2024.03.01今日の良き日に

3月1日。
高校の卒業式とか、多いんやろか?
いい天気で(こっち風強いけど)良かったねー。

高校生期は「生死を彷徨ってた」ので、あまりいい思いはない。
喪失を受け止めるのに必死だったから。
「周りとの違い」が、わからなかったから。

目薬をさしに来てくれた看護師さん

私この方好きね(前提:ここの看護師さんみんな好き)
「主治医ちゃんに言いたいこと言えない」「スマホにメモしたいから、スマホを手離したくない」「紙に字を書くのは嫌だ(運動失調があるから)」

主治医ちゃんは記憶力がいいから、1分渡すだけで記憶しそうだけど。

私の脳内にないことについて話されるのは、こわいよね



お昼の三食丼美味しかった。


お風呂入った。お湯つかった。疲れた。


土日は売店やってないから、お菓子を買い込んだ。
自分に対する圧「買ったんだから食べろよ?」
アイス2、たけのこの里4、チップスター1、ミルクティ1、牛乳2

私は、生きるために、お菓子を、買う。


その帰りに主治医ちゃんとばったり
エレベーター一緒気まずかた
「あとで顔を出します。あたしはここで」
いつも階段なのに、今日はエレベーターだったなあ(別にいいけど)


アイスや牛乳に名前書いて、しまって、
部屋に戻り、一息ついて、
「あとで主治医ちゃんが来る」という不安に押しつぶされる。
明確に言われたから、メモ帳の整理や心の準備ができたのはいいが…

目薬の看護師さんに泣き言を言いました。
「それは僕らにはどうにもできない」そうですよね、わかってるんすよ
でもこわいんすよ
判決が下されるんすよ。


やって来ました主治医ちゃん

ちゃんと録音許可もらった。

私が今自傷したら、それは自殺未遂だと思う

自傷する勇気がない
──そこはある種「病的じゃない」ってこと
先のことが考えられないくらい「調子悪い」ときに自傷しちゃう。
「自傷する勇気がない」のは普通。そんなもん。

──相変わらずの、

横にはなってるけど心は休んでないね。

家でも病院でも休めない気がして

──「休めない」の度合いがちょっとマシになるくらい?

周りの目を気にしない、とかは(家より病院のほうに利が)あるけど、食べなきゃいけない
──「規則正しい生活の強要」があるからなあ

他の人との交流が、今回は負担になってる?

今までの3回とも、どれも負担ではあって。2回めはそんなことなかった。楽しかった。
──2回目は「特殊」だったからね。あんなにエネルギー持て余してる人たちあんまり入ってこないからね。あのくらいの関わりが、エリーさんにとって、良かったのかも。
悩ましいですねえ…

彼は「頑張って」って言うタイプ?

いっそ「さみしい」と言ってくれたほうがいい?
──どちらにせよ、申し訳なさがあるかなあ

心理的にのんびりできる場所が欲しいね

どこかにあるんだろうけど。

「頭の中が休まらない」

やっぱいろんな考え出てきちゃう。

考えないためにスマホいじったり、いっそ考えを時系列に沿って書き出してみたり。
時系列に沿うのは『完璧にやらなきゃ』って思うし、考えないためにスマホいじるのは休憩じゃないって言うし。どうしたらいいんだか
──『考えないようにしよう』は考えてるのと一緒だもんなあ…
「自然と浮かび上がってくる感情をそのままにしとく」ってのが大事。感情を抱える。

徒然草(冒頭)だね。
昔「徒然日記(Amebaブログ)」やってたなあ

脳を抑えるって意味では某ラテラだけど、
40mg飲むのはこわい(食べられなくなった過去)
──外来より入院のほうが「撤退」はしやすい。

不注意を軽減する薬だけど、ちょっと気分にも作用する。今のこのため息多いのもADHDの症状の影響があるとすれば、薬を飲んでちょっと楽になるかもね。

こればっかりはね、やってみないとわかんないからね。

私は、おかしいですか?

──いや別に。まあため息は多いな
「おかしい」わけじゃない。

私は生きてていいですか

──いんじゃない?(食い気味に言われたから、もう、聞かないほうがいいのかなあ…)

死ななきゃだめじゃない?

