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「舞台の裏方さん」 #働くステキ女子、発見!#Chapter10

過去に『Oggi(小学館)』にて連載されていたものです。


  最近、舞台女優のお仕事をした。女優なんて恐れ多くて口にもしたくないけれど、でもそういうことになっちゃった。酔っていたときに誘われたせいもあったけれど、一度、出演者側も経験しておけば役者さんの気持ちも分かって、もっといい脚本が書けたり、演出ができたりするよ、という殺し文句で、まんまと術中にはまってしまった。だけれど、学生時代も演劇部だったわけでもないまったくの素人の私が、35歳にしてはじめて舞台に立つというのはとても大変なことだった。やっぱり演出する側とされる側って全然違ったのである。
 毎日お昼の1時に同じ稽古場に通った。ジャージに着替え、まず柔軟。そのあと発声練習。そしてウォーミングアップのための体や声を使ったゲームをする。反射神経を鍛えるためでもあるらしい。そしてそのあと立ち稽古は夜まで続く。慣れないことが6時間も続くから、頑張っても頑張ってもやっぱり体がついていかない。精神力ももたなくて愕然。
 役者陣は4人、私が紅一点だった。主催者側のスタッフも男性ばかりだったので、普段、女子であることを意識したことはなかったけれど否が応でも意識してしまう。男性たちに交じって働く女子、って感じで心細くもあった。
 けれど、ほっとしたのは、演出部と言われる舞台のまさに裏方さんたちのなかに女性が二人いた。IさんとKさん。
Iさんは金色に近い茶髪でショートカット。目鼻立ちがはっきりしている。ハーフみたいな感じで姉御肌。Kさんは大きな目が印象的。瞳は真っ黒で、髪も真っ黒でセミロング。こちらも目鼻立ちがはっきり。二人とも裏方さんだからいつも地味な格好をしているけれどよく見るとかなりの美人、という感じだった。
 演出部というのは演出家のサポートをする部隊。演出家が「こういう小道具が欲しいなぁ」と言うと、探して来てくれたり、時にはつくったりもする。今回の現場では、白い衣装に血糊をつけて殺人犯の服をつくってくれたり、殺人現場に落ちていた包丁を用意してくれたり。包丁といっても危ないからゴム製で、遠くの席からもそれと分かるように大きめにしてある。それを見繕うセンスも演出部の技。
 私たちが立ち稽古している間、IさんとKさんは私たちが忘れちやった台詞を教えてくれたり、小道具をつくる作業を進めたり、とにかく沢山の仕事をこなす。二人の上には、舞台監督といって、当日、開演のベルをならし、幕を上げたり、舞台セットを転換したり、すべての段取りを指揮する人がいる。だいたい年配だったりして、IさんとKさんはおじいちゃんを助けるような感じで、
「あれ、どうします?」
「つくっときますね」
「転換の練習します?」
先回りして、逞しく、てきぱきと動いていた。男らしい二人。でもやっぱり現場に女性がいるのってほっとする。常にどこからか笑い声が聞こえるし、今日も三枚目のおとぼけ役者をからかっている。
「ちょっとぉ、寝癖ついてるよぉ」
「髪型よく見ると変じゃない?」
 二人にいじられて、
「ほっといてくださいよぉ」
と役者もまんざらじゃない。
 演出家のサポート役でもあるけれど、沢山の現場を経験している職人でもあるから、妙に貫禄がある。よく工事現場で、現場監督やクライアント側の人間が指示をするけど、現場で働いている人の方が妙に堂々と幅を利かせてる、っていう雰囲気に似ている。だって彼らがいないと何ひとつ進んでいかないから、無理もない
 が、彼女たちのことが本当に分かるのは、幕が開いてからだった。

