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「ラジオCMの女王」 #働くステキ女子、発見!#Chapter11

過去に『Oggi(小学館)』にて連載されていたものです。


 社会で女性が働いてくってこういうことなのかな、って思ったのは、Fさんを見たときだった。
 FさんはラジオCMのディレクターで、有名コピーライター。原稿も書く。テレビCMや、駅に貼ってあるポスター広告と違って、まさに15秒分の言葉で勝負するので、コピーライターとしての腕前が試される。そして彼女はフリーで活動していて、一人で個人事務所も経営していたから、何でも自分でこなすスーパーウーマンだった。
 私が彼女に出会ったのは、広告代理店時代。憧れのFさんと会いたくて自分が書いたラジオCMの演出をお願いした。
 初めてお会いしたのはラジオの収録スタジオで。Fさんは、黒い革のタイトパンツに、サテンのタンクトップで、かっこかわいい女性だった。ラジオというとどうも地味なイメージがあるのだが、Fさんの笑顔は太陽に輝くシチリアのオレンジみたいで驚いた。女優でいうと賀来千香子さんに似ている。丸い目をきらきらさせてFさんは私と握手してくれた。
「どうも!よろしくねぇ!それにしても、原稿、面白かったわ!」
 今まで出会った人でこんなに手放しでニコニコと、まるで自分のことのように私の原稿を褒めてくれる人なんていなかったからびっくりした。そして、こういうところが新しい、とか、こういうのって独特よね、と分析してくれる。ずいぶん励みになった。よく考えると、書き手としては同業者でライバルなのに、原稿を送ってから電話すると、Fさんは原稿を読みながら受話器口で大声で笑う。
「うっふっふっ。また今回も、うっふっふっふ。面白い!」
「この表現、大宮さんらしいわよね!」
 Fさんとお仕事したいという気持ちは、いつしか、Fさんに笑って欲しい、褒めて欲しいという子供のような気持ちになった。
 Fさんはイメージを私から聞くと、その役柄の声の候補を送ってくれる。どのように送ってくれるかというと、たとえば、この孤独なOLさんの声は、この人か、この人はどう?という感じで、思いつく劇団の女優さんや、声優さん、はたまた、役者ではなく素人さんの声をテープに録音し、デモテープを送ってくれるのだ。それを聞いて、イメージが違う場合はFさんに伝える。
「もう少し、かわいい声がいいんです。少したどたどしく、自分に自信がなくて、ぼそぼそしゃべるような」
 なるほどなるほど、そういう感じね!オッケー!と言ってくれるときもあれば、きちんと、反論してくれるときもある。
「でもね、この原稿って、すごくコピーがしっかりしてるから聞かせるラジオにしたほうがいいと思うの。だから、きちんと滑舌のいい手だれのほうがいいと思うんだよね?」
 ものづくりに妥協しない。手を抜かない。この情熱が素敵で、信頼できた。
 Fさんの現場は笑いが絶えない。ミキサーさんは熟練のベテランおじいちゃん。
職人肌の気難しい人なのに、Fさんが朗らかでコミュニケーション上手だから、ほいほいと転がされてしまう。
「うーん、さっきのほうがよかったかも!」
そうFさんがきりっと言うと、そう?ちょ、ちょっと待ってて、と焦ってやり直す。
「あ!いい!さすが!天才!」
頑固なミキサーさんも褒められてなんだか、くすぐったいような感じでむふふと笑うのだった。
 そして、私はFさんがいつも頼んでくれるチャイが好きだった。Fさんの現場には必ず、二つのポットが届く。
「ねぇ、みんな飲んで!大宮さん!カフェオレとチャイ、どっちがいい?」
そう聞かれ、私はチャイと言う。
「そうよねぇ、私も!」
大先輩なのに、こういうキャピキャピしたところが可愛い。忙しくても、ちょっとした楽しみを見つけて、ぎすぎすしていないのって素敵だなと思った。