──なんで死ななきゃいけないの
──どうせいつか死んじゃうんだから、生きといたら?っていうのと、
前も言ったけど、死ぬにはまだ早すぎる
すべての選択肢を試して、どうしようもないなら、選ぶことを止めはしない。

試す意欲がわかない。

──それだと、死のうとする意欲もわかない。

──エリーさんの「死にたい」は「生きてたくない」だからなあ。

表現として。
イコール死、ではない。「冬眠したい」
概念的なやつ。「生きる」ってものじゃなく、在りたい。
「生きる」と「死ぬ」の間が欲しい。エアポケットみたいなね。

もしかしたら、『生きていたくない』が通常なのかもしれない

意識するから「生きる」と「死ぬ」がでてくる。意識するから苦しい。
やることがあって日々を送る、そのサイクルが今の『生きてたくない』を達成してる可能性はある。

いいのいいの
生きる目的なんてなくていいの。

死ぬまでに何をしたらいい?

──そのリストアップする? 「いやあ別に…」

──そこでリストアップしないのは、まだ「死への囚われ」が強いわけじゃないよね。
やっぱ「死ぬには早すぎる」よ。

いいのいいの。そのうちため息つかないようになるし。そのうち日々を過ごすようになるし。


──なんか資格取りいく?

(は?何言ってんのこいつ)
勉強したくない…

この前「働く?」と言われて、
障害者雇用のサイトに登録して、9割がた登録して、そっから触ってない…
──求人サイトは眺めるだけでいいんじゃない?申し込まなくて。

──退院したら「職業適性検査」受ける?
(中学生のとき受けた)未成年版と成人版があるね。
「昔は『何にでも適性あり』だったけど『生きることに適性ないじゃん』みたいな」
──「仕事の得意不得意」と「生きる生きない」は、ねじれの位置よ。交わることはない。
「いのちの問題」と「社会の問題」

生きてる意味を見出せてる人は死が近い人だけだよ。

入院3回めだから慣れるの早いって思ったけど、

──施設に慣れるだけ。職員も他の患者さんも違う。
人が違えば見え方も違う。

私は周りの影響を受けやすいのかなあって

──周りの影響を受けやすいから、コミュニティは広げてもいいんじゃない?
同じような不調を抱えてる人がいるかもしれない。そこと繋がるといいのかもしれない。
オンラインでなく直接的に繋がる。
「オンラインだったら、いるけど、身近に、探す気力は、ない」

あたしの勝手なイメージよ

気の知れた友人と、カフェをやる。接客は、根明の奴がやり。
エリーさんは、お店の前には出るけど、馴染みの人とは喋るけど、
特別接客を積極的にするわけではなく、事務処理とかをし、音楽をつくる。

「私音楽を作ったことはなくて、」
──それはなんでもいいよ、何かの創作。
何かの創作をしながら、カフェの店員でもある。

っていうのが、なんとなくね?

イメージではあってそうだなあ

接客大好きな人と、コーヒー豆にこだわる人と、3人でやってるイメージ

「あ〜、匠cafeに行きたい」

「10年前にね、実家隣市にB型就労かな?あってね、

そこめっちゃ美味しいんすよ(破顔)」
──そういうの向いてんだと思うよ。ただそれだけだと生活サイクルが心もとないから、創作もやる」
「そうすると、『エリーさん来てよ』と常連に絡まれ。もうやだわあの人とか言いながら、いつのまにかわーわー話して。それで1日が終わる。」

エリー「自営業」
──平たく言えば自営業だけど、ほんとにエネルギー出してやってくなら、NPO法人をつくっちゃう。
利益を企業の成長に使わないのがNPOだから、 経費を持ち越しません。
利益がないから税金もない。消費税くらい。

そういうのやってみるとか。だれかがNPO法人でやってるところに転がり込むとか。


こういう選択肢もさ、

自分じゃ出てこないけど、誰かと会話して、出たときに、引っかかって、きっかけになればいい。

自分ひとりで考えてたら出てこない。外とのコミュニティを持ってて損はない。


「イメージはできたけど、やりたいかやれるかって言われたら…」
──『自分で主体的に』じゃなくて、「やろうよ」って無理やり連れてかれるくらいがきっと向いてんだと思う。「考える前に動いて」ってくらいがいいのかもね。

「あなたはどうしたい?」とかじゃなくて。
答えられない人もいるよね、って。

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