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東寺の空海さん

前回、東寺の講堂にて不思議な体験をした私でしたが、そもそも誘ってくださったのは空海さんでした。なるほど、訪れてみれば直ぐそこに空海さんの氣が立ち込めていて、門をくぐると同時に、私は悲しくもないのに勝手に涙が溢れて止まりませんでした。

東寺鎮守八幡宮

挨拶をしていると、どんよりと覆った梅雨らしい厚い雲から頭上にぽっかりと穴が開き、スポットライトのような陽射しが降り注いでみるみるうちに真夏の暑さに見舞われました。眩しいのと嗚咽とで到底人様に向けられない顔だったと思われますが、誰もいないのを幸いに手を合わせていると、背後をすごい勢いで大きな何かが掠めて行きました。

「こらこらそんなに大泣きして〜」

大声で笑う空海さんが乗り移ったかのように威勢の良い声で鳴きながら、八幡宮の社殿の鳥居下にいた私の肩を叩くかのように飛んできた大きな青鷺は、そのまま猛スピードで空高く舞って行きました。

それから脇にあった護摩に願い事を書き、護摩焚きを入れる箱に収めようとすると、ビックリ箱を開けたかのようにピョーン!っと、いきの良い蜘蛛が飛び出してきて、ちょうど良いポジションからジッとこちらを見つめています。私も、もう笑うしかなく、、はいはいという調子で(⌒-⌒; )

殊更ここでは、なんだか空海さんの剽軽さが伝わってくることばかりなのでした。


御影堂

次はこちらへ移動。ここでもハプニングと言いますか、空海さんの姿は仮御影堂と張り紙がされたプレハブ小屋のような場所にあったのです。

中に入ってみるとそこにはなんと普段は絶対近づけない距離感で弘法大師坐像が安置されておりました。拍子抜けするくらい簡素な場所が不釣り合いな空海さん。参拝受付を済ませて中に入っても誰もおらず、わたしはそのプレハブ小屋の中でポツリ、空海さんを貸切状態でお話しをさせていただくこととなりました。

空海さんは私のあれやこれやの道のりをさも知っているかのように話を聞いてくれました。
私が旅に出る時はいつも壮大なテーマをもらって、それを受け止めるにはまだまだ到底技量が必要でした。一つひとつ、私に課せられたそのイメージをどう表現すべきか格闘している、と伝えました。
(細かいことを挙げればキリがありませんので、割愛しますが)
私が悩みを告げる前に、被せてくる感じで答えが入ってくるのですが、果たしてこれは自分の内面との会話なのではないか?という疑問が浮かび上がってきて、それも質問しました。すると、「安心せい!なぜそう疑う?必要ない」と返ってきます。そんな調子でしたので、私なりに、この時間は空海さんとの会話だったと解釈しております。⌒-⌒; )
くだらないちっぽけなことでも、空海さんは私達に近い感覚で聞いてくださいます。視点はもっともっと、上からですけどね。今も生きている、そう感じざるを得ません。


元を辿れば、空海さんへ最初にご挨拶に行ったのは高野山です。当時まだまだ未熟者で自分の決意以外なんの確約もなく、筆を生業にすることを誓うしかありませんでした。それでもあの時確かに空海さんにはそれが伝わっていたのだと、この時にやっと理解し、ただただ有難く思いました。


京都の不思議、続きます。


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