鬱気者(うつけもの) #6

私は生きる価値がない。
私は死んだほうがいい。一刻も早く。
この思いは、15年くらい前からずっとある。


うつ病を「部分寛解」と言われてから、

「認められない」、「受け入れたくない」、「私はもっと悪くてはならない」等の思いがあって、体調があまり良くない。

「私はもっと悪くなくてはならない」の思いは、うつ病ではなく「橘エリー個人の特性ではないか」と言われた。
私もそうだと思う。幼少期からこの思いはあったと思う。うつ病(病的)になったのはここ5年くらいの話だと思う(5~10年)



無理することはできるけど、翌日に響く。
「響く」というほど翌日への悪い影響はない気がするけど、一夜の睡眠だけでは回復しきっていない。
もしくは、寝過ぎてしまう(その結果回復できているかは微妙)。


「(次の診察を1週間のばしたので)睡眠薬が足りない」、7夜は薬なしで寝なければならない。
自力で通院できない以上、送迎してくれる家族の予定に合わせないといけない。

病院つく前に教えてほしかった。でも、それを責めるのは良くないって思いがある。車を出してくれる家族に(特に母に)キツく言ったら悪いと思う、から。
それでも、事前に伝えてもらえたらよかったな…。薬がないのはけっこうつらい。
自分の人生を他人に預けるのは、なるべく避けたほうがいい。他人は私の人生に責任とってくれないから。


「その日は行けない、ごめん」とか「1週間ずらして、お願いします」とか、言うのは簡単だよ。お金かからないよ。
「その言葉によって期待される(無意識のうちに強制される)'こちら側の労力'」というものを想像してもらえたらな。
睡眠薬なしでも「なんとか」眠れてはいる。
寝つくのが遅い、目が覚めるのは普通くらい、熟睡感がない。
疲れが取れている感じがしな… するのか?(半分から2/3くらいの回復)
昔から(うつ病になる前から、たぶんずっと前から)寝たら「だいぶ回復する」から、「いつもよりは回復の程度が低い」くらいで、イマイチ実感がわかない。

私には私のことがわからない。



私は「悪く」なりたい

「悪くならなくてはならない」
「良くなってはいけない」

これらの思いは「橘エリー個人の特性だろう」とのこと。
うつ病と診断が下りる15年くらい前から「そういう考え」だったから、
「そう」なんだろうな、としか思わない。

私は、自分の考え方を矯正できるとは思わない。「矯正できないだろうな」と思っているから、矯正しようとは思わない。矯正できたらいいのに、とも思わない。
もう少し真っ当な思考回路に生まれ変わることができたら、もっと「生きやすい」のかもしれない。
でも、それは私には不可能だから。



だから、死にたいんだよ。

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