見出し画像

4月3日/「どこでも窓」がほしい

森は、この世界からいなくなったものたちが
待っている場所、のようなイメージがあります。

たとえば、わたしのはいいろのねこ、とか。
よく、亡くなったいきものは
虹の橋を渡るだなんていうけれど、
きっと彼は、そんな橋をひとりで
渡ってしまったりなんかせずに
(きっとそんな勇気はないでしょう、
とても怖がりだったから)、
もっと手前の森で、
それも森の入り口に近いあたりで、
家族のだれかがくるのを待っているのではないかと
わたしは想像します。

それから、すてきなオルガンを弾くあのひとも、
わたしはとうとう一度もこの世界では
お会いすることができなかったけれど―――
きっとその森の奥のしずかな場所で、
やっぱりオルガンを弾いていらっしゃるのでは
ないかと思うのです。
(いつかその森でお会いできたら
ピアノでモンポウの「ショパン変奏曲ヴァルス」を
弾いてくださらないかしら、
ほら、わたしがあの曲をすきだと言ったの、
覚えていらっしゃるでしょう?)

わたしがその森へいくころには、
きっとわたしの愛するひとたちで
いっぱいになっているのだといいなと思うし、
でもいまでも、はいいろのねこや、
何人かのひとは待ってくれているのだから、
ときどき、ほんのときどきだけれど、
いつそこへいっても大丈夫、と思って
慰められることもあります―――でもまだ、
ある程度の順番は守らないとね、とも思うのです。
(それに、まだ絵や写真をこの世界に
たくさんのこしていかなくちゃ、とも。)

そして、わたしは森から祈りも連想します。

植物や、鳥や、ちいさないきものたちのたてる
すばらしい音楽のなか
みどりの染み込んだ空気に浸されて、
あしたの世界や、いとおしいものたちのことを
ただ想い願う、
それがわたしにとっての祈りです。

今回描いたふたつの作品のひとつ、
『祈りのあおい森のまど』は、
そんな祈りの森にふれたくて、描きました。

画像2

『祈りのあおい森のまど』
F0、オイルパステル、アクリル

—————

そして、もうひとつの作品は
しろっぽくて、うっすらとしていますが
とってもわたしらしい、と思える
お気にいりの作品です。

タイトルは『おやすみの夢の森のまど』。

絵を描きはじめたころから、わたしはずっと
「淡くてうつくしい世界を描きたい」と
思っていました。

何度か挑戦したのだけれど、
ぼんやりとしたイメージを
形にするのはむずかしくて、
でもいまなら描けるかもしれない、と思っては
また描いてみるのだけれど、
今回はわたしの思う
「淡くてうつくしい世界」について、
心の奥に沈めてゆっくり向きあってみました。

それは、眠りのようなものかもしれない。
眠りというよりは、まどろみのような?
現実か夢かぼんやりするような、
またそのどちらでもいいと思えるような
曖昧な場所。

お花が咲いているといいな。
ちいさくて、かすかに甘い香りのするお花たち。
やさしくて、やっぱり森のようで、
安心して眠れるという夢をみているような
すこしせつなくて懐かしい雰囲気。

しろくて、淡くて、ぼんやりしているけれど
あかるくてうつくしい世界。
そんな景色を覗きたくて、この作品を描きました。

画像2

『おやすみの夢の森のまど』
F0、オイルパステル、透明水彩

—————

窓は、以前の作品にも何度か描いたことのある
モチーフなのですが、
わたしは自分の部屋の窓がすきで、
青空も、朝のひかりも夕焼けも、
向かいの家(むかし、そこには
幼なじみが住んでいた)もみえる、
部屋のなかとは全くちがう場所に思えるのに
窓を開ければ空気がつながっている、
雨のにおいもするし風も受けられる、
冬にはひだまりもできる…
そんな窓の前で、わたしは毎日眠り、
作品も制作しています。

ときどき、どこか別の場所へつながる
窓があればいいのに、と思います。

森へつながる窓は絶対ほしい。
それから、宇宙が覗ける窓や、
空の青い部分につながる窓、
むかし住んでいた街のみえる窓や
それぞれの大切な景色やみたい景色がみられる窓。

そんな窓が心のなかに、ちいさくてもいいから、
どんなひとにもひとつずつあって、
必要なときに取り出して眺めたりできればいいのに。


あなたの窓からは、どんな景色がみえますか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?