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「溶かしバターのような総支配人」 #働くステキ女子、発見!#Chapter12

過去に『Oggi(小学館)』にて連載されていたものです。


 私はとあるホテルに向かっていた。色々トラブル続きで疲れきった私を、友人が心配して連れて行ってくれたのだ。
 きらびやかなスパリゾートホテルに着くと、見たこともないセレブな時間が流れていた。世界に展開する、超一流ホテル。優雅で美しいその雰囲気に、はぁと思わず感嘆のため息をもらした。広々としたロビー。天井まで1枚ばりのガラスの向こうに木々が揺れている。ラウンジには暖炉。その周りで皆がのんびりとそれぞれの時を過ごしていた。語らう人、読書する人、ぼーっと外を眺める人。セレブって余裕があるんだなぁ。私みたいに髪の毛振り乱して働いてないんだなぁと感心していると、黒いパンツスーツに身を包んだショートヘアーの女性が手を振りながら近づいて来た。
「よくいらっしゃいました!」
 それが、友人の知人であるホテルの総支配人、Nさんだった。キリッとしているのに、声がのんびりとしていて、人をほっとさせる。黒のパンツルックなのに、Nさんのくしゃっと笑う笑顔は、熱々のトーストの上にのったバターのように、心をゆるやかに溶かした。
 時々、笑顔でも目が笑っていない人っている。でもNさんは、目も鼻も口もほっぺも眉毛も、そして全身がにこにこ笑っていた。朗らかって 言葉、彼女のためにあるのではないか。接客業だからといってこの朗らかさは出せない。彼女が総支配人だと聞いて、さらに驚いた。こんな朗らかでいいの?こんな大きなホテルを仕切っている人でしょ?興味を持った。
「今晩、もし、大丈夫だったら、部屋に来ませんか?女3人で飲みません?」
 友人が言った。総支配人だし無理なんじゃないの?と私は思った。
「いいんですか?じゃあ連絡しますね。今日はゆっくりしていってください!本当に来てくれて嬉しい!」
 きちんと業務をこなしている自信。従業員から尊敬されている自信。じゃあ連絡しますね、という、言葉にそれらが感じられ、素敵だなと思った。
 その日は、オイルマッサージを受けたり、温泉に入ったり、ゆっくり、ゆっくり、体と心を癒す時間をとる。フレンチレストランで舌鼓を打ち、部屋に戻ってテレビを観てソファーでごろごろ。友人がそろそろかな、と 言って電話をとった。私も実は、Nさんどうかな?とずっと気にしていたのであった。
 Nさんが到着。ドアを開けた瞬間、来ちゃった!というお茶目な顔が可愛い。そしてまだ黒いパンツスーツなのが申し訳ない。私たちは、はだけた浴衣だったから。
 座敷のシックなローテーブルを囲んで女3人の飲み会。話題は、やはり、総支配人ってどうなんですか?に。
「もともとマーケティングの仕事をやっていたので、抜擢されたときはすごくびっくりしたし戸惑いました」
 普通、支配人になるのは、ホテルの現場業務を経験した人だそうだ。ところがNさんは完全に裏方。現場を知らないで現場のトップになるのはとても勇気がいることだったろう。経営陣は彼女の何か人と違う視点に賭けたんじゃないかな。見てる人は見てるんだ。その人の頑張りとか人柄を。マーケティングって、世の中の動向や人の心理を読む仕事。それを持ちこめば、新しいサービスや心遣いが生まれる。
「内装とか調度品も選ぶんですか?」
すると、微笑みながら彼女は頷いた。
「デザイナーさんと相談しながら…」
スパは和のテイストだった。和洋折衷の絶妙なバランス。あれは落ち着く。大抜擢は、的確な抜擢だった。
「Nさん、すごいのよ。世界十何ヵ国にあるこのホテル初の、日本人女性総支配人なんだから」
 と友人が褒めると、Nさんは、いやあ、と照れた。シャンパンクーラーの氷が解け、かちゃりと音がする。
