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翡翠色の声 / 熊本県人吉市


Nは、まばゆいばかりの光が合間を縫って差し込んだ森林のような目をしていた。その目が人を見つめるとき、すべてを見通しているようにも見えるし、人が見て欲しくないものは少しも見えないようにも見えた。とにかく、心の温もりが目の淵にじわっと滲んでしまったようなひとだった。


Nはその美しい目とは裏腹に、声で訴えることを生業にしていた。Nの声には、翡翠色の川のような、すくいようのない色合いがある。鮮やかであるし、また、一瞬にして消え去ってしまうような繊細な響きもたずさえている。そのことに気づかないままでいて、似合わない桃色のような明るさを身にまとっていることが、かえってNの輪郭を明らかにしていた。


Nがこの町の人でないことは一目瞭然だった。 Nの声と同じ色をした大きな川の中腹で、Nはくるくるとせわしなく人に会いにいく。この町の時の流れを、住む人の思いを、止まることなく世間に伝え続けなければならない。それがNの使命だった。この町には、この世界には、見たくないことなどが沢山あるけれども、それ以上に見てみたいもの、人の心を打つものがあまりにも溢れていることをNは知っていた。声を届ける仕事は、弓で矢を射るように。強い思いが、届けたい的に向かってゆらぎなく飛んでいく直線を、Nはまっすぐに信じていた。だからこそ、晴れやかに生き急いでいるのだった。



この町の森も川も、ただ過ぎゆく風に身を任せている。
光をたずさえた目で、世の中を照らす声で、Nは生きている。

当たり前に朝日がのぼってくれた今日も、Nは川の上で声を出してみる。今この目に見えているものが全てなのかどうか、確かめるように。

川に反射して加速した清らかな魂は、風に乗って飛んでいく、どこまでも。この町の森が、川が、少しも手の届かない場所へ。




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