 必ず幕は開く。どんなにあがいても、緊張しても、初日、というのは来てしまうのだ。稽古を沢山してきたけれど、何が本番ならではかというと、段取り。具体的に言うと、舞台セットの転換と着替え。暗転中に次のシーンのセットに替える。前のセットで使った椅子を運び出し、次の美術を運び込む。だいたい暗転の時間は決めてあるから、時間内にそれをしないといけない。そしてその間、役者は次の役の衣装に着替え、かつらをつけ、そして再び舞台に出て明転を待つ。その間だいたい3分ぐらい。
だから、着替えの段取りを間違えると、明るくなった中、おろおろ舞台に出て行かないといけなくなる。
 それからいつも不安だったのはワンシーンが終わって袖へはけるとき。真っ暗な中、歩くのはとても恐い。そんな時、袖で、お客さんが分からないぐらいのペンライトがくるくると揺れている。Iさんが合図しているのだ。それを手がかりにまっすぐ歩き、袖にいるIさんに突進して行く私。
「よし!」
私を迎え入れて肩を叩くとIさんは小声でそう言ってくれる。
 そこでぼーっとはしていられない。Kさんが待ち受けていて、すぐ、袖の脇につくられた、布で仕切ってあるコーナーに連れて行かれ、着替え。1秒を争う。衣装はKさんがボタンではなくすべてマジックテープにしてくれているから、ワイシャツも一瞬で脱げる。だけれど、靴下をはいたりズボンをはいたりネクタイをつけたり色々大変。だからKさんが介添えしてくれるのだ。
 でも私の場合、どんくさいのでほとんど介護。右肩を叩かれると、あ!と言ってKさんが広げてくれた袖に右手を通す。右腿を叩かれると、あ!と言って右足をあげる。するとKさんがズボンを履かせてくれる。二人三脚でものすごい速さで着替えていくのだ。だから、ドレッシーな女スパイ役から中年のサラリーマンになるまで3秒少し。
「オッケー。行ってらっしゃい」
Kさんが肩を叩いて送り出してくれる。
「行ってきやす」
と言いながら袖を飛び出して行く私。
テレビで見るF1みたいだなぁと思った。走って走ってエンジニアのもとにピットインする。すると、エンジニアがばばばばばとメンテナンスしたりチェックしたり次の走りの準備をして送り出す。あんな感じ。
 Iさんは時間を管理している。袖から舞台を見ていて、芝居のタイミングを見ているのだ。
「そろそろですー」
Iさんが合図をくれて私は息をふうと吸って出て行く。そのとき、小道具を渡してくれるのもIさん。主婦のときはスーパーの紙袋を渡してくれる。学生のときは携帯を渡してくれる。彼女がいるから、役者は決して小道具を持ち間違えないし、持ち忘れることもないのだ。
 そして初日の幕が閉じた。
「おつかれさまでしたー」
 みんなが口々に声をかけている。役者は疲れていち目散に楽屋へ。楽屋へ戻る前にみんなが衣装を脱いで、ぐちゃぐちゃのままKさんに渡す。
汗まみれの衣装を受け取って
「おつかれさまでしたー」と言うKさん。
なんだか運動部のマネージャーさんみたいだと思った。みんなの衣装を洗濯し、アイロンをかける。けなげ…。昼公演のあとはすぐ洗濯し乾かして夜公演に備えなければならない。大変な仕事だ、と思った。でもいつも笑顔なのだ。大きな黒目をきょろきょろさせて、みんなの様子を見ている。
「脱いだ服、受け取ります!」
Kさんが私に駆け寄って来た。
「洗濯とか大変ですね」
と私が言うと、Kさんは明るく言った。
「前ね、洗濯きちんとしてるのに、いい匂いのはずなのに、役者さんから衣装が臭い臭いって言われて、何度も洗濯したことあるの。でもね、犯人は、かつらだったのよぉ。かつらから垂れた汗のせいだったのよねぇ」
そう言うと洗濯物を抱えてばたばたと洗濯機のほうへ消えて行った。
 地方公演での夜、役者陣とご飯を食べ、ホテルに戻るとき、IさんとKさんにばったり会ったが、はじめ、声をかけられても誰か分からなかった。
Iさんはオレンジ色のシフォンのトップスを着ていた。左鎖骨が見えるぐらいの大きく襟元があいた可憐な服。Kさんは水色のワンピース。もともと美人だからハッとする。
「うわぁ、分からなかったぁ」
私は思わず言うと、二人は言った。
「いつも黒い服着てるわけじゃないのよぉ、ねぇ?」
「ねっ」
 二人はにっこり笑うと、どこかに飲みに行ったようだった。なんかカッコいいなあと思った。


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