読みたいけど読みたくない

病識(自分は病気だって意識)、少しはあるけど、でも、
「私は病気だ」と言ってしまうと、
言い切ってしまうと、
自称する=病気を認めてしまうと、
自分を保てなくなりそうで。
「私は気分循環症って言われてる」と言う。

主治医ちゃんは「病名は救いだ(大意)」と言っていた。

けれどもこれは別の物語。いつかまた、別の時に話
すことにしよう

ミヒャエル・エンデさん 『はてしない物語』



私は 「精神疾患」 らしいよ。

主治医ちゃん曰く 「病気」 らしいよ。
昔々は「病気だったらいいのに」 とか、 よく思っていた。
そんな気がする。

そんな橘エリーでも、 いざ 「病気だ」 と言われると、それはなんか違うらしいよ。
なんとまあ身勝手なことか。

主治医ちゃんに「発達障害の傾向」と診断が下りるまで、
私は、昔から、周りと違う、と思ってきた。
私の、この、周りと違う感覚は、間違ってなかったんだ。欠陥品の欠陥に理由があったんだ。

「理由があった」からといって、「生きやすくなった」わけではないけど、
それでも少しは「発達障害(傾向)だから仕方ない」と思うことが増えた。

病名は救いだよ。


私の身体障害(肢体不自由) は

もう、動かないから。
受け入れるしかないわけよ。
諦めるしかないわけよ。

それに、
10年以上前の出来事だから。
風化や忘却は救いだよ。
だってもう、二度と○○できないから。
○○してた自分を思い出せない。救いだ。


車椅子に乗るメリット
・移動が楽
・見た目でわかる

期待されない。手助けがもらえる。
だって〜できないでしょ?」 でことが進む。

昔は「かなしい」 とか 「くやしい」 とか、思ってたと思うけどね。
そんなエネルギーは、 とっくの昔になくなった。


私の精神疾患は、さ

目には見えないけど、生きづらさは存在する。
外界からの刺激の受け取り方、思考のパターンなど…
生きやすい「これから」を目指すんなら修正していかないといけないだろうね。
目指したくないけどなあ

私など 苦しみ抜いて 死ねばいい
生きる価値など 最初からない

「誰しも価値なんてない」と、
主治医ちゃんは言うだろうなあ



「疾患」と「障害」の差異

これを疾患と捉えるべきか障害と捉えるべきか。

主治医ちゃんは
「疾患はひとつの概念」
「障害は行動に関して支障がある症状や病気」と話した。


私は
「疾患=治癒する可能性がある」
「障害=治らない」だと思っている。
短絡的に。
もちろん主治医ちゃんの考え方のほうがより正しいと思うけど。


だから私は
私には「身体障害」と「精神疾患」がある。
と自分を説明している。
身体(肢体不自由)はもう変わらないけど、
精神が、少しでも楽になったら、喜ばしいのだろうね。


私は喜ばしいと思わないけど、
私の周りの人からししたら「喜ばしい」んだろうね。たぶんね。

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