「私」を形作る『すべての「あなた」』へ

現在の「私」を形作る、今まで出会い関わってきたすべての「あなた」へ
感謝と敬意と祈りを込めて――



本(読書)

幼少期から読書が好きで。本が好きで。たくさん読んできた。
同じ作品を繰り返し読み、新しい作品の世界観にひたりつつ読み、作者名で選び、題名で選び、友人に勧め、友人に勧められ、

書籍にたくさん触れてきた。たくさん。多い日は「一日に軽い本5∼7冊」とか読んでた。
「四コマ漫画でわかるシリーズ(ことわざ,故事成語,慣用句など)」が小学生頃のお気に入りで、10回は読み直したんじゃないかな
そのおかげで言葉には詳しい。少し。
本人としては、言葉には「詳しくない」「知らないことばかり」と思っているんだけど、傍から見ると「詳しい」らしい。
  自分のことは、なかなか自分ではわからない。
  自分が基準であり、どうしても「それがあたりまえ」と思うから。


YouTubeチャンネル『ほんタメ』の中で、たくみさんが仰った言葉。

「知識は円みたいなもの」。
自分が「知らない」と思えるのは円周のすぐ外だけ。「円が大きい(知識が人より多い)」人は「円周も大きい」ため、「自分には知らないものが多い」とわかっている。
 「無知の知」みたいなこと、だそうです。


20代の方に伝えたい「やっておいたほうがいい」こと:発信すること
(インターネットを利用する等)不特定多数に向けて発信する。自分ひとりでは気づけなかったことに気がつくだろう、とのこと。
「誰の役に立つのだろう」と不安だけど、誰の目に留まるかわからないよ。
  自分の行動がきっかけで、「何かおもしろいこと」につながるかもしれない。でも「自分から発信」しない限り可能性はゼロ。


「ほんタメ」たくみさん(「ミステリ1,000冊読んだ男」)
二つ名いいよね。いいよね二つ名、わかりやすい。



音楽

(幼少期の発達の影響か、私にはいちおう絶対音感がある)
私は音楽が好きだ。学生時代は音楽系の部活に入っていた。
交通事故の影響が大きく残っていることや自身の完璧主義という性格もあり、現在はなにもしていないが、音楽は好きだ。


「形にあらわす」ということ

現在は、読むことよりもnoteやTwitterで発信することのほうが多い。
「発信する」ことが大切だ、と以前たくみさんが話しておられた。
文章なり言葉なりで「他者に伝える」、その過程で生じる「文字にして記録に残す」という工程。その記録こそ、「私(これからの私)」が欲すること。
 記録は裏切らない。 私はもう、誰にも裏切られたくない。
 私は、自分を信じられない…


「記憶力に自信がない(自分のペースで思い出す分には記憶力いいけど、焦るとさっぱり)」から、いちいち記録に残せる(誰かに残してもらえる)といい。
自分なりのメモでないと(思い出したいことが書き手と異なると)、わからなくなるよね。
「私に関する専門職会議(Nothing About Us Without Us)」では、 逐語録をお願いできるといいなあ…



「これからの生活」について

  私に「(一般的な理解での)就労」はできない。向かない。
「できないものはできない」「向かないことはやりたくない」と、はっきり伝えていきたい。
よく考えたうえで「前向きに諦め」て生きていきたい。
・生活費を稼ぐことはできない(貯金を切り崩しながら生きていく)
・住む場所を考える(自立生活センターがある地域だといいな)


私には「私の経験を伝えること」「私が理解したことを伝えること」くらいしか能がない。
こんな私でも、「note読んでる」「おもしろい」と言ってもらえる
「文章うまい」と褒めてもらえる。幼少期から言葉に親しんだからだよね、幼少期って大切だよね、これって私の「強み」だよね。

お金はもらえなくていい。
ただ「人に何かを伝えたい」「人の役に立ちたい」。
私の経験を次世代に伝えていくこと。
それが、希少な経験をしてきた「私」にできる、私だからできる「恩返し」なのだろう。

私の経験を、同じ悩みを持つ方に捧げたい。



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