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年末に思うことについて

わたしの友達へ
1年が終わるね。
2022年も終わりそうなので、久々にわたしのソウルをしたためさせていただきます。BGMは渡辺美里さんの「My Revolution」にして読み進めていただけると幸いです。

「思いを表すこと」「思いを伝えること」について、最近よく考えています。わたしは、今まで自分の気持ちを全開で相手に伝えて過ごしてきました。周りの人が受け止めて(時には受け流して)くれていたからこそ、そういられたのだなと今、滲みてます。近頃は、伝えることが良くないことのように思えてきて億劫になってきました。伝わらねえし、誤解されるし、傷つけるかもしれないし、いいことない!って思って諦めたり、不貞腐れたり。特に悲観はしていないし、世の常であるし、取るに足らないことだと思うんだけど、こういう取るに足らない些細なことについて考える時間も人生の醍醐味だと思ってるので、今この文章をしたためています。

そんな感じで最近過ごしていたのだけど、ふと思い出したのよ。小学生の頃、引っ越しの見送りに来てくださった恩師からの手紙を。そこにはこう書いてある。

"先生の誤解で〇〇ちゃん(私)を怒ってしまった時、〇〇ちゃんが「ちがう、〜だから」と正してくれて、先生は「大人の都合で子どもを怒らない」と教師になった日から心に誓っていたのに、何年間かこの仕事をしているうちに、ついにやってしまった...と深く自分自身を反省したものです。その後「ごめんね」と〇〇ちゃんに謝った時、なんか先生と子どもというより、そこに友情が芽生えた気がしました。"

子供だった私にこんなにも誠実に気持ちを伝えてくれる大人に出会えたことは、本当に幸運だと思う。この出来事を思い返すと勇気が湧いてくる。最近、変に不貞腐れていたけどハッとした。グッときた。気持ちを表して伝えるって素敵なことだな。と思えてきました。「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返して関係を築いていきたいです。場面によっては伝えることが全てじゃないけど、大切なあなたには伝えたいよ、「ありがとう!」と「ごめんね!」を。そして、「愛してる!」を。わたしは、伝えたい性分です。わかり始めたMy Revolution. 誰かに伝えたいよMy tears, my dreams. そう歌いながら師走を過ごしている。そう歌いながらコンサートでケンティーに掲げるうちわの文字を迷ってる。

こうやって立ち止まりながら、ひとつひとつ丁寧に感じて、レボリューションしていきたいです。(ちゃんと渡辺美里さんのMy Revolutionをかけてくれてる?)

みんな、何を思って過ごした2022年?わたしたちが少女だった頃から時が経って、今はそれぞれに環境が違うから、思いもさまざまなんだろうな。私たちが少女だった頃と変わらずに、それぞれに感じることを交換しながら、ああでもないこうでもないと語り合えたら嬉しいよ。こらからも。

久しぶりに書いたこの類の長文。
なんか恥ずかしいよね。
日常とめっちゃ高低差あるし。
でも、たまには。
こんなテンションの日があってもいいでしょう。
恥ずかしいんよ、基本的に。そんなもんよ。

とここまで書いたところで、下書きにして寝かしていたのだけど、今日、ずっと「伝わらねえ!」と悩んでいたことが、言い方を変えてみるとすんなり受け取ってもらえた。いい風呂入れそう。

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