「女性の総支配人って世界でもあんまりいないんですか?欧米とかそっちはほとんど女性だったりしないんですか?」
Nさんはローテーブルに置いたシャンパングラスに両手を添えるようにして、
うーんと唸った。
「意外と、そうじゃないんですよね。世界の総支配人が集まる会議のときに女性が2、3人しかいなくて、びっくりしたことがありますよ」
 それを聞いて、友人は、鼻息荒く言った。
「やっぱり女性への壁ってまだまだ厚いのよ!私たちが頑張らないと!」
 なんだか元気になった。厳しい社会で認められ頑張っているNさんを思えば、自分の今の色んな困難なんて、たいしたことない。朗らかなのに逞しいNさん!
 それでも、私は何かしら苦労話なんか聞きたいなと思った。大変だなぁ、辛いなぁ、ってことないですか?と聞くと、Nさんは首をかしげてこう言った。
「うーん、それがないんですよねぇ。鈍感なのかしら」
 それを聞いて友人は言った。
「でも色々あるわよ。Nさん、色々あるに決まってる。大変な仕事だもの」
 そうひとり頷いてシャンパンを飲む友人に、Nさんは、
「いえいえ!そぉんなことないですよ、そぉんなこと!お二人に比べたらぜーんぜん!」
とひょうきんに否定する。朗らかに笑うNさん。辛いことなんてないって言うNさん。カッコいいと思った。何事も楽しもうとしてるってことなのかしら。もしかしたら、感じているけれど、言わないようにしているの?どちらも正解かもしれない。
 シャンパンが空になった頃、深夜1時を回っていた。明日も早いだろうに申し訳ないと謝ると、Nさんはまた、おどけた感じで言った。
「いえいえ〜だって、ここ、家ですから!すぐ帰れちゃいます!」
 そっか、ここに住んでるんだぁ。都会から離れてリゾート地に住むってことは、友人ともなかなか会えない。心細くないかなぁ。家と仕事場との区別もつきにくいだろうし。それなのにどうして、こんなに心から人をほぐすような笑顔ができるんだろう。
「元気出してくださいね。きっといいことありますから」
 Nさんは最後に私にそう言った。Nさんのその言葉は、温泉と同じぐらい芯まで、私の奥底まで届いた。
 それから数カ月して、突然、休みがとれた。今日、どうしよう、と朝、1日の過ごし方を考えていたら、ふと、Nさんのホテルに行きたくなった。Nさんに言うと気を遣ってあれこれしてくれるだろうから、こっそりネットで予約した。ラッキー、ひと部屋空いていた。そのサイトの中で、面白いものを見つけた。Nさんのことが書かれている口コミが多かったのだ。
「ラウンジでドリンクをサーブしている女性がいて、それが総支配人でびっくりした」
「記念日に行ったら、部屋が空いていますからといって、目が飛び出るような金額のスイートにアップグレードしてくれて驚い。しかも、お二人が美男美女なのでサービスです、と言われた」
 Nさんの茶目っ気たっぷりな気遣い、心配りが目に浮かんできゅんとした。特別扱いとかないのだ。知り合いだからとかじゃなくて。お客様みんなを特別扱い。それがNさん。
 ホテルに夕方着き、ラウンジでのんびりしてからNさんにメールした。すると、え⁈と、絶句したメールがきた。数分後、ふと何気なく吹き抜けの天井を見上げたら気配を感じた。振り返ると、階段上の踊り場に、Nさんが、まるでロミオとジュリエットの、ジュリエットみたいにして、いた。
「エリーさん!見つけた!」
Nさんは大きく強く手を振って、声を発さず口だけ動かしてそう言った。黒いパンツスーツが、少し小躍りしているように見えて可愛いNさんは鼻息荒く私の腕をとった。
「もう!サプライズ⁉︎」
 私はそんなんじゃないよ、と、照れながらも
「そう、サプライズ」と 言った。
 なんだか彼氏みたいな気持ちになった。

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