反省しますごめんなさい
ただでさえ「文字を読む」ハードルは高いよね、ごめんなさい


「後日の体調不良と引き換え」であっても、

私は活動してしまう、止まることができない。手加減を知らない。最後まで楽しみたい。
そんな私は、16日から22日まで毎日予定がある。

本来なら「忙しいことは(ほかならぬ「私に」頼みたいことがある、という意味で)いいこと」なのだろう。

楽しいことはわかってる。疲れるんだけどね。気を張る分、たくさん。
お風呂入らず休みたいけど、次の日に用事あるから入らなきゃだめだし。
1人だったらご飯食べない。

卒業式への最後の悪あがきでごはん食べなくなったけど、卒業式終わったら「ちゃんと食べる」のかな?
1週間で1キロ減ってた。食べなかった減りとしては微妙な気がしてならない。
 「今更落ちても、ねえ」って思いもある。

明日(ここを書いているのは3月15日、それ次の日昼)はバーベキューだから「頑張って食べる」と思うけど。どのくらい胃に入るかなあ

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