「献血にご協力ください」という祈り
日本赤十字が献血の協力を呼びかけている。
献血の大切さに気づく人の大多数が、「献血したいけれどできない身体」であることが多い。
身体上の理由で献血できない私から、献血を呼びかけてみる。
献血するメリット(と思われるもの)
・「人の命を救うことにつながる」という充足感
この充足感は何物にも代えがたい(たぶん)
・献血ルームの職員さんに好意的に招き入れてもらえ、加えて感謝される
人との交流に飢えている人にとって、「自分の存在に感謝してもらえる」ことは、喜ばしいことだろう。たぶん。
・献血ルーム内ではジュースが飲み放題
Wi-Fiがあるところ、漫画があるところ、お菓子をもらえることもある。
・献血をつづけポイントをためると、品物と交換することができる
友人は食器洗い洗剤をもらっていた。
日用品をもらうことで、家計を助けることになるかもしれない。
献血するデメリット(と思われるもの)
・献血するには「いくつか条件がある」
「最後の渡航から○か月経っている」「今までに輸血を受けたことはない」等の条件があり、それらをクリアする必要がある。
・単純に時間がかかる
スムーズに進んでも30分程度かかると思う。詳しくはわからないけど…
・献血後の体調が不安
「血が少ない」から、無理はしないほうがいい
献血に対する思い(橘エリー)
私は中学生の頃から献血をしたかった。
「16歳になったら献血に行くんだ」と夢見ていた。
16歳になる直前に交通事故に遭った。
「輸血するかもしれない」と医師から言われたそう(by家族)だが、
輸血を受けることはなかったそうだ。
「輸血を受けていないなら献血できるはず」と、献血へ行った。
だが、そのたびに丁重にお断りされてきた。
1度目
看護師さんと議論の末「そこまで言うなら」と献血にこぎつけたが、
献血前の検査にて、血圧が低く、できなかった。
「あなたに針を刺すことなくて良かった」と安堵されたことが印象に残っている。
2度目
献血前の検査をする前に医師のもとへ案内された。
医師と1時間程度話をした。
「どうしてそこまで献血にこだわるのかわからない」と言われた。
その言葉に衝撃を受けた。
献血だよ?できるなら、しなきゃ。
っていうか献血ルーム常駐医師なのに「そんな言い方」して、いいのか?
それでもあきらめきれない私は医師に
『左麻痺の既往があり、採血中のアクシデントで悪影響があっては困るので献血を中止します』と、一筆したためてもらった。
「献血できないなら持っている意味ないな」と思い、
「献血回数0回」の献血カードを引き取ってもらった。
3度目
献血前の検査をする前に医師のもとへ案内された。
内服薬の確認(薬の名前を覚えていなくてご迷惑をおかけしました)。
医師に「自分の状態(交通事故(頭部外傷)の後遺症で麻痺があること、5日ほど前に薬を飲んだこと)」をお伝えし、
医師は私が献血していいかを分厚い冊子で調べていた。
『頭部外傷は、完全治癒もしくは寛解したのち一定の期間があいていたら献血できる』そうです。
私は「完全に治った」とはいえないのだろう。
後遺障害があるから、完全治癒ではないと思う。
私の身体障害は「後遺障害であって後遺症ではない」と、あのとき強く言えたらよかったのかな。
たぶん後遺障害のほうが重傷そう(※私の勘、裏どりはしていない)
きちんと言いたいこと言えていたら、そこで納得できていたら、
今もやもやすることはないのかな。
すごく、悔しかった。
献血ルームの医師や看護師が「来てくれてありがとう」「できなくてごめんね」と口々に言うものだから、気弱な笑顔を張り付けることに追われて、
私は充分に悲しむことができなかった。
橘エリーが献血にこだわる理由
ただ単に「自分が生きているという罪を少しでも贖いたい」それだけだ。
私が生きていることは罪だ。私は死んだほうがいい。一刻も早く。
「献血する」ためだけに減薬→断薬を強行したから、心に穴が開きました。
献血できないなら薬を飲みたい。
献血できないのなら我慢する必要ない、何も気にせず薬を飲みたい。
赤十字の定額寄付を始めた、街中の募金はしているけれど、僕は別に「資金援助」をしたいわけじゃないんだ。
資金援助しか僕にできることはないのだけど、叶わないけれど、
僕は「献血」がしたいんだ。
「僕の身体は他者に提供できるくらい綺麗だ」と、
「死にたい僕が今日まで生きてきたことには意味があった」んだと、
「こんな僕にも生き続ける価値があるんだ(もう一度献血をしよう)」と、
優しく認めてほしいだけなんだ。
ヘルパーちゃんに『臓器提供意思登録』というものを教えてもらった。
仮登録は済ませた。
私はここにいてもいいのでしょうか。自分では死ねないです。
参考
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?