「原稿って、いつ、どうやって書いてるんですか?」
 私はいつも付け焼き刃で、締め切りぎりぎり滑り込み。いいアイデアが思いつくか不安でどきどきしながら取り組み、朝方、書き上がると、ああ、今回も、運良くいいものが書けた、神様ありがとう、と胸をなでおろす。こんな運頼みでいいのだろうかと、Fさんに聞いた。
「私もよ!もうぎりぎりセーフ!帳尻合わせが大変!」
 そう言ってディレクターチェアを左右にぐるんぐるんと揺らした。
「私はね、ものすっごく早起きをしてね、起き抜け一番に、アンパンを食べるの。アンパンがなければ、とにかく甘いもの。それで血糖値を上げてねじり鉢巻で書くのよ!」
そう言って、うふふふ、と笑った。
 アンパンかぁ。それからというもの、朝方、ひいひい会社のデスクで原稿に向かっているとき、今頃Fさんも、アンパン食べて頑張ってるかなぁ、と思うのだった。
 ある日、いつもはスタジオで会うのに、珍しく会社でFさんにばったり遭遇した。Fさんはちょうど、他のクライアントのラジオCMの打ち合わせで、私の勤めている広告代理店に来社していたのだった。
 私は、会社で理不尽なことがあって、どうすることもできなくて、涙が出そうになる前にそっとトイレへと席を立ったところだった。
「大宮さん!」
 廊下で快活な声がして、振り返ると、いつもの笑顔のFさんがいた。私も、いつもの笑顔を返そうと思ったのだけれど、返せなかった。
「大宮さん?」
Fさんが私の名前を再び呼んだとき、私の顔はみるみる歪んでいった。そして不思議なことに、Fさんの顔も歪んでいったのだった。
「私、私 」
 声にならず、泣き出しそうなのをこらえていたら、なんと、Fさんが泣き出した。
「!」
 私はびっくりして、そして瞬時に、Fさんの涙がすべてを理解して流した涙だとわかった。きっとFさんも沢山の理不尽なことに遭遇し、乗り越えてきたのだろう。Fさんの時代なんて、女性が働くということがもっと大変だったろう。悔しくやるせない気持ちになっただろう。だから、私の涙の意味を感じ取ってしまったのだ。私は、その涙を見て、一気に泣き出した。
毎日通う、真昼の会社の廊下で、二人の戦友は、肩を抱き合っておいおいと泣いた。人の目も気にせず、おいおいと。
 それからというもの、Fさんの何気ない心遣いの裏に、たくさんの努力や気苦労があるのが見えてきた。
 大好きなカフェオレとチャイ。ポットが届くたびに外へでるFさん。外では、精算をし領収書をもらっていた。Fさんはクリエーターでもあるけれど、制作でもあった。テレビ番組の現場でいえば、ディレクターがADさんもやっている状況。その領収書は、Fさんがまとめて税理士のところに持って行く。誰の手も借りず、一人の女性クリエーターが、営業、事務、制作、経理までやるって大変だ。ここに至るまでにいろんな苦労があったんだろうな、と、チャイをふうふうしながら飲んで、ミキサーさんと笑っているFさんを見て思った。
 収録が終わった後スタッフさんを誘って、Fさんは美味しいご飯に連れて行ってくれる。
「ねぇ、ギリシャ料理って興味ない?」
「ねぇ、美味しいピザ屋があるんだけど」いつも誘いはそんな感じ。
 あるとき、割り勘にしましょうよ、と私が言ったら、Fさんは言った。
「いいのいいの、税金対策!それに、これが楽しみで頑張ってるとこあるから」
 なんか、胸にぐっときた。
 それでではないけれどFさんの誕生日がすぎて幾日かした日、私はやったことのないサプライズパーティーを企画した。いつもの女子会だと思って、楽しくおしゃべりするFさんの元に、バースデーケーキが運ばれて来たとき、Fさんは声をつまらせた。
「え?私のために?」
 私はなんとなく好きかなあと思って買った、猫のぬいぐるみをあげた。
 Fさんはしんみり、しばらく猫を大事に抱えながら猫の顔を見ていた。
 しばらくして、メールが来た。
「ぐみ、という名前をつけました。昔飼ってた猫の名前。ありがとう!」
 あれから10年経つけど、Fさんを忘れたことはない。そろそろ女子会しなきゃ。
 たくましくなった私を見てもらおう。
 チャイを飲みながら。

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