「頑張り屋の税理士」 #働くステキ女子、発見!#Chapter9
過去に『Oggi(小学館)』にて連載されていたものです。
遠い親戚に厳格な税理士先生がいる。つい最近から見てもらうことになった。実はずっと前に、そんな話もでていたが、その頃、すごく余裕がなかったのと、今にも増してお金のことが苦手で嫌いだったので見てもらうのを敬遠していた。
でも、私ももう35歳、お金のこと、税のこと、きちんと分からないと!社会のことから、経済から逃げないぞ!ということで税理士先生のもとを訪ねた。
「やっとその気になりましたか。きっとできますからね。丁寧に教えますから、しっかり、やりましょう」
先生は眼鏡の奥の目をしばしばさせて、私の決意を応援してくれた。
「アシスタントにSをつけますので、細かいやりとりはSとしてください」
先生がそう言うと、ドアをノックする音がしてSさんが入って来た。厳格な先生のアシスタントといったら、修道院のシスターみたいな人かしら、と思っていたら、入って来たSさんは可愛い小動物みたいな人だった。
「Sです、よろしくお願いします」
声が淡い。か細い。顔だって、デビュー当時の原田知世さんみたい。目を吊り上げたり、怒ったりする様子が全く想像できない。きれいな、そして生真面目な感じの女性だった。
これからのやりとりの進め方の説明をうけている間、Sさんをちらちら見ていた。職業柄なんだろうけど、フォーマルな格好。でもそれが堅苦しくなく、柔らかい素材の薄い水色のカットソーをインナーにし、グレーのジャケット。できる!って感じじゃなくて、頑張り屋さん!生真面目!って性格がにじみ出ていた。
その観察と予想はあながち間違ってはいなかった。
私はとにかく先生から経済用語のシャワーを浴びてチンプンカンプン。頭がパンクしそうになっていた。先生の口元をぎゅっと見つめて分からないなりにも何かつかもうとしていた。英語のヒアリングに近い。
視界の隅に心配そうな顔で私を見ているSさん。ヒアリングに集中しなくてはいけないのに、Sさんの心配そうな顔って、子犬みたいに可愛いなぁ、と、不謹慎に思ってしまう。こういう女性は男性がほっとかないだろうな。けど、手出しすると、ほっといてください、自分でやりますから、とか言われてぎゃふんとなるのだ。
「今まで申告は、青色でした?白色でした?」
先生が眼鏡をずりあげつつ私に尋ねた。
「え?」
私は目をパチクリさせて言った。
「他に何色があるんでしたっけ」
先生は、驚いた顔をした。
「そこから、ですか」
つまり、そんなに基本的なことから知らないのね、そこから聞くのね、という戸惑いである。
Sさんは気の毒そうな顔をしていた。すみません、と私が肩を落とすと、道のりの困難さに暗雲立ちこめちゃった先生は、できるだけ明るい声で言った。
「大丈夫です。難しいことはないですから。少しずつ、慣れていけばいいです。ゆっくりお教えしますから」
Sさんは割と大きめに、頭をこくりとして頷いた。その表情がまた素敵だった。決意!っていう感じ。お手伝いしますからーっていう意志の固さと生真面目さを感じる。口を真一文字にきゅっとして、目はしっとり湿っている。すごい黒目だよねぇ、と、またSさんを目のはじっこで見ていたら、先生が言った。
「Sさん、あの紙ある?」
「はい」
Sさんは自分でつくったと思われる、ペラ1枚を、大事そうにテーブルの上に置いて、私の方にずずずと差し出した。先生は言った。
「これ、見たことあります?」
「?」
「バランスシートっていうんですけど」
ないかぁ、と、苦笑いして先生は頭をかいた。
「聞いたことはありますけど」
ちらっとSさんを見たらSさんは笑っていなかった。苦笑いしている先生に抗議している表情のようにも見えた。
「これはですね」
え?と思った。いきなりSさんが説明しはじめたのだ。指を指しながら、努めてゆっくりと、整理して話そうとしているのが分かる。
「これは賃借対照表といって、向かって左側が、借方といいます。そして、右側。これです、これが、貸方になっていて、両方の金額が一致するようになっているんです」
指を指しながら丁寧にゆっくり教えてくれているのだけれど、借方とか貸方が分からず、思考がストップしてしまう。
そのとき先生がSさんの説明を遮った。
「いや、Sさん、そう言っても分からないから。その順番だと分かりにくいよ」
先生は私の方に向き直って言った。
「エリーさんね、こっちが資産。つまり資金調達の内訳です。そして、こっちが負債と資本の内訳。つまりね、会社としてどのように資金が調達されて、どのようにそれを活用したかが分かるんです」
どうしてだろう。先生の方が説明長いし難しそうなのに、分かる。理解できそうな言葉や事柄を選んで説明しているからかもしれない。
私はそれより、先生の言い方が厳しかったのでSさん大丈夫かな、と心配になった。が、彼女はしょんぼりしなかった。私だったら、どうせ私なんて、って、口をつぐんでしまうだろうに、Sさんは違った。それ以降も隙あらば、率先して私に説明をしてくれる。その度に先生が説明し直すんだけれど…。
自分が説明したい!という利己的な衝動ではなく、お役に立ちたい!同じ女性だし、先生、という立場ではないから、分かりやすいこともあるはず!
という思いからきているのが分かるから好感が持てる。
「領収書はどうしたらいいですか」
私は先生に聞いた。
「普通は、何か紙に貼って用途を書き込んでもらって、あと、こういう表に数字を打ち込んでもらうんですが…」
すると、Sさんが言った。
「私、やります」
「え?そお?Sさんできる?」
先生はSさんにやってもらえたらなと思ってSさんの反応を見ていたところがありそうだった。でもきっぱり言ったSさんに、それはそれで心配している様子。
「色々、やることあるでしょ?」
先生の事務所は決算の時期で、いろんなクライアントを見なくてはいけなくて、みんなてんてこ舞いなのだった。
「大丈夫です。だって、ねぇ」
Sさんは私を見て気の毒そうな顔をした。
「お一人ではじめてで、大変ですものね」
正直、心細くはあった。
「大丈夫です。当面私がやります」
Sさんは潔く言い切った。
「そお?でもあんまり残業しないでね」
分かってます、という風に頷くSさん。きっと頑張り屋さんなんだろう。先生の心配そうな様子で分かる。
「あと、この書類ですが、なくさないように次回も持って来てください」
と、先生が私に言った。
すると、
「私、管理しましょうか」
Sさんの更なるお手伝いします発言に私も先生も、えっ、と驚く。
「なくされてしまう感じがして。お忙しいし。当面私が、管理します」
慌てて先生がSさんの申し出をいなす。
「これは、やっぱり、エリーさんに持っててもらった方がいいんじゃない?」
「大丈夫です」
Sさんは、頑固だった。でもSさんを見ていて、意志のある女性って清々しくて、素敵だなと思った。
後日、うちの事務所のバイトの女子が言った。
「Sさん、このまえ書類を届けてくださって、私にこう言うんです。エリーさんの負担を軽くする仕事は、エリーさんの作品づくりのお手伝いでもあるから、素敵な仕事ですよね!って」
「え?」
私にはそんなこと言ったことないけれど、実はそう思っていたんだなあ。作品の話とか一切しないものだから、てっきり興味がないんだと思っていた。助けたい、という気持ち。きっと彼女にとっては、不言実行が信条なんだなと思った。口を真一文字にして相手を想って数字と格闘するSさんが目に浮かんだ。
税理士さんって数字の仕事で冷たいイメージがあったけど、仕事柄は、その人の人柄によるなぁと思った。
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